社員旅行の屋外焼肉パーティーでのことでした。
ボクらは日頃のハードな仕事の事を忘れ、焼肉を焼きながら、ビールを飲んで、みんなで談笑していました。
肉が焼けそうな頃合いになったとき、営業部先輩の木場さんが、開発部のボクのエリアに近づいてくると、食べごろになっていた肉をごっそり奪って、自分の皿に乗せたのです。そして木場さんは肉を口に入れ、不敵に笑みを浮かべながら言いました。
「ああ、うめえなあ」
ボクらがせっせと焼いていた肉を、ほとんど全部持っていかれたのですから、ボクらはたまりません。
このボカァ、口を尖らせて木場さんに抗議しました。
「木場さん、その肉はボクらが焼いてた肉じゃないですか」
しかし、木場さんはまったく悪びれずに、にやりと笑いました。
「おれは騎馬民族だぜ」
「は?」
「だから、おれは騎馬民族なんだよ。さっきから各地で焼肉を略奪してまわってるんだぜい」
得意そうにそう言うと、木場さんは再びもぐもぐと肉を食べ始めました。
ボクらはぽかんとしていましたが、しばらく経って、やっと意味を理解しました。
騎馬民族、すなわちモンゴル帝国は、他国を征服し略奪を繰り返した国(民族)というイメージがあります(あくまでイメージですけどね)。木場さんは、その騎馬民族と、焼肉を略奪した自分を重ね合わせて、さらに自身の「木場(きば)」という名前のダジャレを言ったつもりなのでしょう。
四十歳を過ぎているにも関わらず、つまらない冗談を言う木場さんにボクらは呆れました。
「今後は、おれのことを騎馬民族と呼んでくれい」
ボクらが黙っているのを、感心したと思ったのか、木場さんは肉を食べ終わると、さらに得意そうに胸をぐいっと反らせました。
隣にいた村山さんが目をしばたたくと訊ねました。
「本当に木場君のことを騎馬民族って呼んでいいんだね?」
「おう。呼んでくれい」
「そうかね」
それを聞くや否や、村山さんはわざとらしく大声をあげました。
「おうい、みんな。木場君が、今度から自分のことを騎馬民族って呼んで欲しいそうだよ」
おとなしい村山さんが大声を出したので、同じ開発部の人間が集まってきました。
「なんですって?」
村山さんはもっともらしい顔をして、みんなに説明しました。
「木場君が、今後は騎馬民族って呼んで欲しいと言ってるんだよ。みんな、いつもフォローしてもらってる営業部木場君の頼みだ。聞いてやろうじゃないか」
それから木場さんに向かって訊ねました。
「そうだよね、木場君?」
「あ、ああ……」
木場さんは村山さんにつられて頷きました。
「だそうだよ」
村山さんはみんなに呼びかけました。
「みんな、これからは、木場君のことを騎馬民族って呼ぼうじゃないか」
「おーっ!」
以来、木場さんは開発部全員に騎馬民族と呼ばれるようになりました。誰も彼のことを本名で呼ばなくなったのです。しかも「騎馬民族」と呼び捨てでした。
「あっ、騎馬民族じゃないですか」
「騎馬民族は外出ですか?」
「騎馬民族、食事にでも行きますか」
「騎馬民族、今日は収穫ありましたか?」
など、ボクらは徹底的に彼のことを騎馬民族と呼んであげたのです。
ボクらが木場さんのことを騎馬民族と呼んでいるのを見て、他の部署の人たちも、だんだん木場さんのことを本名で呼ばなくなり、「騎馬民族」と呼ぶようになりました。
「今日の騎馬民族の予定は……」とか、「若王子さん、騎馬民族からお電話ですよ」などと真面目な顔で言ってくるようになったのでした。
最初のうちは、「おいおい、冗談はよせよ」と面白がっていた木場さんでしたが、ほぼ全員から騎馬民族と呼ばれるようになって、少しあせりはじめたようでした。しかし、すでに手遅れでした。「木場さん=騎馬民族」は会社中にすっかり浸透していたのでした。
やがて、誰も木場さんのことを本名で呼ばなくなってしまったのです。
先日の会議で、とうとう営業本部長が社長に報告するときに、こんなことを言っていました。
「騎馬民族の月次報告ですが……」
会議においてさえ、本名ではなく騎馬民族と呼ばれるようになった瞬間の、木場さんのなんともいえない複雑な表情は、ボカァ、忘れることができません。
たった一言、「騎馬民族と呼んでくれ」って言っただけで、木場さんは、会社での呼称まで変えられてしまったんです。
先月、朝礼で社長が「先月、騎馬民族はD地区の担当になったので……」と木場さんのことを言ったとき、木場さんは完全に騎馬民族として認められたのです。
昨日、営業本部長と村山さんと騎馬民族が話しているのを見かけました。
営業本部長はどのユーザー層を攻略するのかという意味で、騎馬民族に訊ねていました。
「騎馬民族は、今日はどこを攻めるんだい?」
横から村山さんが言っていました。
「まさか日本ってのはやめてくださいね」
営業本部長がふきだしました。
「おいおい、それじゃ『元寇』になるじゃないか」
「令和の役なんて、シャレになりませんからね」
「『てつはう』なんて持っていくんじゃないぞ。物騒だから」
「はっはっはっは」
どうやら、今ではすっかり騎馬民族が定着しているようです。
(了)
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