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エキナセア

台風一過のある日、妻と娘がお義母さんの家に泊まりに行くというので、夕飯は自分で調達せねばならなかった。
稀に訪れる一人の夜を有意義に過ごそうと思案した結果、自転車で15分ほどのところにあるラーメン屋に行こうと決めた。
帰宅後は早めに仕事を切り上げ、酒を飲みながら映画でも見ようと胸を躍らせた。
時間も金もない自分にはささやかながらも贅沢なご褒美だ。

午後5時半。一旦仕事を切り上げ、いざラーメン屋に向かう前に庭に出た。
昨晩の暴風雨で今朝の時点で我が家の植物たちが甚大な被害を被っており、夕方になった今、どこまで回復したか確認するためだった。
予想通り全体的に状況はあまり変わっていなかった。
リビングの窓を開けた正面の奥、我が庭の一番いいポジションに隣り合って陣取る二株のエキナセアの状態が最も気になった。この時期の主役のその二株は、通常力強く7-80cm直立しているはずが、地面から45度くらい体を傾けた状態のままだった。
はたしてこの状態から回復は望めるのだろうか。花のピークは過ぎたが咲き進むたび表情を変えるエキナセアは、秋口に枯れる直前まで趣があり見応えがあるのだ。こんなところで倒れている訳にはいかない。
半円柱状の支柱がちょうど二つ、花が終わったカサブランカの鉢に刺さったままだったので、それを二株のエキナセアに使うことにした。
支柱によってひとまず体を強引に持ち上げたが、風雨による湿気のせいだろうか、よく見ると片方のエキナセア(グリーンツイスターという名の、イガグリのような中心部から伸ばす花弁の緑が、徐々に渋みを帯びた赤色に移ろうイカした品種)の茎や葉に白い粉が塗されたようになっている。詳しく病名はわからないが、うどんこ病か何かの病に侵されていることは一目瞭然だった。
ケータイで対処法を検索しつつ、すぐさま白くなっている葉をちぎり、ひとまず病害虫予防のスプレーを噴射しておいた。

気がつくと空が徐々に暗くなり始めている。なんやかやで1時間近く時間を取られていた。今日中に仕上げておかねばならない仕事もそれなりにあった。自転車で15分かけてラーメンを食いに行っている場合ではないかもしれない。
やや焦りを覚えたので計画を変更することにした。
次に照準を定めたのは、歩いて五分ほどのところにある喫茶店のナポリタンだ。
件のラーメン屋には及ばないがこれもまた十分贅沢と言えた。

喫茶店は近いので運動も兼ねて歩くことにした。
マンションを出ると空の変化に驚いた。
台風一過の澄んだ大気のせいか、いつもより夕焼けが綺麗だった。
急いで自宅に戻りフィルムカメラを手に取り、マンションのすぐ隣にある、多摩丘陵が一望できる小高い丘に登り、そこから黄金色の夕焼けを何枚か写真に収めた。
夕焼けの美しさをひとしきり堪能すると、踵を返しいざ喫茶店へ向かった。
到着して入り口の扉を見て肩を落とす。喫茶店が閉まっていたのだ。
コロナの影響で営業時間を変更しているようだった。
ラーメンに続きナポリタンかの夢も潰え途方に暮れた。
こうなると徒歩で来たことが悔やまれた。ここから他の店へ行くにも、自転車を取りに戻るにも、その後飯を食って帰ることを考えると相当時間がかかる。

その時、ビルの隙間から真っ赤な空が視界に入り思わず二度見した。
薄いブルーから稜線へ近づくにつれ黄金色に輝いていた空が深みを増し、濃紺の空から茜色を越えた燃えるようなピンクへのグラデーションへと変貌しているのだ。
ビルの隙間から見てギョッとしているのだ、先ほどの丘から望む感動は想像に難くない。
どうやら見立てを誤ったようだ。夕焼けを舐めていた。
せっかく丘へ登ったのなら完全に陽が落ちるまで見届けるべきだった。
またあの丘へ戻るか一瞬迷うが、これからあの丘の頂上へ行くには10分以上かかる。刻々と変化する夕焼けだ、その頃には日は完全に落ちているだろう。
悔しいが夕焼けは諦めることにした。

それにしても夕飯だ。減りゆく時間と、残された仕事量の均衡が崩れ始めている。
焦りから夕飯などなんでもいいような気がしてきた。
自宅マンションに戻る途中にコンビニがあるので、そこでカップ焼きそばを買おう。リモートワーク移行後、食す機会が激減した大好きなカップ麺。あの背徳感もまたある意味贅沢と言えなくもない。ちらちらコンビニで目にしていて食べたいと思っていた目ぼしい商品もあった。あれを買おう、あれが今日のご馳走だ。そう決めた。

しかし、商品の入れ替わりの時期なのか、コンビニに目当ての商品は無かった。
時間もないのでしかたなく別のカップ麺を迷わず買った。
買い物をするつもりもなく家を出たのでカバンも持っておらず、カップ麺も素手で掴むしかなかった。
歩くたびカップ麺から疎ましく鳴るシャカシャカという音は「予定なんて崩すためにあるんだから」という僕への戒めのようだった。

コンビニを出て足早に自宅へ戻ろうとしたその時、またしても空に目を奪われた。
燃え上がるピンクの夕焼けが予想以上に状態を保っていたのだ。
「これはひょっとしたら急げば丘の上から望めるぞ」という希望が湧いた。
どうせ後は家に帰るだけだ。丘の頂上に行って帰って15分そこら、行くしか無い。
自宅マンションを通り越したあたりで、人目を気にしての徒歩のもどかしい速度に耐えきれず自然と駆け足になった。
駅に向かって急ぐならわかるが、ランニング風情でもなく、短パンTシャツで、首にぶら下げたカメラを派手に揺らし、手にはカップ麺を握りしめた、そんなおじさんが蒸し暑い夏の夕暮れ時に、丘に向かって走るのはただ事には見えなかったかもしれない。
妻のママ友に目撃される可能性もあったが、体裁を繕う余裕がないほどにやけくそになっていた。

丘の頂上に着いた頃には案の定夕焼けは終わったと言える状態だった。
はるか先に望む漆黒の山のシルエットとの際がわずかに黄色味を帯び、その上空に浮かぶ一筋の雲にかろうじて赤い輝きが残る程度だった。
最も色味が残る方に向かって、何枚か写真を撮ったがコンパクトフィルムカメラでまともに撮れる明るさではない。
シャッター音が余計に虚しく響く。

息が落ち着く間もなく丘を降り自宅へ戻った。
カップ麺を食べ、仕事へ戻る。
予想はしていたがやはり時間に追われ、焦りながらも12時を超えたあたりでケリをつけられた。
明日も仕事があるし、のんびり映画を観る時間ももちろん無い。
あれだけ小さな無駄な時間を積み重ねたのだ、仕方がない。

短い時間だが酒だけは飲んだ。
酒を飲みながらこの半日を思い返す。
決して多くを望んだわけでは無い。
一人の夜をちょっとだけ贅沢に過ごせればそれで良かったのだ。
どこから計画が狂ってしまったのか探るまでも無い。
エキナセアがあの時僕を引き止めなければ、時間に焦ることもなく、夕日に気づくこともなく、自転車でラーメン屋に行き、ラーメンを食い、余裕を持って仕事を終え、酒を飲みながら映画を観て、至福の中床に就くはずだった。

「全部エキナセアのせいだ」

そんなフレーズが頭に浮かぶと、なんだか充分夏を味わった気になり、鬱々とした気持ちは一瞬で晴れた。

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