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消えた・・・話
若葉の季節が過ぎていくと、葉っぱにはところどころ、虫に食われた跡が目に付く。
桜の葉にも穴がちらほら見える。桜の木は虫がつきやすい。一度庭の桜が毛虫だらけになったことがあった。その時は、今は亡き父が毛虫をいちいち取って河原に捨てに行ってくれたのだった。それが数年続いた。父はその頃退職していたので、暇つぶしも兼ねて、お掃除してくれていた。たぶん、25年くらい前のことだろう。
現在は、自生した夏みかんの木が、桜の木のそばにはえてきて、その柑橘系香りの影響か毛虫を全く見かけなくなったが、この話は、毛虫が、数年にわたり大量発生した頃に聞いた話だ。
昔、仕事の集まりで合宿のようなものがあり、その時に北海道出身だった人に聞いた。その頃は、スマホとかなかったから、夜の暇つぶしにお互いにいろいろと話し合ったものだ。良い時代だったかもしれない。
今スマホは便利で、一見多くの人と繋がっているようだけど、リアルな繋がりは年々薄れてきているようにも感じる。薄いつながりでできた情報は、いつの間に記憶から消えていく。でも、リアルで会った情報は、ときとして、いつまでも記憶に残ることがある。
強烈に残った記憶は、「ぼく」となって、勝手に語り始めたりもする。
・・・・・・・・・・・・・
ぼくは、年少の頃北海道に住でいた。
夏休み、ぼくたちの遊び場は近くの雑木林だった。小学4,5,6年生くらいのあつまりだった。いつものよう4,5人で遊んでいた。
すると、いつも決まった時間にアイヌの民族衣装を着たおばあさんが雑木林のさらに奥のどこかへ行くのが見える。いつも決まった時間に、いつも同じ方向に行っていた。そんなことはお構いなしにいつも遊んでいたのだけれど、時には何もすることがなく、いつものことが飽きてくることがある。
そんな時、いつものアイヌの民族衣装を着たおばあさんが雑木林のむこうを通り過ぎていった。ぼくらのリーダーが言った。「あのおばあさんのあと、ついて行ってみよう。」
することもないので、リーダーの意見に反対するものはいなかった。むしろ渡りに船だった。ぼくらは遠巻きに、おばあさんには気づかれないよう十分な距離を取って、静かにゆっくりついて行った。
すると、ある小さな掘っ立て小屋におばあさんは入っていった。
あんなところに小屋があったんだ・・・じっと待っていたけど、なかなか出てこない。
しびれを切らしたぼくたちはゆっくり、恐る恐るその小屋に近づいていった。その小屋の大きさは、今ではあまり見かけられなくなった電話ボックスくらいのものだった。外から見た感じでは、大人が立ってかろうじて二人くらい入れそうな大きさだった。
おばあさんがいっこうに出てこないので、リーダーが言った。
「おい、あの中覗いてみよう。」
さすがに、それはみな抵抗した。
「意気地がないな」
おじける隊員たちを尻目に、リーダーは、先陣を切って、小屋の入り口に進んでいった。みんなおずおずと後をついていく。
入り口にたどり着く。リーダーもさすがに、一瞬ためらったが、勇気を絞ってそっと戸を開けた。
すると
・・・中はからっぽだった・・・
・・・誰もいない・・・
・・・小屋の中には物は何もなかった・・・
みんなも一緒に確認した。
ただ外観から見られる壁と柱と屋根が内側にあるだけだった。
何もないのは、いいとして、あのばあさんはどこへ行ったのか。みな狐につままれたように、変な心持になった。
最後にリーダーが戸を閉めて、みんなが5,6歩あるいたその時、ガチャと戸が開いた。
な、な、なんと民族衣装のおばあさんが出てきた。
あまりのことにリーダーは腰が抜けて、動けなくなっていた。
ぼくも腰が抜けかけたが、なんとか四つ這いになって逃げようとした。
その先にいた仲間はワー、と一斉に逃げ散った。
腰の抜けたリーダーと、四つ這いのぼくは、おばあさんに睨まれながら、彼女の言葉を聞く羽目になった。
「いいか。よーく聞きなさい、
お前たち倭人のしてきたことをわしらアイヌは決して忘れはしない!
そのことをよーく覚えておき。」
大声で叱られるより、静かに語られることが怖いことがある。
この時がまさにそうだった。
その言葉の重み、言葉の奥に沈んだ怒りがぼくの心深く刻み込まれた。
まるで昨日のことのように思い出す。
・・・・・・・・・・・・・・・
アイヌの民族を、ほぼジェノサイドして、土地を奪い、文化を破壊したのはそんなに昔のことではない。
ネイティブアメリカンを抹殺し、土地を奪った白人と同じように、日本人は、アイヌ民族を抹殺し、土地を奪った。アイヌ民族とは縄文人の末裔であるという。
縄文土器は今の技術でも作れないと、最近知って大いに驚いた。
そういわれてみれば、あれほど精巧で複雑な構造をしているのに、割れた縄文土器をあまり見たことがない。ところが、弥生土器の多くはつぎはぎだらけ。もろいのだ。
稲作だって、縄文土器に2800年前の米が見つかったりしているのだから、弥生文化がもたらしたものではないだろう。
アメリカの感謝祭は、移民にトウモロコシの栽培を教えたインデアンに感謝するのが始まりだが、後から来た移民は、そんな恩はどこ吹く風、とインデアンを追いやった。たぶん、今の日本人・倭人も同じことをしたのだろう。
アイヌ人のユカラ(言い伝え)を読むと、「耳と耳の間」という表現がよく出てくる。
どうも、そこが「みたま」の居場所だと認識していたらしい。
体は単なる鎧(よろい)のようなもので、それを脱ぎ去って、元の世界には、人間界と変わらないような、いやそれよりすばらしい神々の世界へ戻っていく、と認識していた。自然の木々も、動物も神々のみたまが宿る。
彼らの世界観は我々の体は機動戦士ガンダム(あるいはエバンゲリオン)だ、と告げている。
倭人は意味もなく、戦うが、アイヌ人には戦いの歴史がないという。
血塗られた歴史がないのだ。倭人に攻められたときは、やむも得ず戦い、その時は、神々、天地自然が味方して、奇蹟に勝つ。ユカラにもそのような話がたくさんある。
しかし、倭人は、和睦と称して、アイヌの族長を呼び出し、騙し殺していく。アイヌの気高き人々は、倭人のように平気でウソをつき、騙すことをしない。だから、徐々に追いやられた。北と南に。沖縄人も縄文人の末裔だ。
インデアン、縄文人や他の古代の民族の中には、戦わずして、消えた部族もあったという・・・そんなことが可能なのだろうか・・・
・・・それにしても、アイヌのおばあさんはどこに行っていたのだろうか・・・
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