けっぱれ!珠洲!
2024年12月18日(水)思い立って、能登の須須神社奥宮に行こうと決めた。本当は2月の結婚記念日にでも行こうと思っていたのだが、よく考えたら、2月に雪が降ると、スタッドレスタイヤでないと、高速も乗れない。今はスタッドレス持っていない。結局行けないことになってしまう。
そう思ったので、雪が降る前に行ってしまおう、と決行したのだった。
〇〇神社で、習った剣払いの型も身についてきたので、それで剣払いもしてみたいと思っていた。習ってきた剣払いを自分なりにアレンジして、神楽のように奉納してみようと考えた。考えたのは、以下の内容だった。
・敬白
「謹み敬って、式内 須須神社奥宮 〇〇に申して白さく。
我、令和四年九月二十二日に、この神社にお参りして以来、この神さまに深きご縁を感じ、剣払いにて日々お祈り申すこと、今日この日にて、二年と三月となる。
しかるに、令和六年元旦に能登全域に震災が襲い、この地の安全に心を痛めること久しからず。政府の復興の支援の遅遅として進まざるを知り、今ここに、御剣の払いと建てと舞を奉納して、能登の復興と神国日本の再生を祈願せんとす。
願わくば、我がまことの心と御剣の払いと建てと舞を、お納めくださらんことを、敬って白す。」
・天地八方払い
・大祓詞
・玉座結界建て
・邦土宇宙の舞
神事は全部で15分ほど。構成としては、払い、建て、舞い、という三部構成で、払いは、天地八方払いと大祓祝詞、建てというには、玉座結界、舞いは、邦土宇宙の舞である。
まず、境内を払い清めて、それから神々の玉座を設け結界を張り、最後に日本の国土と宇宙のエネルギーをつなげるの剣の舞を奉納しようと企画した。
これをお納めしようと、未明4:45に家を出た。
関ヶ原から米原に向かい北陸自動車道に入る。北陸自動車道の案内に、「武生―木之本間 冬用タイヤ規制」との表示があったが、まさか雪が降っているとも思えない。気になるものの、そのまま走行した。家を出た時も、真っ暗だったが、6:30頃に北陸自動車道の山間の道に入ってもまだ暗いままだった。日本海の夜明けは遅いのだと気づいた。山を背にして走行しているので、山が太陽を遮っているのだ。
パラパラと雨も降りだしてきた、その雨はみぞれまじりで、棒のように線を引いてふっていた。ときおり、小雪も混じっている感じだった。いざという時のために、チェーンは積んでいたが、まさか使うことにはならないだろうな、と気をもみながらハンドルをにぎった。曇り空だったので、いつ夜が明けたのかわからなかったが、いつの間にか「武生―木之本間 冬用タイヤ規制」の区間は通り過ぎていた。特に検問のようなものはなかった。
伴侶と交代で時々休憩をしながら、能登に入ったのは11:00くらいだろうか、全壊や半壊した木造の家が見えたりしだした。グーグルマップのナビに従いながら、奥宮を目指す。すると、ナビが示した奥宮に近い道の真ん中のある箇所が目的地として案内された。しかし、ここから入る道はない。
グーグルマップによくありがちなことだが、車道は案内するが、目的地にむかう歩道とは連動していない。記憶をたよりに、まだ先に、石碑と石階段があるはずだと車を走らせると、すぐに見つかった。
そこから、伴侶と杖を片手に、ゆっくりと登り始めた。伴侶は、ついこの前こけて、左足を痛めた。大事な神事の前には、邪気払いのようなことが起こることがある。これもそうだったのだろう。車も長いこと同じ姿勢で座っていると、痛くなる箇所があるらしい。でも、昔からお世話になっている漢方医に直してもらっていたので、歩くのは大丈夫そうだ。
石の階段を登って、奥宮にある山頂にむかう。道幅の広い、落ち葉が覆っている参道を歩いていくと、途中に大きなテントが二つ張ってあった。道幅いっぱいにテントが張ってあった。神社の修繕関係の人かもしれないと思った。近づくと、テントの横の林で何か作業している人が二人いた。ご挨拶して、テントを迂回しながら、山頂を目指す。
