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ルポ「つけびの村」03/06

2013年7月に山口県周南市で発生した山口連続殺人放火事件について、2017年に取材し、まとめたものを6回に分けて公開します。存命の関係者のお名前は全て仮名です。2017年9月7日脱稿、その後少し寝かせていました。

保見友一

 その〝泥棒〟の噂高い、保見の父親は、いつから金峰の郷地区に住んでいたのだろうか。集落を訪ね歩いて話を聞くと、皆、大まかには同じことを話した。
「保見のところは、もともとは、同じ金峰でも郷とは違う山の中に住んどった。
 長男は順一。友一(ともいち)は三男。その間に徳市(とくいち)ちゅうのがおる。ワタルの父親が友一。この3人ともが皆それぞれに郷に出て来た。それは戦争前。今から70年くらい前かな。家のあったとこは、あとはなんもない」
「ワタルくんのお父さんらは、山の上の方おっちゃったらしいよ、ほんで降りてきた、わたしらも親が話しよったちゅうぐらいしか知らんからね。入るのはね、河村さんところの道を山伝いにずっと上がるんじゃけど。途中から奥まった山の方へ登るんと思うよ。家とか、もうないない。山しかない。もう誰も住んじゃないよ。昔はそこへ山をちょっと持っとったんじゃろうが、もうそれも誰かに売っちゃったみたいじゃがね。自分らも子どもの頃、あの河村さんとこの奥のところに入ったことはあるけど。山よ。集落はないね」
「なんで越して来たかは知らんね。兵隊取られるかそんな頃やから、昔の話じゃ。兵隊から帰った時にこっち来たんやね」
 たしかに、金峰神社の参道脇にあった保見家の墓や、神社に残された石柱などを確認しても、光成の父親である友一、その兄たちの順一、徳市以外の名前は見当たらなかった。

 郷集落は保見家の南隣に、3人目の被害者山本さん宅と、さらに南方に進んだところに、本来は菅蔵地区だが「もとは郷に住んじょって、そっちに移った」ため、そのまま郷集落の一員として暮らしていた最初の被害者、貞森さん夫妻が住む家がある。保見家の家の裏手にはこんもりとした山が続くが、その手前には東西からそれぞれ流れてくる小さな川が合流している。東側から流れるほうの川に沿った細い道をその上流に向かって歩くと、500メートルほどで河村さんの家に着く。ここまでが郷地区といわれる。この細い道をさらに奥に進めば、県道9号線にふたたび合流するのだが、郷集落の入り口の前よりは道幅が細くなっており、車が一台しか通ることができない。1キロほど曲がりくねった細道を進んだところで、道が南北に分かれている。この周辺にワタルの父・友一とその兄たちは住んでいたという。
 そう村人たちが言う場所は現在、道沿いに家はぽつりぽつりとあるが、朽ち果てた廃墟もあり、今も人が住んでいる家は数100メートルおきに一軒ほどしか見当たらない。山の方を見ても、もはや家らしきものはなかった。
 体に寄ってくる虫を避けながら、保見友一とその兄たちが郷集落に移り住んだ経緯や、住んでからの暮らしぶりを高齢の村人に尋ねてまわると、わりあい話が聞けた。といっても、金峰地区では高齢者しか見かけたことがない。ここでの高齢の村人というのは、後期高齢者に分類されるような者たちだ。

