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【刊コレ】POPEYE創刊号('76.6.25)

現在(~9/2)、我が街の美術館で企画展が開催されている新谷雅弘氏が手掛けた『POPEYE』の創刊号を入手しました。といっても本当の創刊号の入手は難しく、2016年(平成28年)7月号として発刊された40周年記念号の付録となっていた復刻版になります。今回もパラパラめくりながらレビューしてみます。


◉表紙と裏表紙

(左)表紙のポパイの絵は、新谷氏をこの世界に誘った堀内誠一氏によるエアブラシ画
(右)裏表紙は復刻版オリジナルのBEAMSの広告で、イラストはお馴染みの永井博氏によるもの。
復刻版では全ての広告ページが、同じく40周年を迎えたBEAMSの広告に差し替えられています

僕自身は10代後半頃に『POPEYE』という雑誌の存在を知ったのですが、どちらかというと『Hot-Dog Press』のほうにセンサーが反応してしまう、欲望に正直なガキンチョタイプだったので、あまり馴染みのない雑誌です。

美容室などのお店に置いてあるのを読んだり、時々立ち読みなんかはしてたのですが、『POPEYE』は紹介するファッションも、爽やかな中性的な美少年系モデルがしゅっと着こなす感じが主流で、自分が着こなせないことを痛感させられ「そんな服、こんな田舎じゃ売ってへんわ!」とナナメ横の悪態をついたものです。その点『HDP』が紹介するコーデは田舎の町の謎ブランドの服でも、なんとなくそれっぽく揃えることが出来た気がします(笑)

まあ、そんなお付き合いのレベルの僕が、1976年(昭和51年)6月発売の『POPEYE』創刊号を見ていきますよ。


◉コンセプト扉と目次

目次前の扉に相当するページに「Men's an・an」とショルダーが入ってますね
背景のグラフィックからして、アメリカ過ぎる
続く見開きではドドーンとカリフォルニアの青空とパームツリー。
これでもかとばかりに畳みかけるTheアメリカ!
そしてようやく目次のページ。英語だらけ、それだけでワクワク

ポパイがドンと中央にあしらわれた見開きカラーの目次ページ。コンテンツの名前はALL英語表記でフォントもパワフルです。カリフォルニア特集と銘打っているだけに、隅から隅まで西海岸ネタで埋め尽くされています。
都会での暮らしをもっとハッピーにするには?を提案するメディア」を目指すこの雑誌が、その象徴、ロールモデルとして採り上げたのがアメリカ西海岸という、そんな時代だったんですね。

当時の日本ではアメリカ文化というと「アイビー・ニューヨーク・東海岸」みたいな流れもあったようで、西海岸にフォーカスを当てた雑誌は無かったようですし、海外のニュースは他所の記事転用が主流だった時代に、50日間も現地に乗り込んで取材したというのも革新的だったようです。


◉コンテンツPICKUP

・斬新だったアイテム・カタログ風誌面

ナイキを差し置いて、コンバース、アディダスが先陣を切って紹介されたスニーカーカタログ

冒頭からは西海岸の若者たちが熱中しているスポーツ・アクティビティについて、ボリュームを割いて紹介しています。ハングライダー14ページ、スケートボード17ページ、ジョギング7ページの順。それに続いて上の写真にあるようなスニーカーカタログのページ。背景の配色とかもPOPな感じで夏っぽいです。この3ページの次にナイキが2ページ、その次にプーマ+その他2ページ、という感じで全7ページに渡って続きます。こうしたカタログ的なページは当時の日本の雑誌ではあまり前例が無かったらしく、ましてや国内販売していないアイテムが殆どなので、値段すら載っていないという(笑)

その後、僕らが中高生になる頃には、みんなこぞって履いてたお洒落なコンバースのハイトップとか、「スタン・スミス」や「スーパースター」などの見覚えのあるアイテムもありますね。ソールの部分が今よりも薄い気がしますが、基本的なデザインはほぼ変わってないですよね。


・約14日間通い詰めて取材したUCLAガイド

僕が食い入るように見たのは学生たちの寮個室の写真。
学生たちの個性溢れるライフスタイルが写真の隅々から伝わってきます。
当然、パソコンなど姿も無く、ビートルズのブロマイドや沢山のピンナップが壁を埋めています

まだ海外留学が一般的でなかった70年代。取材で海外に行くことさえ稀だった時代に約50日間、現地編集部を置いて取材したスタッフたちが、「自分たちの欲しい情報は大学生たちが持っている」ことに気付き、UCLAへ約2週間通いつめて学生たちに話を聴きながら、まとめあげたアメリカの大学(というかUCLA)の総特集です。

カラー13ページ+モノクロ14ページという、信じられないくらいのボリュームを使って、UCLAの硬軟織り交ぜた情報をびっしりと紹介しています。大学のオフィシャルな入学案内にも使えそうな勢いです。当時、取材を担当したライター・松山猛氏は「もしかしたら大学生たちより大学のこと詳しかったかも」と回想されていますね。

僕が今見ても「これは憧れちゃいまって」と思うようなに西海岸の青い空の下のキャンパスライフです。下手すれば学生運動の残り香がまだ漂っていただろう日本のキャンパスとは、まるっきり対照的な、底抜けに明るくアクティブな大学生活が紹介されています。

【大学生の海外留学】
コロナ禍前の2019年(平成31年)には約10万人以上の大学生が海外留学をしていたそうですが(『海外留学協議会(JAOS)による日本人留学生数調査』より)、『留学ジャーナル』(創刊1983年)によれば、1984年(昭和59年)時点でようやく2万人を突破したとのこと。この『POPEYE』出版の時代には、稀有な選択肢だったことが伺えます。


・小林康彦氏の描いた原色溢れる西海岸ライフ

イラストレーター・小林康彦氏が現地滞在中に目にした西海岸カルチャーは
ビビッドな色に溢れていて男も女も健康的で開放的に見えます。
ヒッピーのビジュアルはすっかり鳴りを潜めて、ハッピーなルックスに
ウエストウッドビレッジのMAP。
街がまるごと専門店街のようです。こういう街はそこを歩くだけでも楽しそう!