山道は、雨が降ったあとなのか、ぬかるんでいた。しかし、よく見ると足跡があり、踏みつけられていた。ここを上り下りする人は普段からいるようだ。2年前に来たときは全く人気がなかったが、お社修繕のために、通っている人がいるのかもしれない。
「もうすぐ、着くよ」と伴侶に声をかける。2年前山頂まで登ったのは私だけだった。記憶がよみがえって、間もなく着くとわかった。すると、山頂から7,8人の集団が下りてきた。「こんにちは」と挨拶すると、白髪の男性が「もうすぐそこでですよ。お気をつけて。」と山頂を指さした。男性が5名ほど、女性が2名ほどのグループだった。スコップなどの道具を持っていたので、社の修繕作業の関係者たち違いない。
あー、やっぱり持ってくればよかった!と悔やんだ。実は、奥宮の社のお見舞金を自分で用意してもってきていた。でも、山頂の奥宮にはだれもいないだろうと車の中に置いてきた。車から出るとき、なぜか持っていこうという気になった、いやいや誰もいないだろうと、左脳の理性が、右脳の直観を邪魔してしまった。神事が終わっても多分のあのテントあたりにいるだろう、とその時に話してみようと、脳内で思考しながら、正午に奥宮に着いた。
タイミングは実にバッチリだった。神事は、ゼロポイントにするのがいい。時間でいえば、零時か正午である。しかも、先ほどグループは昼休みのために山を下って行った。修繕の作業などしていたら、剣払いもやりずらい。しかも、なんの公認でもない、もぐりの私的な神事・・・ゲリラ的に趣味で、伴侶と神事をするが、たいていはこのようにタイミングよく人払いされて、自由気ままにできることが多い。
剣払いの神事を始めると、猛烈な風が吹きつけてきた。でも、曇りだった空も、神事のはじめとおわりには太陽が顔を出したそうだ。私は作法に夢中で気づかなかったが。
所作も無事終わり、下山すると、参道のテントのあたりに先ほどのグループの何人かがまだ残って、テントの片づけなどをしていた。その中の黄色いジャンパーを着た女性に声をかけた。
「この神社を修復している方ですか?じつは神社の修復にと思って、寄付金を持参してきたんですけど、受け取ってもらえますか?今なくて、階段の下の車の中にあるんですけど。」
「いいですよ。ご一緒して、下まで伺いますよ」
「いえいえ。すぐに取りにいってまた来ます。」
伴侶に私の荷物を預け、車のカギの入った伴侶の小さなリュックを受け取って小走りに取りに行った。
車を開けて、自分のリュックの奥にしのばせてあった茶封筒を取り出して、再び石の階段を駆け上っていくと、私の荷物をもった伴侶がゆっくりこちらに向かっていた。ふたたび伴侶の車のカギの入ったリュックを渡して、テントのあったところへ向かった。
着くと、二つあったテントのうち、山側のテントは、もう片付けられていた。テントはたぶん、寝泊りというより、修復のための機材なんかを保管しているのだろう。
先ほど話しかけた女性に、
「これお願いします。」と渡しながら、きく。「神社関係の人なんですか?」
「ええ、下の須須神社の宮司なんです。」
「あ!そうなんですか。」
「お名前教えていただけますでしょうか。」とペンかなんかありませんか?と女性が周りの人に聞くも、誰ももっていなかったようで、
「すいませんが、私の携帯にメモにいれてもらっていいですか。」と携帯電話を取り出して私に渡してくれた。
「こちらに、住所と名前、入力してください」
別に名前を残しておきたいわけではなかったが、社が修繕されたら、またお参りに来てみたいし、神社の祭事もお知らせくださるだろうと思って、入力した。
「この奥宮に2年前にお参りして、とても深いご縁を感じたんです。震災でどうなったのか気になって、今日は来ました。なんとなく、寄付金もどこかで渡せるかなぁ、と思って用意してきたんです。お会いできたよかったです。」
「そうなんですか。ありがとうございます。」
