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【第十七歩】伊藤万理華の「パーセント」を観て、さらに「奇跡の人」を思い出すの巻

「光る君へ」はつらい…

前回の投稿から約5ヶ月経過してしまった。
というのも、「光る君へ」が大きな原因である。
高畑充希の出番は、1月の放送開始からしばらく経過した4月だったこともあるが、それまでの間、というか、第1回目からこのドラマにはまったくハマれなかった。
ならば、高畑充希の出演回くらいからは、見られるかと思われたが、そうもいかなかった。
その原因はいくつかある。
第一に、個人的にこの時代が好きではないということ。
古典の授業が極度に嫌いだったため、どうもそのトラウマがあるらしい…。
高畑充希が出演するならば、なんとか視聴できるかと思っていたが、そうではなかった。
第二に、ドラマのリズムについていけないということ。
基本的にドラマはあまり見ない人間なので、いわゆる普通のドラマというのが、とても苦手なのである。
普通のドラマとは、多くの韓国ドラマのようなドラマのことを指している。
「光る君へ」は単調すぎやしないのだろうか?
いや、ワタシにはこのドラマを評価する資格はない。
なにしろ、第一回でほとんど挫折しているのだから…。
ここ何回か、高畑充希演じる藤原定子の出番が多い回だそうで、視聴を試みたが、当然ながら相関関係もよくわからないため、あまりハマれなかった。
というようなこともあって、投稿に間隔があいてしまったのである。
(本当は、1月に遅ればせながら「バービー(吹替版)」を観たので、それについて投稿すればよかったのだが…。)

ドラマ「パーセント」は素晴らしい

ということで、今回も「高畑充希」ではなく、「伊藤万理華」について書くことにする。
なにしろ、NHKの土曜ドラマ「パーセント」が素晴らしいのだ。
「光る君へ」は大河ドラマで、朝ドラと並び、NHKの「看板」ドラマであるが、この土曜ドラマという枠は極めて実験的な枠のようだ。
もっとも、他のNHK土曜ドラマを今まで観ていないのだが、今回の「パーセント」は、伊藤万理華が主役ということで、観た次第。
主人公の吉澤未来(伊藤万理華)は、アシスタントプロデューサーという役だ。
伊藤万理華にとっては、「女優は泣かない」のAD役とほとんど同じような感じなのだが、よく似合っている。
また、新人AP(またはAD)が自分の企画で番組を作るという設定も「パーセント」はドラマで、「女優は泣かない」では、ドキュメンタリーという違いだけで、ほとんど同じようなストーリーである。
伊藤万理華の魅力は、表情が豊かなことだ。
「パーセント」では、シリアスな表情からコミカルな表情まで、伊藤万理華の良いところがぎっしり詰まっている印象だ。
演技力が評価され、昨年くらいから多くのドラマ、映画に出演した伊藤万理華だが、その中で主役だったのは、わずか4話しかないテレビ東京のドラマ「日常の絶景」だけで、その他は脇役だった。
この「パーセント」も4話で完結するドラマだが、「日常の絶景」より数倍手間暇かけているドラマである。
なにしろ、NHKのドラマなのだから。
ただ、このドラマは、ある意味自虐的なテーマのドラマでもある。
ひとことで言えば、「「障がい者」をテーマにしたドラマを作ることができるか?」という葛藤を描いたドラマである。
どこか、2022年の関西テレビ「エルピス-希望、あるいは災い-」に似ている。
「パーセント」もNHK大阪の制作なのだが、どちらも大阪なのは単なる偶然か?
おそらくは、そうとも言い切れないだろう。
少なくとも「エルピス」の方は、キー局では通りにくい企画が関西テレビだったから通ったというような話をプロデューサーが話していたと思う。
同じく、「パーセント」も大阪だからこそ、この奇抜な内容が通ったという側面はあったのではないかと想像する。
正直なところ、このドラマは難しい。
つまりは、「敵」が見えにくいのだ。
障がい者への気配りが、ドラマ内ドラマだけでなく、この「パーセント」というドラマ自体にも感じるところだ。
その気配りが新たな「敵」を呼ぶ。
2話で、未来は編成部部長(水野真紀)からダメ出しされて、彼氏の町田(岡山天音)に協力を頼むのだが、そのあたりが安易に見えた。
この町田という男は、大学では映画研究会し、脚本で賞を取ったこともある才能の持ち主なのだが、大学卒業後は、フリーターをしている。
TVドラマに嫌悪感を抱いていて、あくまでも自分が作りたい映画を作りたいという夢があるようだ。
だが、未来に協力を求められ、脚本作りに参画するが、その決断はあまりに安易だ。
3話にて、予想通り、町田が「利用」されただけと悟り、辞めることになったが、これは予想されたことだったはずだ。
このエピソードがわかりやすく提示しているように、このドラマが難しいのは、ドラマがドラマとして成立させることをドラマとして問いかけているという点だ。
何を言っているかわからなくなるが、言い換えれば、「多様性」の「敵」は何か?という問いかけだ。
現在、4話最終話を残すのみだが、おそらくは、明確な結末は提示できずに終わるだろう。
「多様性」の問題を視聴者に委ねるという終わり方を予想している。
だが、このドラマにおいては、伊藤万理華の喜怒哀楽のコロコロ変わる表情を観るだけで、充分満足なのだ。
もっと、普通に書けば、伊藤万理華でなければ、このドラマは成立しない。
そういう、伊藤万理華ファンも観ているという「多様性」も尊重していただきたい!