12ページにわたって、誌面全体を贅沢に使った小林康彦さんの西海岸ライフのイラストレポートが続きます。写真とはまた違う空気感を伝えてくれる企画ですが、当時は「写真撮りに行くならまだしも、イラスト? そんなもの写真見て描けばいいだろ?」というのが出版界隈での一般的な反応で、それを英断したのは当時の編集長だったとか。


・リアルタイムに陽気で自由なアメリカを切り取っていく

たとえば流行りのスタイルのキャッチアップ。『POPEYE』の読者ターゲットを「シティボーイ」としたはいいものの、さて"シティボーイとは?"とその定義が話題に。そのとき、現地で取材をしてきたイラストレーター・小林氏から「ポロシャツを着るような子たちの雑誌なんじゃないかな?」との言葉が出たくらい、当時の西海岸の若者たちは、猫も杓子もポロシャツ!だったようです。当時の日本では「ポロシャツ(ポロセーター)=白」という印象だったようで、カラフルに着こなす姿が新しかったんでしょうね。

確かに、どいつもこいつもポロシャツだぜ。
こうやって写真を見て気付いたこと。「眼鏡顔だけはラガーシャツが似合わない」

カリフォルニアでの飾らない人々の日常を切り取っている記事は多く、例えば「お部屋紹介」のようなページもあれば「うちの父ちゃん」みたいな記事もあります。とにかく演出なしのリアリズムが、そこにはありますね。

個人的に目が止まった、’49年式の古いシェビーと、当時最新の’76年式ブレイザーの
フルサイズピックアップ2台持ちの暮らしがウラヤマしすぎるソマーズ夫妻の家
「なんだか親父と子どもがカッコイイ」そんなことを思ったスタッフが企画した
「California Big Daddy」のページ。子どもと一緒に半パンでスケボーする親父は確かに眩しい
まあ男性向け雑誌なんで、ゆるっとこんなコンテンツもありました。
しかし、みんな健康的で堂々としてますよね。どんなお婆ちゃんになってるのでしょう

◉編集後記など

僕が気になるコンテンツなどを掻い摘んでご紹介してきましたが、創刊号編集時の熱量みたいなものが、じわっと伝わると嬉しいなと思います。まったく新しい、これからくるだろう時代をキャッチアップして届けてやろうという編集スタッフの気概みたいなものも感じませんか?

(左)編集後記:当時パリ在住だった堀内誠一氏の表紙エピソードなども
(右)コラム&次号予告:「だからポパイが登場」というキャッチフレーズなどを紹介

上のコラム(右ページ)の中にこんな文章たちがあります。

◉アメリカ西海岸の一地帯を切りとって、単に人間たちの生活地域として観察してみたとき、いままでと違った、若者たちの活気にみちた生活行動の実態が特に目につきました。そこには、反体制だのシラケだのという空疎なものは微塵もなく、実に健康的で具体的生活があったのです。このさわやかさは、いままで繰り返されてきた、若者世界の風俗現象などとはまったく異質のものであり、明らかに新しい人間社会のライフ・スタイルを暗示するものではないかという実感から、ポパイ登場となったわけです。
「ポパイ」は、自分たちの関知できない事柄や、実感のともなわない事象を受けうりや、想像で表現するような雑誌にはしたくない
◉日本では、毎日ぼう大な数の出版物が刊行されています。ラジオも、テレ ども、映画もあります。その無数の情報とエンターテイメントの中で"あれ はいい"といわれるためには、いろいろなことをやらなければなりません。 人生を楽しむ精神を失えばイマジネーションも、またしぼんでしまいます。

時代の潮目を敏感に嗅ぎ取って(たとえば『平凡パンチ』の衰退とか)、これからの時代、自分たちのカルチャーはどこに向かっていけばいいのかを自ら手探りして、辿り着いた西海岸という未踏の地に「これだぜ!」と確信めいたものを感じながら生み出されただろう記事の数々(実際には『宝島』が先行して西海岸カルチャーに目を付けていたらしいですが)。そして、そこに感じる圧倒的なリアリティが、多くの読者を惹きつけたことで『POPEYE』は長年支持され続けたのだと思います。

それはひとえに「人生を楽しむ精神を失うことなく、イマジネーションを膨らませ続けてきた」からなのでしょう。そうでなければ、他誌と同じように紙媒体としての道は早くに閉ざされてしまっているはず。

なんか人生で初めて、がっつり『POPEYE』を読みました(笑)
そして、無料で質の高い記事が読めるWEBサイトがあることも知りました。


【余談】「From California!」の見開き写真奥にマクドナルドの店舗が映っているのですが、この時代、日本の1号店が銀座にオープンしてまだ5年くらいなんですよね(1971年(昭和46年)7月日本上陸)。この頃はまだドライブスルー型の店舗も無かった、と聞くと「はぇ~!」と驚きますね。



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