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04.タトゥー論

「ゥ」の使い道

 私は今まで何度かタトゥーを入れたいと思ったことがある。崇高な理由はない。なんとなくファッション性が上がりそうだから。(そもそも上下するものかわからない)けれど日本社会ではまだまだ逆風のため行動には移していない。
 一時期思っていたのが、言葉遊び的にタトゥーは英語表記でないとイケてないかもしれないということ。「タト」って最早「外」だし、ソトゥーに見えて仕方がない。助っ人外国人みたい。あと「ゥ」って他どこで使うのか。元々日本語の概念的に小さいウはないと思うので、その時点で海外感がすごい。だから受け入れられにくいのかな。

「入れるなら」には願が込められる

 タトゥーを入れるなら何を入れるか。これは私の中では盛り上がるトークテーマである。「宝くじ当たったら」と同じ種類の話だと個人的に思っている。よくあるのは好きな四字熟語とかNo Pain  No Gain的な言葉だと思うが、皆さんはなんだろうか。過去出会った中で一番刺さったのは思い出の写真を写実的に入れるというもの。なるほどそれは忘れないわと思った記憶がある。
 ちなみに私は、まだ解読されていない言語を適当に調べてその1番かっこいい5文字を入れる。理由は毎日見ることになるから。知っている言語だと毎日見ていたらきっと飽きる。知らない言語であればいつか解読された時の楽しみがあるし、それがものすごく卑猥な意味かもしれないというギャンブルも楽しめる。あとは好きな動物の絵を入れたい。ペットみたいに可愛がれそうだし。

自分の中に「tattoo」を持て

 繰り返しておくが、私にタトゥーは入っていない。夜テンでツラツラと今までの人生でタトゥーについてどんなことを考えていたのかを書きながら収斂させていっているだけだ。文章を書いて良いことは思考が整理されること。私は普段は歩きながら物事を整理するタイプだが、それだと忘れることも多い。書くと時間がかかるし基本は屋内で行うため、外(ソトゥ)で行う場合と比較したら思考の自由度は狭まる。が、残るのは良い。
 物事を考えているようで、ただ悩んでいるだけの瞬間は多いと思う。要するに頭を使っていないことが多い。物事を考える癖をつけるためにも考えたことを放っておかず何かに残しておくことは、自分を知る上で非常に有益だと思うし、それは人生を楽しむことにおいても非常に重要なことだと思う。自分は一体何を考えているのか。何が楽しくて何が嫌なのか。それらも常に変化していく中で、どう自分を知る仕組みを設けられるか。
 忘れないように金の薔薇も刻んでおかないと。金が再現できるかは知らないけれど。

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