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タトゥー(駄ネタ)

 ニューヨークの地下鉄で、ボクの目の前に座っていた白人2人が話していました。
「そのTシャツいいな」
「まあな。漢字プリント流行ってるからな」
「意味は?」
「ダンディー。店のやつに教わった」
「俺も欲しいなあ」
 そのTシャツには、大きな太い文字で『翁』とプリントされていました。

 ボカァ、村山さんにこの話をしたんです。
 彼は静かに微笑みました。
「私もニューヨークでそんな経験がありましたよ」
「マジですか?」
 彼は羊羹を一切れ取って、上品に口にほおばり、話しはじめました。
「私が信号待ちをしていると、Tシャツを着た筋肉隆々の2人組の白人のお兄さんが『お前は日本人か?』と聞いてきました」
「ちょっと怖いですね」
「私がそうだと答えると、彼らは嬉しそうな顔で尋ねました。『漢字のタトゥー(刺青)を彫ったんだけど、どういう意味か教えろよ』、と」
「なるほど」
「見てみると、『台所』と腕に黒く太い文字で大きく彫ってありました」
「え?」
「『キッチンですよ』と教えてあげた時の、彼らの悲しそうな顔が忘れられませんね」
「さぞかしショックでしょうね」
「ええ、でもそれよりショックなことが、私にもありましてね」
「台所タトゥーよりもですか?」

 彼はしばらく天を仰いでいました。やがて不思議そうなボクの顔を眩しそうに見つめると、しんみりと語り始めました。
「先日、自転車を運転中のことです。前方からタンクトップにミニスカート姿の若い女性が、マウンテンバイクに乗ってやってくるのが見えました」
「はい」
「咄嗟に私は迷いました。胸の谷間とスカートの中どちらを見るべきかと。私はうろたえました」
「はあ」
「その直後、ハンドルを切るのを忘れ、カーブの先の家の塀に突っ込んでしまいました」
「たしかこのあいだもケーキ屋につっこみませんでしたか?」
 彼は私の問いには答えずに、吐息をついて言いました。
「私はですね。事故を起こした悔しさよりも、結局どちらも見えなかった悔しさの方が大きかったんですよ」
 そう言って自嘲気味に首を振ると、彼は行儀よく茶を一口すすりました。


小説が面白いと思ったら、スキしてもらえれば嬉しいです。 講談社から「虫とりのうた」、「赤い蟷螂」、「幼虫旅館」が出版されているので、もしよろしければ! (怖い話です)