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陰徳.com

最近、ちょっとしたトラブルが続いた。

海外からウイスキーを輸入したらボトルが割れる。ボトルが割れて補償を求めたら、理不尽な理由で却下される。

理不尽すぎるのでロジカルに反論のメールを書いたけれど、自分のせいでは全くないのに逆に自分がちっちゃい人間に感じられて自己嫌悪に陥る。

通販で6個買おうとして4つしか買えなかったのに、2個分の代金が返金されない。などなど。

どれも深く心を痛めるような超深刻なものではないのだけれど、積み重なると着実にメンタルにダメージがくる。累積6点で免停、みたいなものだ。自分が調子に乗っていることを神様に諌められているような気にもなる。

そんなネガティヴな気持ちを振り払うために、「徳を積まないと」とよく思う。それも、できれば陰徳を。

いんとく【陰徳】
人に知らせずひそかにする善行。かくれた恩徳。

「陰徳あれば陽報あり」、つまり「陰で善行をおこなう者には必ずよい報いがあらわれる」を信じたい。

どうして陰徳かというと、子どものころ日曜学校で「人に見せるように人前で善行をするな」と教わったことが、ずっと心に残っているからだ。

6:1  人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなた方の父から報いを受けられません。
6:2  ですから、施しをする時、偽善者たちが人に誉めてもらおうと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなた方に言います。彼らは既に報いを受けているのです。
6:3  あなたが施しをする時は、右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。
6:4  あなたの施しが、隠れた所にあるようにするためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いて下さいます。

マタイによる福音書 6章1節~4節

小さな頃に強く印象に残ったことはなかなか忘れない。

でもわたくしはアホな現代人なので、つい「こんなことがあった」「あんなことをした」などとSNSにあげてしまいたくなるのだ。ラッパを吹いてしまえば台無しになってしまうとわかっているのに。

「するな」と言われているのになぜ人はラッパを吹きたくなるのか。その永遠の謎を解き明かすために取材班はアマゾンの奥地に向かった。

アマゾンの奥地で調査を行ううちに、次のようなことがわかった。

なぜ人は、いいことをしたことをつい人に聞いてもらたくなるのか。

それは、「いいことしたから誰かに聞いてもらいたい」という自己顕示欲に駆られているから、という理由ももちろんある。

だけどそれは多分中心ではない。

蓄積したストレスによってメンタルタフネスが失われて、自分の善行を心のうちにしまっておく力がなくなっている自分がまずいる。

そして「まだイヤなこと続くのかな?」と不安になっている。
そうでないことを強く願っているので、誰かにすがって「うん、そろそろいいことあるよ」と言ってもらいたい。

だから自分の善行を人に言いふらしたくなる。ラッパを吹きたくなる。

そういうことなのではないかと気がついた。

心が強ければ善行を心のうちに留めて、いい意味での報いをしっかり受けられてさらに心を強くすることができる。

だけど心が弱くなると、ついラッパを吹き鳴らしてしまって、隠れたところで見ていてくれる人からの報いを受けられなくなってさらに心が弱くなる、という悪の無限ループに陥りやすくなる。

残酷な落とし穴があるのだな、やっぱり生きていくのってなかなか難しい、と改めて思った。

そこで突然訳のわからないことを思いついた。

自分の善行を匿名で公表するサイト、「陰徳.com」を作ればいいのではないか。

「今日私は、神泉の交差点で足の悪いおばあさんが信号を渡るのに苦労しているのを見たのでお手伝いしました」

「チェーンがギアに挟まって、後輪が動かなくなった自転車を引き摺りながら泣いている小学生がいたので、自転車を直してあげました」

のようなことを、ひたすら記録していくサイト。

人がそのサイトを見ることもできるけど、別に見られなくてもいい。
陰徳の定義からすると、なんならPVゼロの方がむしろいいかもしれない。

仮に人が見てくれたとしても、投稿は匿名なので誰がした善行かはわからないから、ラッパを吹いたことにはならない。

でも、自分のした行いは自分の手で記録され、見返せば「こんだけいいことしたからそろそろいいことあってもいいよな」と思うことができる。

人さまの善行の記録を見て、「自分ももっと徳を積まないと」とモチベーションが湧き、「あ、こういう陰徳の積み方もあるんだ」と学習することもできる。

そして何より、このウェブサイトがあることでより多くの人がより多くの陰徳を積むことができ、結果的に世の中のためになる。

どうでしょう。

陰徳の単位はITK。

1ITKは、お年寄りや妊婦さん、体の不自由な方に電車で席を譲った時の徳の量。

おばあさんが信号渡るのをお手伝いするのは、2ITK。
自転車直してあげるのは、5ITK。
400ml献血は、人様の命を救うかもしれないので20ITK。

誰かが物差しを定める必要は別になく、自分が勝手に「400ml献血=20ITK」などと主観的に決める。
それが5ITKでも、100ITKでも、自分がそんなものだと思えばそれでいい。

人に自分の陰徳を話してしまうと、一人あたり1割ITKが減る。
「俺献血したもんね」と一人に言うと、マイナス2ITK。自己申告制で。

それで、1ヶ月以内にITKを30貯める、3ヶ月で100ITK、半年で250ITKなどと自分で目標設定する。

10ITK達成したら「大好きなパンケーキ屋でたっぷりシロップのかかったパンケーキ食べる」、20ITKで「いきなりステーキで400gのヒレステーキのミディアムレアを頼む」などと決めておく。

自分のITKがいくら貯まったかいつでも確認でき、人さまのITK活動の様子もSNS的に見られるようにする。

ボランティアを募りたい人が、「30ITKの被災地の清掃ボランティア募集」などと投稿でき、「どうやったらITK積むことができるのだろう」と迷える子羊たちにアイデアを提供する。

こうやっていけば、もう少しいい世の中になる気もしなくはない。

どうですかね、陰徳.com。




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