マンガ家になる運命を信じている少年少女たちの群像がここに
前回、石ノ森章太郎先生(当時、石森章太郎)が1965年(昭和40年)に書き上げた『少年のためのマンガ家入門』について投稿しましたが、今回はその続編です。同書の翌年(1966年)8月に出版された続刊『新入門百科 続・マンガ家入門』が、今の時代から見ると如何に激アツ激ヤバというお話。
◉全84通の「読者からのお便り」に答えるDJ形式
今回、この投稿をするにあたって、積読状態だった『新入門百科 続・マンガ家入門』を、ちゃんと頭から読んでみました。なにしろ、前著以上に文字量が膨大なのです。マンガ家入門なのに。なのでチラ見だけして放置してしまっていました。そして今回、その(文字の多い)理由が解りました。
誌面中の活字のほとんど(たぶん7割近く)が、前著を読んだ読者や石ノ森先生のファンからのお便りの転載なのです。
この本は、読者(基本、マンガ家を志望し自分たちでもマンガを描いている10代の子たち)からのお便りと、そこに書かれている疑問や相談に石ノ森先生が答えるQ&Aで構成されているのでした。「まえがき」からして、5人の読者からのお便りでほぼ埋め尽くされています。
※厳密には全222ページ中、半分ほどは石ノ森先生の作品と創作メモの写しなどで構成されていて、残り半分がテキストページと漫画協会会員名簿です
もうとにかく、いろんなことが衝撃的で、読み始めたときはクラクラしながら読んでいたのですが、だんだんとその世界に慣れていくと、ちょっと俯瞰して見ることができるようになりました(笑) 今回は、その"いろんな意味で僕のハートにビンビンきたコト"を僕なりに整理して書こうと思います。
◉1年後も基本スタンスは変わってない石ノ森先生
前著について僕は、これは優しいだけの入門書ではなく、マンガ家をめざすならそれなりの覚悟を決めろ。それが出来ないのなら趣味に留めて置きなさい。という石ノ森先生からの檄が詰まった一冊だと紹介しました。今回の続刊においても、石ノ森先生のそのスタンスは変わっていません。当時、マンガ家という生業に生きる先生ならではのリアルな日々に裏打ちされたメッセージなのだと再確認できます。そして前著でも「石ノ森先生は、どうして夢見る読者たちに、そこまで現実を突きつけようとしたのか?」が気になっていましたが、この続刊を読むとその理由が見えてきました。
◉アツくアツかましき、"心ゼロ距離"の読者たちに驚いた
冒頭の「まえがき」に紹介されているお便りの内容から、早くも僕のハートにズッキュンきてしまいました。前著に対する感想などをしたためて送っているのですが、たとえばこんな感じです。
「なんて厚かましい連中や!(笑)」というのが僕のファーストインプレッションでした。著名人やタレントへのファンレターなんて書いたことがないので解りませんが、基本的にはファンレターとは作者へのリスペクトをしたためて送るものだと思っていたので、こんな感じで普通にダメ出し、踏み込んだ要望・要求が書かれているのは衝撃でした(もちろんリスペクトも併せて書かれていますが)。
ストレートに「あの作品はつまらなかった」とダメ出しするだけでなく、「他の作家さんのほうが好きだけど、石森先生のほうが緊張しないで書けるので手紙を出しました」とか変化球で投げてくる子もいたりします(笑) 中には追伸に
とかサラッと書いている人もいるし、返事を要求する人もたくさん。
自分の作品を同封する人もいれば、返信用封筒まで入れてくる人もいる。まあとにかく書き出したらキリがないです(笑)。気持ちはわかるのですが、僕ならきっと迷った挙句「さすがにそこまで要求できないなー。忙しいマンガ家だし、返事なんか書いてくれるはずがないじゃん」と自制しそうですが、本書に登場する少年少女たちにはそんな遠慮はありません。めちゃくちゃ前のめり。作家に対するファンの心理的な距離が、"近所の知り合いの人"くらいに近いことに、まず驚きました。
◉話すように書かれた手紙のボリュームに驚いた
石ノ森先生もデビュー前に手塚治虫先生にめちゃくちゃ分厚いファンレターを送ったら、それ以上に分厚い返事が返ってきて驚いた、というような話を書かれていましたが、一人ひとりの文量がハンパ無いです。これをワープロすらない当時、手書きでせっせと書いていたかと思うと、当時の人たちにとっての「手紙」は「会話」に等しいコミュニケーションツールだったんだなと、強く感じました。書く方もパワーが必要ですが、読む方も大変です。読みやすい文字や文章ばかりとは限らないでしょうし。
そういう数多の手紙の中から選ばれた84通を、ひとつひとつ原稿に起こして、版面作って・・・と想像すると気が遠くなりそうです。ここでは、そのボリュームを実感してもらえそうな文面を2つほど、画像で貼っておきます。とてもじゃないけどテキストに起こすのはやりません(笑)
