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アキレア

フォローさせていただいている方の投稿で、誕生花の存在を知った。
365日、何かしらの植物が割り当てられているという。
さっそく家族の誕生花を調べるとぼくと妻の誕生花は低木で、マンションの専用庭では育てられないので記憶にも残らなかったが、娘の誕生花がアキレアだったのに驚いた。ちょうど次の春に植えようと思っていた花だったからだ。
キク科の多年草で、和名をノコギリソウという。
草丈一メートルほどで小花が皿状に固まって咲く素朴な花だ。
よく覗く園芸ネットショップで印象的なオレンジが目を引き知った花だった。
気になっていた花が娘の誕生花と知り、次の夏まで咲かないだろうが秋は植え付けに適しているので、すぐに注文してエキナセアの斜め後ろに植えた。

そのアキレアを植える前、七月ぐらいからの数ヶ月の間、小学1年になる娘の様子がどうもおかしかった。体ではなく心の様子がだ。特に診断を受けたわけではないが、小さい子供特有のものだと思う。

そもそもコロナ禍で迎える新一年生というのは、幼心が蝕まれる危険を充分に孕んでいたんじゃないだろうか。
それでも一学期の途中までは学校も学童も緊張と期待を胸に、楽しく通っているように見えた。先生や友達のことを大好きなどと言っていた。

夏休みの直前から、いろいろなことに対し、消極的だったり拒絶することが徐々に増えていった。
まず学童を嫌がりはじめ、続けさせようと奔走したがとうとう辞めてしまった。
以前は誘われるがまま嬉しそうに公園に遊びに行っていたのが、徐々に頻度が減り、挙句居留守を使って断るようになった。
習い事の英会話も、始まる直前になると極端に嫌がるようになった。
休日も散歩や買い物程度の外出では付き合ってくれず、家に篭るようになった。
学校や学童の先生に聞くと、友達と楽しそうに過ごしていると言う。

積極的だったのはYouTubeとおやつに対してだけだった。
夏休みに入ると、特にYouTubeは中毒的になってしまい、みるみる視聴時間が増えていった。ある休日なんかは、朝目を覚ますと同時に「YouTube見ていい?」と放った第一声に身の毛立つこともあった。
いろいろ試みたが在宅といえど共働きの家庭では、うまく対応できず手を焼いた。
思い通りいかないことがあると癇癪を起こすようにもなり、その頻度、激しさは日に日に増していった。
生活の端々、特に夕方から夜にかけて癇癪のポイントは多々あった。
YouTube&おやつの抑制時、嫌がる夕飯、宿題、風呂、就寝の促し時。
各所に爆弾が仕掛けてあり、娘の機嫌次第でいつどこで爆発するかわからない。そんなゲリラ戦の様な生活をぼくら夫婦は怯えて生きていた。

「イライラする!イライラする!」
どこで覚えたか知らないし、本当の気持ちを言い得ているかもわからないが、癇癪を起こすと、決まってそう泣き叫ぶのだった。

最初のうちは妻が上手く宥められていたが、落ち着くまでの時間は徐々に伸び、妻の抱擁を拒絶する頻度も増えた。
最終的に「イライラする!イライラする!」が飛び出すと、こちらに背を向け、何を言っても泣き止まず理性を失ってしまう。
妻の持ち駒がなくなりどうすることもできなくなると、抵抗する娘を強引に持ち上げ無理やり外に出すしか無くなる。泣き止むまで近所迷惑ではあるが、外気を吸わせると高確率で落ち着くのだ。
そのまま自販機まで行き大好物のネクターピーチを買って飲ませると、ようやく少し会話ができるようになる。
ただ、癇癪中は父であるぼくへの敵対心がなぜだか増幅し近づくとより暴れるので、娘は妻が抱きかかえ外に連れ出すほかなく、家事と仕事、そしてここに至るまでの対応で疲弊している妻にとってそれはまるで命を削っているかのような戦法で、軽々しく行えるものではなかった。

そんな時、何もできないぼくは裏方に徹する。
必死の形相で娘を抱きあげる妻に素早く上着を羽織らせ、玄関に先回りしクロックスを履きやすいよう足元に並べ、扉を開け、エレベータのボタンを押す。取り乱す娘の視界にぼくが映るとまた泣き出すので、サッとぼくは部屋へ戻り、二人がネクターピーチを手に軽く笑い合いながら戻ってくるのを祈りじっと待つ。

夏休みの後半は、こういうことがない日の方が珍しかった。
二学期が始まると日中学校に行っている分、YouTubeを見る時間が減ったのはいいことだったが、今度は学校へ行き渋るようになった。

最初は月曜だけだったが、ほとんど毎日になるまでそう時間は要さなかった。
行き渋る娘に対し、妻がなんとかいいくるめ登校させていたが、日に日に行き渋りが激しくなる中、学校までママも来てくれるなら行くというので、しかたなく妻が学校まで付き添うようになった。
それは母子登校といわれる状態で、不登校の前兆になるものらしかった。時に可哀想なくらい拒絶するので休ませるべきか、無理に行かすべきか、悩ましかった。
半べそかいて嫌がる中なんとか登校させても、帰ってくるとケロリとしている。
「楽しかったー」などと言ったりもする。そして寝る前だったり、翌朝にまた行き渋る。その二面性に心の脆さを感じ、焦りも覚えた。