 金峰地区の生き字引と称され、金峰地区のことならばこの人に聞け、と名前の出る男性、田村勝志さん(仮名)は郷集落の隣、菅蔵(すげぞう)集落で長らく農家を営んでいる。友一とは20歳近く年齢が離れているものの、やはり友一とその兄たちのことをよく知っていた。なぜ郷地区に移り住んで来たのかもだ。
「生活ができんようになったから。住んでいたところは、それはもう山の中で、どうしようもない生活しよった。その山の中に一軒家があって、そこに生まれて育ったんやからね」
 友一が移り住んで来たとき、まだ郷地区を東西に走る県道9号線が東方向には伸びておらず、現在の保見家の北側から東にかかる『第二郷橋』付近に家があった。
「まあお粗末な家を作っておったよ。竹をパッと縦に割って、その中の節を落としたものを重ねて行くわけ。でそれが屋根になるわけ。そういう家じゃった」(別の村人)
 郷地区から北東方面に採石場があることから、昔からダンプカーの往来があった。集落の家々の前にある細い道を抜けていたのだが、道幅が狭かったため、1976年代にバイパス工事が行われることになった。このとき友一と妻、そして子供であるワタルとそのきょうだいらが住んでいた家は立ち退きとなり、現在の茶色の建物に移ったのだという。もともと駐在所だった建物をそのまま友一が買った。
 ワタルの父、友一とその兄たちは別々に移り住んで来ている。次男の徳市は事件の被害者となった貞森さん夫妻が住んでいた家に住んでいた。その家を建てたのだという。金峰地区の村人たちは、徳山に近いほうを「カミ」、遠いほうを「シモ」と言う。順一は「シモのほうに住んどった」というが、詳しい場所は誰に聞いても定かではなかった。
 ワタルの叔父にあたる明治生まれの長男・順一の生活ぶりを直接覚えているものは、田村さんだけだ。
「わしが小さい頃、長男は荷車を引いて荷物を運ぶ商売をしとった。ここから徳山まで馬を買って来て荷馬車にして荷物を徳山へ運んできて、徳山で、頼まれたら買って帰るというのを長男はやってた」
 同じく叔父にあたる次男・徳市になると、数名の村人が記憶していた。話は皆共通しており「ブローカーのようなこと」をやっていたという。徳市、友一と交流のあった田村さんの話はこうだった。
「どういったらええかな、請負仕事をして、そして儲かって、土地を買ったり、いろいろ商売をしたりということをやりよった。ここに昭和26年の10月に大きな台風が来たんじゃけど、この辺は死の谷ちゅうて、家もあったけれども、田んぼも何もみな川になってしもて、大変なときがあった。道路という道路、橋という橋がひとつもなくなったんや。それを改修するために土建業の人がものすごいここに入った。そういうときに保見徳市という人は、なかなか頭のいい人やから、すぐにその請負をしたわけね。それで儲かって、まあ、一代をなしたというか」
 昭和26年10月 13日から14日にかけて山口県を襲ったルース台風は、同県に甚大な被害をもたらした。この災害をビジネスの好機と捉えたのが徳市だった。それなりに財を築いたが、徳山市に出ていた徳市の長男が脳溢血で急逝したことで潮目が変わる。その妻が、家の財産を奪ってしまったのだという。
 とはいえ長男・順一も、次男・徳市も、郷地区に移り住んで来てから仕事をしていたが、ワタルの父、友一だけは違っていた。どのように暮らしていたのかと村人たちに尋ねると、こんな答えが返って来るばかりなのだ。
「あんまりに働かないおじさんでね。上手いこと言って安い酒を人に高く売りつけてお金をあれしたりとか。人の作ったカゴを自転車の後ろにつけて売ったり。それで時々仲買に出たり。体がでかいおじさんだったけど、勤勉に働くような人でもなくて。それでいつも将棋をやっていてね。バスが来てたんですよ、で、バスが止まるといつも運転手さんと早将棋をやっていた」
「カゴを売る仕事のほかは、戦後に植林ブームちゅうのがあった。山を綺麗にして、苗木を植えて、下刈りをして、下刈りもだいたい5〜6年やりよるから、ひとつ受けたら6年間は仕事がある。あんまり定職ちゅうのはなかったね」
 金峰地区の産業は、今も続いている農業や椎茸栽培のほか、かつては製炭や畜産、そして竹細工も盛んだったという。友一は付き合いのあった竹細工職人から安く仕入れた籠を、高く売りに行っていたほかは、植林ブームに乗り一時期その仕事に従事していた。友一の妻、つまりワタルの母親は「和裁ができた」というが、どこかに勤めに出ている様子はなく、近所のものたちの農作業を手伝い、報酬に農作物をもらっていたことがあった。

