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【パロディ】ウサギとカメ

 昔、因幡の国に大きな竹やぶがあって、そこに一匹の白ウサギが住んでいた。白ウサギは足は速かったが、頭が少し悪いため、皆に馬鹿にされていた。
 とりわけ白ウサギを馬鹿にしたのはカメであった。なんでも出身は丹後の国だとか海の底の竜宮城だとか言われているらしいのだが、定かではない。
 カメはとても狡賢かった。しかも、動きが人一倍のろかったので、すばしっこく走れる白ウサギを妬ましく思っていた。カメは白ウサギを嫌っており、いつか白ウサギをぎゃふんと言わせてやろうと考えていた。
 白ウサギはそんなカメの気持ちは知る由もなかった。それどころか、カメの狡賢いところを、頭が良いと思い込んでいて、カメのことを尊敬してさえいた。白ウサギは馬鹿正直なうえに、すこぶる人が良かったのだ。
 ある日のこと。いつものようにカメは白ウサギを小馬鹿にしていた。
「おい、白ウサギよ。おまえは本当に愚かな奴だな」
「そうですか」白ウサギはのんびり返事をする。「そりゃ、カメさんのような賢い方からみれば、そりゃ誰だって馬鹿に見えることでしょうね」そう言って、カメのほうを見てにっこりと微笑んだ。人が良いので馬鹿にされていることもわからないのだ。
「おまえと一緒にするんじゃない」たちまちカメは表情をこわばらせ、怒り出した。「失敬な奴だ」
「何かお気に障るようなことを言いましたか?」カメがなぜ怒っているかはわからなかったが、白ウサギはあわてて謝った。「許してください」ぺこりと頭を下げた。
「気に障って当たり前だ。愚鈍なおまえと比べられたら、誰だって怒るに決まっている」カメは吐き捨てるように言った。「人を馬鹿にするのもいい加減にしろ」自分は白ウサギのことを散々馬鹿にしておきながら、カメはぷんぷん怒った。
「い、いえ。賢いカメさんと愚かな私を比べたつもりはなかったんです」白ウサギはすっかり狼狽していた。「本当に申し訳ありませんでした」平蜘蛛のように頭をぺこぺこ下げた。
「まあ、そこまでいうなら許してやるが……」カメはやっと機嫌を直した。
「おまえさんは馬鹿の癖に、思慮が浅いから困る」
「はあ」
「はあ、じゃないよ」カメはしかめっ面をした。「おまえはただでさえ頭が悪いのだから、もっと考えてからものを喋りなさいと、おれは親切に教えてやっているのだ」
「すみません」白ウサギはさらにぺこりと頭を下げた。
「まだ注意してもらえるだけ、ありがたいと思いなさい」カメは白ウサギの両耳をつかんで、頭を軽く小突いた。
「はい」カメに叱られて、白ウサギはすっかり恐縮していた。
 神妙な顔つきの白ウサギを見ているうちに、カメの心の中に、意地悪な考えがむくむくと起こってきた。
 この愚かな白ウサギをもっとからかってやったら面白そうだ。こいつは馬鹿なくせに、足が速いことだけには自信を持っている。その自信を打ち砕いたら、さぞ痛快だろう。こいつに泣き面をかかせてやろう。なにか良い知恵はないものか……。その時、カメの頭にある考えが浮んだ。
 カメはひとりほくそえむと、真面目な顔をして白ウサギに向かって言った。
「まあ、おまえもなにか一つくらいとりえがあれば良いのだがな」
 白ウサギはしばらく黙っていたが、おずおずとカメを上目遣いに見た。
「あのう……」
「なんだ?」
「こんな私でも、走ることだけは自信がありますが」
「馬鹿を言いなさんな」カメは言下に否定した。「おまえ程度の足の速さなら、このおれでも勝てるぜ」
「そんな」白ウサギは押し黙り、じっとカメのほうを見た。
「なんだ。なんだ」カメは白ウサギの顔を覗き込んだ。やがて白々しい声でカメは叫んだ。「そうか。おまえはかけっこなら、決しておれに負けはせぬと思っているな。そうだろう?」
「僭越ですが……」白ウサギは静かに答えた。「いくらカメさんといえど、それは言い過ぎではないですか。私にだってとりえはあります。かけっこでは、カメさんにも負けませんよ」
「嘘をつくな」カメはせせら笑った。「おまえは馬鹿なだけではなく、嘘つきかい」
「嘘つきだなんて」白ウサギは悲しそうな眼をしてカメを見た。
「じゃあ、勝負しようではないか。ここから隠岐島までかけ比べをしよう」
 その頃は因幡の国と隠岐島はまだ陸続きになっていて、海経由で泳いでいくと隠岐島はすぐだったが、陸経由で行くとかなりの回り道になっていた。海経由より距離が十倍以上もあったのだ。白ウサギは少し遠いなとは思ったが、かけっこには自信があると言った手前、後には引けなかった。
「いいですよ」ウサギは承知した。「ただ……」
「なんだ?」
「カメさんは泳ぐことが出来ますが、海経由で隠岐島に泳いで行くのは駄目ですよ。それではかけっこにはなりませんからね」
「そんなことは言われなくてもわかっている」カメはぴしゃりと言った。「要するに、泳いで隠岐島に行ってはいけないのだろう?」そう言うと、カメはにたりと笑った。
「はい。勝負はあくまでかけっこですからね」
「もちろんだ」
 こうして白ウサギとカメは明日の午後にかけっこの勝負をすることにした。夏の暑い日のことであった。

