「物語の拒否」と向き合うこと

 高校教員です。

 教室で。
 何かの助成?の一環で、新聞4紙が毎日配られる。 その時々で、目立つ話題に対してコメントをする。政治・経済・国際・社会など様々な話題について触れる。自分も、世の中のことを勉強している感覚だ。
 今週(2021年3月8日~11日)は、「東日本大震災」の話題が多くなる。今年、特に目に留まったのは、地震当時、単身赴任で離れて暮らしていた夫婦についてのインタビュー記事だった。東京にいた夫は陸前高田にいた妻を亡くし、「もしあの時一緒にいられたら」と後悔しているというような話。
 私個人としても大きな出来事であった、あの日の地震。今年は「日記」という形で、今思うところを表明した。以下、その日記の内容である。


 今日は東日本大震災(東北地方太平洋沖地震とも言う)から丸10年です。新聞各紙、特集を組んでいますね。3月11日前後には誰もがこの話題を出すのですが、一方で「被害にあった人たちはあの地震のことをこの時期以外もずっと忘れてはいないのだろうな」という感覚も持っていたいです。その上で、さらにあの時のことを知るために、様々な特集を見たり、学んだりしたいと私は思っています。
 震災を経て、結果として前向きに人生を過ごせているという人も少なくないと思うし、実際そういう方のインタビュー記事も見たことがあります。そんな話もあれば、この記事のように、一生つきまとうような後悔とともに生きなくてはならない、という話もあります。誰にも知られていないだけで、本当はもっとあるはずです。
きっとこの問題は、「遠い東北という地で起こった他人事」ではなく、我々が抱える問題とも地続きなのだと思います。

 基本的に、多くの作品(映画、ドラマ、文学、漫画など)には、「結末」というものがあります。登場人物やストーリーが、最後はどうなるのか。作品を最後まで読み解けば物語の「結末」に辿り着けるであろうという保証があるからこそ、途中に謎があっても、めげずに鑑賞を続けられます。「結論がわからない(もしくはない)作品」は、なかなか多くの人に受け入れられません。
物語に「結末」があると、その途中の出来事は「結末」というゴールから逆算して位置づけることができるので、「ああ、あの時の主人公の行動はそういう意味だったのか!」と鑑賞者は安心でき、すっきりした読後感を得られます。スタートからゴールへという「物語」があるから、途中の寄り道を見守ることができるというわけ。
逆に、結末がない、つまり「物語の拒否」をしている作品は、途中の出来事について、「それがどういう意味をもつのか」を決定することが出来ず、鑑賞者は不安になるのです。

 さて、現実の人生はどうでしょう。生きることは「物語の拒否」の連続によって成り立っているように見えます。
誰しも、今より先のことはわかりません。つまり、出来事の因果のうち、「果(=結果)」の方を誰も保証してくれません。すると、人生の途中での出来事を、容易に意味づけすることも出来なくなります。人生の節目と言われているものがあるにはありますが、それは擬似的に設定されたもので、本質的な「果」ではないような気がします(本質的な「果」は、その人が死んでしまう瞬間だけかなと思います)。
 結末がわからない人生の中で起こる様々な出来事について、「これは何なのか?」と問うばかりで答えが出ない。いかにも不安ですが、私達はその不安を伴って生きなければならないわけです。

 この記事の男性のように、「結論づけたり、許したりすることのできない後悔」は、あります。そりゃ生きていれば、あります。「この出来事が自分の人生にとって何なのか?」を考え続けることが必要で、結論が出ないままで問題を放置しなくてはいけないことも、たくさんあります。
 「結論が出ない」ことは不安ですが、しかし、逆に結論が出ないからこそ「解釈可能性の余地がある」と捉えることもできます。悲しい物語だと思っていたものが、人生経験や時間経過の作用によって、明るい物語に「転化」する可能性があるということです。これはある意味、希望と言えるのかもしれません。
 結論が出ないことに対してじっくりと時間をかけて考え続けるということは、この「転化」の瞬間を待つ行為だと言える気がします。悲しみはなくなることはない、しかし時間をかけてその悲しみを手に取りつつ、「これは何だろう」と向き合うことは出来ます。または、一度目を背け、また時間が経過したある時にそれを取り出し、再解釈を試みることも出来ます。どちらもとても意味があることだと思います。

 「人生における全ての出来事をポジティブに転化させることができる」などと言うつもりはありませんし、「結局、あれは嫌な出来事だったな」という出来事も、人生にはいくらでもあります。ましてや、被災して大変な思いをしている方に「生きていればいいこともあるよ!」なんて言うつもりもありません。
 ただ、私がこうした新聞の特集記事を見て考えた結果をこのようにして記録していくことが自分にとって大切だと思ったので、書き記しておきます。人生の意味とか、対象化できないほど大きな悲しみとか、分からないことがいっぱいあるけれど、そういう悩みって意外と他の人も思っているのだよね、なんて、少しでも皆さんの気持ちが軽くなれば幸いです。

 (以上、日記終わり。)
 大きな問題、言語化することは本当に難しい。それでも、言葉にし続ける。

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