 1月の取材で聞いていた〝友一は盗人〟だという噂について村人たちに尋ねると、他の兄弟の話と同じく、皆が同じ話をした。
「あの家の中に縁側があって、そこで2〜3人集まって酒を飲んでいるちゅうのが友一の日常生活じゃった。酒を飲むのも、自分は酒がないから、来た人をうまい具合にごまかして、酒代をとって、いうような感じ。それで人をごまかす。だから相手にするなという風評が高まった」
「保見友一って誰も呼びやせん。〝友のアカの人〟ちゅうふうに言いよった。アカっちゅうのは、盗人のことやな。米も洗濯物も盗られる。盗んで着るんじゃから、すぐ分かるよ」
「今なら笑えるようなものを盗りよったらしいよ。まあ洗濯物とか、カボチャとかやね」
「友一は子供がたくさんいたし、非農家じゃったから、田んぼがない。終戦後、食べ物にすごく困っている時があった。昔は水車を回して米を挽いていて、農作業に出る前に水車のところに置いて出て行っとった。そして帰ってその米を炊いて食べるんじゃけど、それを盗んだとか、カボチャを盗んだとか」
 米やカボチャ、洗濯物を盗み、家に来た者から酒代を取る……友一に関しては〝良くない話〟しかなかった。酒代については、被害に遭えばすぐに犯人が分かる類のものなので信憑性は高い。けれども農作物や洗濯物の盗みの話は、いまとなっては本当だったか確かめようがない。同じように、本当に泥棒だったのか確信を持てないと話す村人もいたのだが、〝友一が盗人だといううわさ〟は、話を聞いた全員が知っていた。

 田村さんは述懐する。
「保見友一は人気がなかった。自慢をしたりなんかするから、あんまり付き合いをする人がいなかった。
 今日のような暑い日に皆は田んぼや畑へ出て仕事をするが、あの人は田んぼを作らないからね。まあ左うちわっちゅうか、皆が暑い暑いと言いながら仕事しとるときに、家の中で涼しい風に当たって、夕方にちょっと出て散歩をするというぐあいに、皆と生活の態度が違ったんやな。そういうところから嫌われ始めた。わしらが汗水流して働きよるのに、働かんと、人をごまかして、生活をして、高い目線で見よるというようにな」
 金峰地区では田や畑を持っているのが一般的だ。友一は「非農家」で、田も畑も持っていなかった。ならばふたりの兄のように仕事をして金を稼ぎ、食べ物を調達しなければならない。それなのに定職についている様子はなく、農作業もやる様子はない。人から金をチョロまかして酒代を多めに取る……そのような暮らしをしていたために、村人たちから白い目で見られていた。
 また金峰地区には集落ごとに自治会があり、2年に一度、選挙で会長が決まる。役員は自治会員らで話し合いをして決めるのだが、生前、友一は役員になれなかった。それが集落の者たちの故意だったのかは定かではないが、友一はそれを気に病んでいたという。ワタルが関東から戻って来たとき、友一とその他の村人との間にはこうした空気が熟成されていた。
 都会で金を貯めて戻って来た。近代的な一軒家を建てて「村おこし」をしたいなどと言い出す。それも単なる〝都会上がり〟が都会風を吹かせているだけではない。よりによってあの盗人の家の子が、そう言うことを言っている……そんな認識が、集落の村人たちにあったのだ。快く思わなかったのは容易に想像がつく。

金峰

 金峰地区の村人たちと保見家の関係がよく分かるものが、村の中にある。保見友一の眠る墓である。
 かつて『シルバーハウスHOMI』だった保見家から県道を挟んだ向かいから伸びる、金峰神社の参道をのぼった。石段はところどころ途絶え、急勾配のけもの道になっている。左手にタオルを持って虫を払いながら、拾った長い枝を空いている右手に持ち、杖の代わりにして本殿を目指す。両脇に並ぶ高い杉の木のせいか、晴れていても山道は薄暗く、足元の土は湿っていて、何度も滑り、この杖に助けられた。

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高橋ユキ。フリーのライター。1974年生まれ北九州育ち。『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など。20190925『つけびの村』(晶文社)刊行。info@kasumikko.com

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