 次の日。晴天の空のもと、白ウサギとカメは約束の時間にやってきた。
「これで負けたら、おまえはなんのとりえもなくなるな」カメは意地悪そうな眼で白ウサギを見ながら、歯をむき出して言った。
「私は負けませんよ」白ウサギも負けていなかった。
 二匹は通りがかりの暇そうな狸に審判をやってもらった。
「ようい……どん!」
 狸が号令をかけると、白ウサギはそれこそ脱兎の如く走り出した。みるみるうちに遠くまで行ってしまい、そのうち姿が見えなくなった。さすがかけっこを自慢するだけのことはある。カメはまだ一歩も進んでいない。
 カメは白ウサギの様子をじっと見ていたが、白ウサギが見えなくなると、「愚かな奴だ」と呟いた。そして陸路ではない海路のほうへ向かって、のろのろと歩き出した。カメにはある考えがあったのだ。
 しばらくすると、カメは海岸に出てきた。
「そちらの方角でいいんですか?」審判の狸がカメを追いかけてくる。
「なんだね?」
「泳いだら、反則ではないのですか?」
「いや、おれは泳ぐつもりはないよ」カメはすまして言った。
「だって、ここは海岸ですよ。ここからでは泳ぎでしか隠岐島には行けないですよ」
「まあ、見てなさい」そう言うと、カメは海の方に向かって大声で叫んだ。
「おうい。ワニザメ君達よ」
 しばらくすると、黒い大きなワニザメがカメの方にやってきた。「どうした?」
「どうだろう、君達の仲間と私達の仲間とどっちが大勢か、競争してみようじゃないか」
「ふうん、面白そうだが、どうやって競争するのかね?」
「君の仲間を残らず集めてこの浜の向こうに見える隠岐島まで一列に並んでくれないか。おれがその背中を歩いて数えてみるよ。そうすれば、どちらの仲間が大勢かすぐにわかるだろ」
「よし。わかった」ワニザメはさっそく仲間を呼び集め、やがてカメの言った通り一列にずらりと並べた。
 カメは後ろを振り返り、狸のほうを得意そうに見て首を反らせた。
「どうかね。これでもおれが泳いでいくって言うのかね」
「なるほど、そういうわけですか。いや、さすがカメさんです。感服しました」
 狸は感嘆の声を上げた。
「これで、おれがズルをしたわけではないことを証明してくれるね」
 狸も、カメに負けず劣らず狡賢く、他人を陥れることに生き甲斐を感じているような性悪な狸だったので、すっかりカメに心酔してしまった。
「勿論ですよ」醜悪な顔を歪めて下品に、げへへと笑った。「カメさんは少しもずるくないですよ」続けてへらへらと追従笑いをした。
 狸はさらに意地悪なことを思いつき、野卑た笑いをしながら、こっそりカメに囁いた。「あの愚かな白ウサギを、もっといたぶってやりませんか」
「なに?」
「こうするのです」そう言うと、狸はカメの耳元でなにやら囁いた。
「うん、面白い」狸のアイデアを聞くと、カメも酷薄な表情で頷いた。これであの白ウサギを立ち直れないほど、こっぴどくやっつけてやることができる。なにかと目障りな白ウサギだからな。カメは顔をほころばせた。
 カメはひとつ、ふたつと数えながら、ワニザメの背中の上をのそのそと歩いていった。やがて隠岐島に辿り着くと、陸に上がってワニザメにこう言った。
「おれの仲間を連れてくるから、待っていてくれないか」
 いぶかしがるワニザメをそこに待たせると、カメと狸は終点まで歩いて行った。そして白ウサギが到着するのを待った。
 しばらくすると、白ウサギはぜいぜい息を切らしながらやってきた。白ウサギはカメの姿をみると、へなへなとその場に座り込んでしまった。
「これでおまえのとりえは何もなくなったな」カメは勝ち誇ったように言った。
「ど、どうして私より先に着くことが出来たのですか? 私のほうがずっと速いと思っていたのですが……」白ウサギはすぐには信じられなかった。
「その理由を知りたいかい?」カメは含み笑いをした。
「はい」
「じゃあ、海岸まで行ってみな。そこにワニザメが大勢いるから、『私はカメさんの仲間です』と言うのだ。『おまえだけか?』と聞かれるかも知れないが、『はい。私だけです』と答えるといい。彼らが理由を教えてくれるだろうさ」そう言って狸を見やった。「なあ、狸君?」
「その通りです」即座にそう答えて、狸は白ウサギの肩を叩いた。「白ウサギさんよ、カメさんの言う通りだ」狸はにたにたと笑った。
「わかりました」
 人の良い白ウサギは、カメの言う通り海岸に向かって走っていった。その後ろ姿をカメは残忍そうな顔で見ながら、狸の方を見て首をすくめた。
「まったく、白ウサギの馬鹿者は度し難いな」嘲笑した。

