のこしたいもの

学校の先生をしています。
気まぐれで、文章を応募したことがある。それは「わたし遺産」というもので、確か三井住友銀行が主催していたはずだ。
それぞれが「未来に遺したいもの・こと」を短い文章にするというのがテーマ。ちょうど何かやってみたい気持ちがあって、終業後に少し考えてみたのだった。
結果は、まあ箸にも棒にもかからなかった。それを今日たまたま掘り起こしてみたので、せっかくだからここに載せておこうと思う。タイトルは「夜と街灯と道」。あ、「遺したいもの」が複数だとだめなのか?とたった今思った。内容以前に、ナチュラルなルール違反で落選しているかもしれない。笑


夜と街灯と道

 夜に。南へ行く国道を下り、海を目指す。
 不器用でありながらも、丁寧に毎日を折り重ねているつもりである。しかし時にはそんな自分を置き去りに、そして身勝手な自分を見送るために、日常を抜け出て普段見ないものを見たくなるのだ。
 静寂が持つ魔力の一様相を押し固めると、こういう格好になるらしい。街灯が連なり、道を作って、永遠を引き寄せる。良質なシティポップとともに街は流れ、滑る愛車は人馬一体。そんな時、人の思考はゆるらりと、深まりを見せていく。
 一時期の私は、忘れられてしまうのは恐ろしいことだ、と思っていた。そしてまた自分は何を残せるだろうかと。しかし、忘れられていくものも同じだけ愛おしいのだと気づくと、また違う景色が見えてくるのだった。それに気づくのに私はどれだけの時間、どれだけの思い出を費やして来たのだろう。
 人は誰もが、ある時、ある場所でぼんやりしたい。夜と街灯と道。それが私にはあつらえだ。


これを書いたのはもう1年くらい前。時間は経ったけれど、ああこの時はこういうことを考えていたよな、と思い出せる。言葉を残しておくのは、こういう時に役に立つ。
普通に過ごしていると見過ごしてしまうような感覚や考えをどこかに言葉として残しておくと、それを起点としてその時の、周辺のことを思い出せる。自分で考えた言葉なのに、今の自分にとって刺激になったり、新しいアイデアをもたらしてくれるのである。
日記を見返していて、今自分が考えていることと書かれていることとが結びついてより考えが深まったり、新たな局面を見せてくれたことは1度や2度ではない。過去の自分はもう他者で、そして生活は他者との出会いで面白くなってくる。
自分をコントロールできることも素晴らしいことだけど、アンコントローラブルな自分に乗せられて、ひとりではたどり着けなかったところに行ってみたいとも思うのである。そのバランスで、生きてみたいのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?