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まことにこの世は生きにくい【小説】

真にこの世は生きにくい。


 僕は子供の頃から勉強ができた。ただそれだけの人間だった。それ以外に大した取り柄もなく、面白くもない人間だなと自分で思っていた。音楽も絵もできない、スポーツもできない。面白い事も言えないが、ちゃんとしているかと言われれば違う気がする。勉強が出来ても真面目な訳ではないのだ。
 僕からすれば世間一般の『真面目』が何なのかは分からなかったが、どうやら先生や親の言うことに文句も言わず従うことらしい。どうしてしたくもない部活動をしなきゃいけないんだろう。どうして一人称が『僕』じゃダメなんだろう。人に迷惑さえかけなければ、みんな好きなように生きてもいいはずなのに。
 
 振袖を着たくなかったから成人式に行かなかった。友だちが送ってくれた写真の中の女の子はみんな振袖だった。行かなくて良かったと思った。
「おはようスバル。久しぶり」
後ろから声をかけられた。――友達の愛琴(まこと)だ。彼女はいつものように隣の席に座った。
「成人式どうだった?」
愛琴は何の疑いもなく聞いてきた。それは彼女が『普通』のハタチの女子大生だから。『普通』の女の子は成人式に帰省して、振袖を着て旧友と楽しく遊ぶものだから。
「成人式行ってないし」
「なにしてたの?」
「バイト」
ただ、愛琴はその後に「なんで」と聞いてこない。一緒にいて楽な存在だ。見た目も中身も今どきの可愛い女の子だが、愛琴は他人に深入りしない。ただただ興味がないか、おしゃべりが好きじゃないだけかもしれないが。
「今度のmiminaのライブ、いくら積む?」
「30」
miminaは今話題の女性アイドルグループだ。僕も愛琴もmiminaのファンで、ライブがあればCDを複数買いして席を確保し、ツアーがあれば全国を回る。
「それくらいはいるよね。バイト増やそうかなぁ」
miminaを愛琴に勧めたのは僕だ。彼女たちも1、2年前はまだライブハウスにいた頃だったから、愛琴の分もチケットを取って一緒にライブに行ったのだ。その日から愛琴はmiminaに夢中になった。ライブハウスの最前列でペンライトを振り回し、メンバーとチェキを撮った。
「ね、今度買い物付き合ってよ」
「いつ?」
愛琴は数少ない友人の一人だ。一番仲が良く、いつも一緒にいるけれど『トモダチ』。性自認と性趣向を一緒くたにする人もいるが、全く別物だ。
「今度の土曜とか」
「いいよ」 
 振袖が嫌なら袴が良いという話ではない。女性しか着ない服、男性しか着ない服……どちらも着たくないのだ。僕は自分に余計なカテゴリーを付けられるのが嫌なだけだ。男でも女でもない『何か』でいたい。



まことにこの世は生きにくい

 昔から女の子が好きだった。誰にも言わずに生きてきた。

 私は友達のスバルが好きだ。一目惚れだった。
 スバルは同じ学部の中で異彩を放っていた。誰かとつるむ事もなくたった一人で、微糖の缶コーヒーを机の上に置いて、つまらなさそうに授業を受ける姿。続々と茶髪に染めていく女の子たちの中で、真っ黒なウルフカットは明らかに浮いていた。私はスバルから目を離すことが出来なかった。
 スバルと友達になるのは難しい事ではなかった。話してみると、なんてことない、普通の子だ。おそらく、自分なりのルールやこだわりが人よりも少し強いだけ。誰しもそういうものを少なからず持っていると思う。少しずつ心を開いて、自分のことを話してくれたり、好きなものを教えてくれるのが、本当に嬉しかった。
「愛琴はmiminaってアイドル知ってる?」
「うーん……分かんないや」
元々アイドルに疎いからか、聞いたことのないグループだった。
「ライブのチケット余ってるんだけど、一緒に行かない?」
これはチャンスだと思った。アイドルの事は知らないが、せっかくのお誘いを断る理由もない。二つ返事で快諾した。
 スバルとのデートに浮かれきっていた私は、数時間後に人生を変える体験をする事になる。デビューシングル「ギルティピンク」。歌はお世辞にも上手いとは言えなかったが、彼女たちのファンへの想いやひたむきさはたしかに一人一人に伝わっている……応援しなきゃと思った。
「スバル!!miminaのライブ、次いつあるの?」
ライブハウスを出ても興奮を抑えられなかった。
「えっ……定期公演が2ヶ月後かな」
「次も行こう!」
スバルは戸惑っていたが、少しばかり嬉しそうにしていた。私もスバルと同じものを好きになれて嬉しかった。
 それからの私はスバルがドン引くほどmiminaに入れ込んでいった。スバルと一緒にライブに行き、スバルと一緒にライブDVDを見て、スバルと一緒にカラオケでmiminaの曲を歌った。幸せな大学生活だった。
 ただ、母は一人娘が女性アイドルオタクになったのを気に食わなかったらしい。miminaの話をしていると露骨にいやな顔をされた。どうしてなのか全く分からなかったが、女の子に黄色い声援を飛ばす私を見たくないそうだ。

でも私は女の子が好きだ。友達も全員女の子で、一人だけ付き合った子も女の子だった。私はmiminaが好きだ。スバルが好きだ。それの何が悪いの?

愛琴にこの世は生きにくい

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