状況はなかなか好転しない。
帰宅すると暇さえあれはYouTubeを見ようとし、癇癪も一定の頻度で起こし続けていた。
大人も同じだが、特に日曜の夜は不安定だった。
「あしたがこなければいいのに!」
「パパわたしのきもちなんにもわかってない!」
「こんな気持ちじゃ眠れない!」
そんな大人顔負けの台詞が胸を突き刺すこともあった。

ある夜、皆が寝静まった後、何気なく娘の自由帳を開くと、とあるページに、「へんしんまえ」「へんしんご」と注釈をつけられた2体のプリキュアが描かれていた。ぱっと見違いがわからないが表情が少し違う。娘は絵が得意じゃないので、とてもヘタクソだ。
「休み時間、何をしたらいいかわからない時がある、そんな時はひとりで自由帳に絵を描いている」と、曇った表情で言っていたのを思い出した。
体に対しとても大きな顔の輪郭は、何度も消して描き直した形跡があった。
数ヶ月前一年生を迎えるのに期待に胸膨らませていた娘が、どんな気持ちで好きでもない絵を描いていたのかと思うと、単なる子供の絵が、とても悲しいものに思えた。同時に「はて、自分は娘に何をさせているのだろうか?」と虚しい気持ちにもなった。このままではいけないとその時強く感じた。

娘の問題が起こってからの唯一の救いは、妻との会話が増えたことだった。
仲が悪かったわけではないが、ここまで深く共有できる問題(話題)は最近はあまり無かったかもしれない。娘のその日の機嫌の良し悪し、出来事などを報告し合いそれに対する意見を交換するようになった。自分以外の意見を聞くとやはりハッとさせられることもある。子育てに対しなんとなく持っていた信念がなんの根拠もないことにも気がついた。そこまで厳密ではないが、こうなったらこうしよう、ああなったらこうしようなど作戦も練った。多少意見の相違があったとしても、どちらかに歩み寄り対応は揃えるようにした。
「今日はひどかったね」
「今日はまあまあうまくいったね」
などと、妻が娘と寝落ちしなかった日は感想を述べあった。

具体的な対策、偶然、時間の経過、諸々がうまく作用したのだろう。
少しずつ娘の様子が落ち着いてきた。

ソリの合わない友達と遊ばなくなり、代わりに新たな仲良しの友達ができた。
コロナが落ち着いてきたことで、楽しみな学校の行事が増え、休日の行動範囲も広がった。
YouTube対策で、ブレーブボードを買ったり、ドラクエウォークを始めたり、仲のいい親同士で連絡を取り遊びの場をセッティングしたり等、外へ意識が向かうよう努めた。
休日はノープランで迎えることを控え、なるべく外出するような計画も練った。
家にいる時もなるべく娘を放置せず相手をした。将棋、オセロ、ごっこ遊び、相撲etc.
嫌がっていた英語教室を辞め、前からずっとやりたがっていた、幼稚園からの友達が多数通っている体操教室に希望通り通わせ始めた。
目に見える環境の変化はそんなところだろうか。

癇癪の頻度、激しさも徐々に和らいできた。
妻の言うことに耳を傾けるようになり、YouTubeを見る時間も限定的になった。
学校から帰ると以前のように友達と遊びに行くようにもなった。
学校の行き渋りも減り、母子登校もマンションのエントランスまででよくなった。

今では来週催される学芸会がずいぶん楽しみのようで、毎日大声で自分の台詞を馬鹿みたいに繰り返し叫んでいる。学芸会が終わってもイベントは続く。ぼく、妻、娘の順で続く誕生日、クリスマス、お正月。「これから楽しみなことがいっぱいある!」と絵に描いたようにはしゃぐ娘の姿に、ぼくと妻は胸をなで下ろしている。
母子登校が数年続いたり、挙句不登校になる話も聞いていたので、正直こんなに早く落ち着きを取り戻すとは思っていなかった。

それでも毎週ではないが日曜の夜、月曜の朝などは激しくグズる時もまだある。娘の機嫌やこちらの注意するタイミング、言葉選びによってはまだ爆発的に癇癪を起こす時もある。まだまだ油断は禁物だ。

休日意識的に娘との時間を増やしたので、代わりに庭へ出る時間は減った。
そのため、今年の夏の一年草達は世話が間に合わず全体的に花付きが悪かった。
それらは処分したが、次に植えるパンジーやビオラ類はまだ準備できていない。
先日植えたアキレアはギザギザした細長い葉の数を少しずつ増やしているが、今年はもう咲かないだろう。

アキレアの名はギリシャ神話の戦の英雄アキレスに由来しているという。
花言葉は「戦い」「勇敢」。
苦しんでいる娘の誕生花のこの勇ましい花言葉に運命を感じ、困難を逞しく乗り越えて欲しいという願いを込め植えたのだった。
この花が咲く次の夏、娘はいったいどうなっているのだろうか?

「イライラする!イライラする!」
できればもう二度と聞きたくないが、背を向けた娘がこう泣き叫ぶ夜はきっとまた訪れるだろう。
娘だって泣きたくて泣いているわけじゃない。戦っているのだ、必死に。
思いきり泣くといい。
目の前にいるであろう、得体の知れぬ何かがくたばるまで。

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