【パロディ】ハーメルンの笛吹き男(『猿蟹合戦』芥川龍之介)
鼠退治の報酬を貰えず激怒した男はとうとう町民たちに復讐した。子供たち百三十人を誘拐したのである。──その話はいまさらしないでも好い。ただこの話は事実か、それを話すことは必要である。なぜと云えばグリム兄弟はこの話が事実とは全然話していない。
いや、話していないどころか、あたかも町民たちは悲嘆に暮れ、復讐を成し遂げた男は太平無事な生涯でも送ったかのように装っている。
しかしそれは偽りである。この男は鼠を退治などしていなかったのだ。しかもその後この男は町民たちに馬鹿にされ、すごすごと行方をくらませたのである。グリム童話のみしか知らない読者はこう云う彼の運命に、怪訝の念を持つかも知れない。が、これは事実である。寸毫も疑いのない事実である。
確かに男は鼠を退治してみせる、と町人に向かって大口を叩いた。彼が笛を吹くと町中の鼠はこぞって集合した。彼が歩き出すと鼠は彼の後を付いていった。が、男が川の中に入っても鼠は溺死しなかったのである。鼠は泳ぎが達者であったのだ。だから雄弁の名の高いその男も、町民の同情を乞うよりほかに、策の出づるところを知らなかったらしい。男は肩に乗った鼠を振り払いながら、「あきらめ給え」と横柄に云ったそうである。もっともこの「あきらめ給え」は、鼠の被害のことをあきらめ給えと云ったのだか、男に嘘をつかれたことをあきらめ給えと云ったのだか、それは誰にも決定出来ない。
その上新聞雑誌の世論も、男に同情を寄せたものはほとんど一つもなかったようである。大金を要求したのは私欲の為にほかならない。しかも己の無知と軽卒とから鼠を退治できなかっただけではないか? 契約重視の世の中にこう云う契約違反を犯すとすれば、愚者にあらずんば狂者である。――と云う非難が多かったらしい。現に某男爵のごときは大体上のような意見と共に、この契約違反の男の罪は万死に値すると論断した。この事件以来、某男爵は猫のほかにも、硼酸団子を大量に購入したそうである。
かつまたこの男の失態はいわゆる識者の間にも、一向好評を博さなかった。大学教授某博士は心理学上の見地から、この男の幼少時代の自我の確立に問題があるのではないかと云った。それからドイツ楽器連盟会長はこの男のせいで笛の評判を著しく貶めた、慰謝料を請求したいくらいであると云った。それからこの男の幼馴染みが出てきて言った。なんでも男は少年時代、狼が現われもしないのに何度も狼が出たと嘘をついて村人を困らせたという事である。それで彼についた渾名が「狼少年」、ああ、思えば一度でも好いから、彼に嘘をつくのはやめ給えと忠告すれば好かったと涙を流しながら云った。それから――また各方面にいろいろ批評する名士はあったが、いずれも男の契約違反には非難の声ばかりだった。そう云う中にたった一人、男のために気を吐いたのは男色家で名高いの某代議士である。代議士は人間誰しも失敗はある、男にもう一度機会を与えてやろうじゃないかと云った。しかし笛を吹くしか能がない男に鼠が退治出来る訳がない。のみならず新聞のゴシップによると、その代議士は数年間、その男と肉体関係にあったそうである。
グリム童話しか知らない読者は、悲しい男の運命に同情の涙を落すかも知れない。しかし男は迫害されて当然である。それを気の毒に思いなどするのは、婦女童幼のセンティメンタリズムに過ぎない。天下は男の所業を否とした。現に世間の冷たい目に耐え兼ねた男が笛を吹きながら町を逃げ出した夜、町中の鼠がすっかりいなくなっていたそうである。
ついでにこの男はなんと呼ばれていたか、それも少し書いて置きたい。男は皆に糾弾された後、『ハーメルンの法螺吹き男』と呼ばれて愚弄されたそうである、――その理由は話す必要はあるまい。
とにかくこの物語は『ハーメルンの笛吹き男』ではなく『ハーメルンの法螺吹き男』であることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君たちもたいてい法螺吹きなんですよ。
ささっ、口直し口直し。
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