 さて、白ウサギが海岸に着くと、待ちくたびれてかんかんになっていたワニザメが怒気を含めて訊ねた。
「おまえは何者だ?」
 一瞬ワニザメの剣幕にたじたじとなったが、白ウサギはカメに言われた通りに答えた。「私はカメさんの仲間です」
「何だと? 仲間はおまえだけか?」
 白ウサギはカメに言われた通り、「はい。私だけです」とにっこり笑った。
 とたんにワニザメは激怒した。
「ふざけるな! たった一匹で仲間だと? それなら俺達がわざわざ仲間を集めなくてもいいではないか!」ワニザメは怒鳴り散らした。「さては、仲間を競うというのは口実で、俺達の背中に乗って隠岐島まで渡りたかっただけだな。俺達を馬鹿にしたかっただけだろう。誰がそんなふざけたことを考え出したのだ? おまえか!?」
 白ウサギは、なぜワニザメが怒っているのか、全くわからなかった。恐怖で心臓が破裂しそうに高鳴っていた。ただ、カメに言われた通りに言うだけである。「はい。私だけです」
「ぶざけた野郎だ。許せぬ!」
 ワニザメの怒りは頂点に達した。たちまち白ウサギを捕まえて、ばりばりと白ウサギの皮を残らず剥いでしまった。そうして白ウサギに向かってあらぬ限りの悪態をつくと、海の中へ帰っていた。
「いたい。いたい」哀れな白ウサギは海岸でのたうち回りながら泣いていた。
 そこへちょうど漁に来ていた浦島太郎が通りかかった。
「これこれ。白ウサギや。なにをそんなに泣いているのだ。わけを話してごらん」
 親切に訊ねられて、白ウサギは今までのことを全て浦島に話した。聞いて浦島は眉をひそめた。
「カメの奴は、なんてむごいことをするのだ。可哀想に」
 浦島はしばらく首をかしげて考えていたが、やがて白ウサギに言った。
「まず綺麗な池の水で体をよく洗いなさい。そして岸に生えているガマの穂を取って、その上を転げてごらんなさい。きっと、元のようになれる筈だ」
 白ウサギが浦島の言われた通りにやったら、やがて白い毛が生えて元の姿に戻った。痛みもなくなった。
「本当にありがとうございました」大いに感激して、白ウサギは何度も何度も浦島にお礼を言った。
「気にすることはないさ」浦島は白ウサギの頭を優しく撫でながら微笑した。
それから白ウサギをじっと見つめて、やや厳かな顔をした。
「だが、カメや狸のような輩と付き合っちゃ駄目だよ。それと、みんなに馬鹿にされないように、君もこれからは勉強を頑張りなさい」そう言って、優しく微笑んだ。
「はい。わかりました」白ウサギはちょこんと頭を下げた。
 浦島が今から漁に行くからと白ウサギに別れを告げると、白ウサギはしばらく名残惜しそうにしていた。やがて諦めて再び浦島にお礼を言うと、山の方に向かってぴょんぴょん走って行った。
「元気に暮らすんだぞ」浦島は、白ウサギの背中を、眼を細めて見ながら呟いた。