ご縁というものが、やはり不思議である。なんとなく、お見舞金を持っていこうと前から思っていたが、こんなふうに、直接宮司さんに渡せるとは思ってもみなかった。最近は女性の宮司さんも多いことは知っていたが、瞳のきれいな実に感じのいい方だった。
縄文時代に祭司は、女性だったという。風の時代に入って、日本も女性性の目覚めが時代をリードしていくのだろうと、ますますそう感じた。
車に戻って、iPhoneをBluetoothでつないでグーグルマップを起動しようとすると、Bluetoothがつながらない。何度やってもつながらない。こういうことはよく起こる。神事などの前後に、電気機器が異常を示すのだ。なぜか、わからない。マドマゼル愛先生は、いつかyou tubeのお話で、悪魔は電気を伝って逃げる、と先生の知り合いの霊能者の話をしてくれたことがあった。悪魔か何かしらないが、神事の前後に電気機器の不具合はしょっちゅうある。
気にせず、そのまま車を走らせた。来る途中に「見附島」の看板があったのを思い出した。行ってみようか。ということになった。2年前はその近くの民宿に泊まって、朝に歩いて「見附島」にを見に行ったのだった。
当時泊まった民宿はどこにあったのか?あまりわからなかった。帰りにゆっくり見て探そう、と海辺の公園の駐車場に停めた。公園にあった公衆トイレは、半壊して使用禁止になっていた。
ネット情報で、見附島が崩れてしまったのは知っていたが、実際に見ると、やはり衝撃的に変化していた。でも、私はネガティブにはとらえなかった。
こちらに向かって、鋭利に突き出した部分は崩壊して、丸い岩石部分がむき出しになっていた。
「ご苦労様でした。角が取れて丸くなりましたね。」
「そういう言い方もあるね。(笑)」と伴侶。
二人でそろって、見附島に向かって合掌した。
よく、半壊した社や鳥居などを見て、神様の力を侮るような発言をする人もいるらしいが、私は、その衝撃を受け止め、耐えてくれたことに感謝する。それは、家族でも、周りの人間関係でも同じことで、ちょっと感情の異常をきたした人は、誰かが受けるべき悪しき波動を身代わりに受けてくれたのだと思えば、誰だってその人に合掌して頭を垂れたくなるのではなかろうか。
不思議なことに、見附島にお礼を言ったあとでは、先ほどまでつながらなかったBluetoothがつながった!また、ここで何かのエネルギーが変わったのだ。
車のハンドルをにぎり、見附島を後にしながら、2年前に泊まった民宿を探した。でも、面影ある家はなかった。ただ、ほぼ全壊した木々の藻屑と化し、むき出し赤い鉄筋が見える場所があった。もしかして、あそこだったのだろうか。
「でも、この前泊まったとき、宿のご主人は今年で民宿やめるって言ってたから、無事だったんじゃない。」
「そうだといいけど。」そう言いながら、伴侶は軽く合掌した。
運転中、ある店の幟(のぼり)旗が3本くらい立っていた。
縦書きで
「けっぱれ!負けやしないぞ、珠洲!」
と書いてあった。(だいたいそういう文言だったと思います。車の走行中にチラ見しただけなので…)
半壊、全壊した家、家は損傷なさそうだけど、人気のない家。
現場の雰囲気は何かしら、その旗の言葉の心意気をにじませる。
「けっぱれ」とは頑張れという意味らしい。
そうだ。負けやしない。我々人間、正しく生きている限り、負けることはない。魂は永遠だ。
南米のインディオの言葉に「殺すより、殺されるほうがずっといい。」という意味合いの言葉があるらしい。インディオたちは、殺された魂と殺した魂の行き場所とその後の行方がわかっていたのかもしれない。
また、「死は存在しない、生きる世界が変わるだけだ。」っていうインディアンの言葉もある。
能登全域は、日本の災いを一身に受けてくれた尊い場所なのだ。我々の祈りはここから始めなければならない。
けっぱれ!
負けやしないぞ。
珠洲!
その言葉が強く心に刻まれた、
日帰り、強行の神事の旅だった。