「パーセント」を観て、「奇跡の人」を思い出す

「障がい者」を描いたドラマということで、舞台「奇跡の人」を思い出した。
描き方は、全くと言ってほど異なるが、「障がい」を真正面から向き合ったストーリーと言う意味ではふたつの作品は重なっている。
おそらくは、高畑充希はもう一回くらいは、この舞台に出ることだろう。
そのような期待から、数ヶ月前に映画版「奇跡の人」をDVDレンタルで観たのだった。
1962年製作で、監督は「俺たちに明日はない」のアーサー・ペンである。
舞台は何度も観ているので、映画はそれほど感動しないかと思われたが、予想に反し、甚く感動してしまった…。
ウィキペディアによれば、アーサー・ペンは舞台で「奇跡の人」の演出をしたこともあるらしい。
ストーリーはまったく同じなのだが、演出の肝みたいなところを心得ていると感じた。
特に印象に残るのは、サリヴァン先生がヘレンとはじめて会うシーンだ。
サリヴァンが持ってきたカバンをドンと置くのだが、ここでの、ドンという音がとても大きい。
舞台では、座席にもよるだろうが、カバンを置く音はたいしたことないのだが、サリヴァンはヘレンに、そして、観る者に、このカバンを置く「音」を聞かせたかったのだ。
このことが、「映画」では「音」によって、明確に表現している。
これが、「舞台」と「映画」の効果のちがいであって、「映画」が有利な点でもあった。
映画「奇跡の人」は、U-NEXTでも観られるので、ぜひとも観ていただきたい。

勝手に高畑充希と伊藤万理華の共演を妄想する

上記まで、「パーセント」の最終話を観る前に書いたのだが、最終話を観たところやはりちょっと不完全燃焼のような終わり方に感じた。
「障がい者との関わり方」「ドラマ製作者の葛藤」「そもそもドラマを作るということ」など、いろいろな要素が入りすぎ、焦点が見えにくく感じた。
特に編成部長の長谷部(水野真紀)が最終話で何か重要な変貌を見せるのではと期待したがそうはならなかった。
だが、この水野真紀は素晴らしかった。
かつて「にじいろカルテ」での印象とは、全く違った。。
そしてなんといっても、伊藤万理華は素晴らしかった!
秋には主演映画「チャチャ」というのが、公開されるので、こちらも期待したい。
思い起こせば、高畑充希と伊藤万理華が共演した舞台「宝飾時計」は、とてもゴージャスな舞台だったのだ!
また、どこかでふたりの共演を妄想してやまないのである。


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