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気候変動の未来を、身体知で体感する(SPTを用いた気候変動SF「Ministry for the future」のシミュレーション)

気候変動に関わるSF(サイエンスフィクション)を、SPT(Social Presencing Theatre)という手法で身体的にシミュレーションをする集まりに参加。ある種ものすごいプラクティカルな学びもあり、めちゃくちゃ面白かった。

SPTは、MIT Sloanで生まれた、個人や社会のシステム変容の理論である「U理論」を、身体知的に体感するためのツール(HPでは"Social Technology"という表現がされている)。https://ottoscharmer.com/SPT

「頭と同時に身体も様々な事物を感知している」という文脈の中で、SPTの中の一部のワーク(4D mapping)は、いわゆるロールプレイングを頭ではなく身体で行うようなものと捉えた(個人的かつ雑な解釈ではあるけれども。もちろんSPTはそれ以外にも様々なワークが存在する)。

そのワークを、"The ministry for the future"という、気候変動がもたらす未来を描くSFを題材に試してみるというものが、今回の集まりの目玉だった(このジャンルのSFは「気候フィクション」と呼ばれていたりする)。

参加者が本の中の14のアクター(人間だけでなく「動物たち」「炭素」といった非人間のアクターも含む)のどれかになりきり、時間軸を進めることでどのような展開になるかを実践してみるもの。

ちょっと長々と書きたくなるくらい、とてもインサイトが多かった(こう書いても、実際にやってみない人には全く想像がつかないと思われるものの、備忘的に笑);

「システム」というものは"Evolution"していくものであるということが、体感的にわかる

ロールプレイの中では、それぞれのアクターが相互作用をしていくことで、場面場面の社会の形が大きく変わっていく。それはからまりあいながら蠢いていく塊のようなもので、ある種の生命体っぽい。このことが、言葉を介さずに一つの場・空間でロールプレイをされることで、すごく視覚的・体感的にわかる。

この体感は、何か事業であったり社会的な運動を構想する上で、ある種とてもプラクティカルな意味を持つと思った。

例えば、ある事業の戦略を考える上で、関連するアクターを想定した時に、ある局面で市場を切り取って見えたことが、少し時間がたつと全然違う形にevolveされていくことはよくあると思う。何かを発想する時に、こうしたダイナミズムが脳より前に体によぎる感覚を目覚めさせるようなワークだと思い、それは発想の引き出しを増やす意味で、とてもプラクティカルな感覚だと思った。

また、例えば一見絶望的に見える局面でも、それは一つの場面のSnap Shotであって、時間や何かのきっかけによって作用(input)があると、必ずシステムがevolveしていく姿を見ることは、希望をもたらすと思った。

参加者の方の一人が、「システムの一つの単位は家族である」ということを言っていたけれども、例えば家族環境等の非常に個人的な話であっても、それを関連するアクター(親、子供、ご近所、医者等)がいるシステムだととらえれば、必ず場面は展開していく。個人的にstackしている状況があっても、この考えや体感を持つことができれば、生きやすくなる人もいるのではないかと思った。


どんなアクターの作用でも、こだまのように全体に響き渡ることがある

社会を変えていくことを考えると、どうしても政府や国際機関・大企業等の、「大きくて力のある人や機関」が世の中を変えていくと思ってしまうこともある。一方、ロールプレイの変遷を見ていると、実は全く違った主体が行動を起こすことで、連鎖的に場面が切り替わっていくことがあることに、体感的に気づく。

例えば、「青年アクティビスト」のようなアクターが、大きなアクターだけだと均衡している状況に一石を投じて、それが波紋のように局面にゆらぎを与えることもある。その波が、結局はより大きなアクターの動きを誘発することもある。

このことから、どんな小さく見えることでも、何かの作用(input)をシステムに与えることで、それが波紋のように広がり、より大きな流れを呼びよせることもあることが、もちろんシミュレーションの世界のなかではあるけど、わかる。

こうした気づきも、SPTの場で俯瞰的、かつ自分もアクターとしてそのゆらぎを感じる当事者であることで、より深くシステムが持つダイナミズムを納得することができる気がした。

SFという題材が持つ可能性

自分もとても体感しているけど、気候変動の議論の中で、(特にビジネスにおいて)議論する視野がとても近視眼的になりがちであることはよく感じる。典型的なのは、議論がカーボンの削減にばかり焦点が行ってしまい、どのような将来像をつくりたいのかや、カーボン以外のこと(動物とか)が置き去りにされてしまうようなこと(ロールプレイングをする中でも、常に「動物」といったアクターはあくまで周縁にしかいない存在で、シミュレーションの中でさえおざなりにされていることが浮き彫りになっていた)。

SFは世の中を様々な観点からみて「統合的」にシミュレーションしていき、また将来がディストピアなのかそうでないのかなど、「未来の状態」も描き出していくため、近視眼的になりがちな議論の空間を一気に広げていく意味で、非常に面白いツールであると思った。


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