 それから数日が経った。浦島が海岸を歩いていると、子供達がなにやら騒いでいる。見ると、カメをいじめて遊んでいる。どうやら白ウサギを騙したカメのようである。子供達は首を引っ張ったり、転がしたりして遊んでいる。
 浦島はその光景を見て、嘆息した。「きっと白ウサギをいじめた罰だろう。可哀想だが、自業自得だな」浦島は寂しそうに首を振ると、その場を静かに立ち去った。
 浦島に助けてもらえなかったカメは子供達にいじめられ続けた。「助けてくれ」と哀願するが、情け容赦のない子供たちには通用しなかった。
 かくして、カメは徹底的に痛めつけられ、ほうほうの体で竜宮城に逃げ帰った。そして、二度と陸の上には上がってこなかった。
 狡賢いカメを助けなかった浦島は、竜宮城で遊びほうけることもなく、真面目に働いた。勿論、カメに騙されて玉手箱を開けることも、おじいさんになることもなかったのである。元来働き者の浦島は、やがて可愛い働き者のお嫁さんをもらった。そうして夫婦で仲良く幸せに暮らしたということである。

 ずっと後になって、カメと一緒に白ウサギを騙した性悪狸が、おじいさんになった浦島をさんざん困らせる。浦島の忠告を守って、勉学に勤んで賢くなった白ウサギは、知恵を使ってこの狸を大いに懲らしめた。
 白ウサギは自身の積年の恨みを晴らすと共に、「カチカチ山」で浦島に見事恩返しをすることができたのである。

(了)

2002年8月

※混線により、イソップ童話の「ウサギとカメ」の話に、「因幡の白ウサギ」の話と、「浦島太郎」の話と、「カチカチ山」の話が混ざったことを、お詫びします。

小説が面白いと思ったら、スキしてもらえれば嬉しいです。 講談社から「虫とりのうた」、「赤い蟷螂」、「幼虫旅館」が出版されているので、もしよろしければ! (怖い話です)