見出し画像

05.愛、哀、藍、会

リズム&暴力

 私は大学時代にテニスサークルに所属していた。明治大学のクライス?みたいなサークルが事件を起こして、その数年後に入学したのもあってかテニサーへのイメージが悪過ぎて最初入るか迷ったものの、自分はテニスくらいしかできないし友達できそうだから入った。後悔はない。
 案の定、飲み会はコールまみれで隣の人の声も聞こえない時もあるくらい煩いものだった。1年生の頃はその瞬間も大好きだった。しかし、そもそもお酒は好きではないし流石に飽きてくる。当時付き合っていた彼女に「なんでそんなに飲み会に行くの?」と聞かれて何も答えられなかったし、重ねて2年生の5月に体を壊してより飲まないようになっていった。

飲み会の流派

 念のため、私は飲み会は好きでもある。ただ、ほぼ毎日同じようなメンツで同じような飲み会をするのが飽きる。またサークル内において飲み会でゲームに逃げる奴はトークスキルがない奴というのが通説となっており、話をせざるを得ないわけだが、当然話すことがなくなってくる。ゲームは偉大な発明だったのかもしれないと思う今日この頃。飲み会中にスマホをいじるのも突っ込まれるポイントになるので、マジで話をし続ける空間になっていた。だからこそ鍛えられた側面もある。
 飲み会はサークルや大学によって雰囲気がだいぶ違うと思う。私は4人くらいで飲むのが一番好きで、飲み会終盤に勝手に帰ったり帰られたりしているのも好きだ。イライラはするもののフリーダムを感じて、大好きだ。一度失踪した後輩を探して朝5時の歌舞伎町を駆けずり回った記憶がある。退学を覚悟したが無事見つかった時は受験に受かった時くらい安心し、フリーダムを感じた。フリーダム中毒である。

出会いと出会い

 飲み会は出会いの場でもある。今まで本当にたくさんの人と飲み会で出会ってきた。そこから日常生活への関係まで発展し、今でも会う人は数えられる程度である。それも良い。刹那を生きている感じがする。
 仕事で皆さんが求められる論理的思考と対照的に、感情的にツラツラと記してみた。論理的思考を極めていくとそれはロボットで、驚きは生み出せない。驚きを生み出してくれるのは常に感情的なものであり、それでしか感情は動かせない。仕事ばかりしていると論理的思考が日常生活を脅かしてくるが、自分の人生なんだから、主観で感情的にやりたいことをガンガンやっていく。
 まずは、飲み会のタトゥーを入れようかな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?