◉マンガ家になりたい!という中高生の熱量に驚いた
ここに登場する殆どの読者が「マンガ家を目指したい、目指そうと思っている」中高生だったり、既にマンガを描き始めて、投稿などもしているようなそんな子たちです。どれくらいの割合なのかは解りませんが「あとがき」の中で石ノ森先生自身が「ある県の小学校の子どもたちは、将来の希望として『マンガ家』と答えた者が一番多かったとききます」と書かれていて、この時代のマンガブームとマンガ家人気を伺わせます。
ちょっと前のYouTuber人気となんだか似ているなと思いました。この本にお便りしてきた当時の中高生の多くは、HIKAKINさんやヒカルさんたち憧れる今の中高生とあまり変わらないのかもしれません。
親や教師たちに「マンガ家なんて、バカな夢を見てないで、ちゃんと勉強してまっとうな仕事に就きなさい」と言われながら、隠れてケント紙相手にカリカリとGペンで漫画を描いている子どもたちの姿が目に浮かびます。そしてそんな子どもたちの目線に下りながら、
そんなニュアンスで嗜める石ノ森先生。こんな手紙も取り上げられています。
「全然"私事"じゃないし」と思わず突っ込んでしまう内容ですが、これにはまだ続きがあるのです。
一週間で催促の手紙! よほど切羽詰まっているのか、情熱が溢れ出して止まらないのか? 自分の一方的な想いを詫びつつも、主張は引っ込めることなく、またしても返信用封筒入りです(笑)
手紙でもこんな具合なので、実際に仕事場に押しかけて「弟子にして欲しい!」と言ってくる子どもたちも多かったようで、中には小学生の女の子もいたとか。ですが、石ノ森先生はきっぱりとこう書かれています。
石ノ森先生に憧れてこの本を買い、あわよくば彼のアシスタントを経由してマンガ家になれたら・・・と夢を膨らませてここまで読み進んできた少年少女にとっては、衝撃の一言。バッサリ袈裟懸けです。
しかもこれがですね、191ページの最終行に「さて、ではご返事いたしましょう。」とあって、めくって192ページの1行目でこの言葉なんですよね。これは絶対に確信犯的改行でしょう。ページをめくる指がここで硬直してしまた読者は、香川の原淵くんだけではなかったと思います。
◉すべての登場人物の個人情報ダダ漏れなのに驚いた
そして最後に、一番驚いたことを。まあ、当時ではわりと当たり前だったことだとは思いますが、この本に登場するお便り投稿者の皆さん、84名全員、フルネームで住所も番地まで掲載されています(一部町名までのものも)。当時の個人宅住所です(笑) 「〇〇様方」なんてのもあるし、寮だと会社の名前まで書いてあります。「さすが、昭和。コンプラ無きフリーダムな時代だ!」と思っていたのですが、それは、こんなお便りに対しての石ノ森先生からのアンサーでした。
いやいや💦人気マンガ家に自分の文通友達のマッチングお願いしないでしょ(笑) でも彼女にとっては切実だったんでしょうね。他に手段も思い浮かばなくて。可愛らしく健気でもあります。
先生自身も「"さしつかえ"があるかも」と書かれているので、この時代でもちょっとスタンダードではなかったのでしょう。しかし、石ノ森先生が自ら辿ってきた道のりをベースにした発想や、未来を担ってくれるやもしれない若者たちへの期待と信頼を感じる(個人情報掲載の)仕掛けだなと思いました。これを敢行できるだけのマンガ界・マンガ家の勢いがあった時代なのでしょうね。今なら「なにしてくれてんねん!!」と大炎上しそうな気がします。というか、するでしょう(当時もしてたのかな?)
そして極めつけは巻末の「日本漫画家協会会員名簿」です。なんとこちらも全会員の住所入り(笑) もう60年前の住所ではありますが、著名なマンガ家さんたちの住所(おそらく地名や地番からしてほとんどが自宅)が、あっけらかんと掲載されているのに唖然とします。たとえば、1枚目の<あ~い>のところはこんな感じです。
これもまた、前述と同じ理由で、石ノ森先生としては、
というメッセージのひとつなんだろうなあ、と感じました。
最後の最後まで、あの時代の熱量を1℃たりとも下げることなく封じ込めていた本でした。この時に夢見る10代だった中高生たちは、もう70歳とか80歳とか、僕たちの大先輩です。こんな熱量を持って、自分たちの夢を叶えようと純粋無垢に、その結果として厚かましく赤裸々に、掴めるものはなんでも掴んでやろう!と鼻息荒くしていた世代。そりゃ、たくましいよね。
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