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「仕掛けの技術」読書会に参加して

土曜日は、若松俊介先生が書かれた「仕掛けの技術」の読書会に参加させていただいた。

上條先生、若松先生を始め、多くの先生方と話し合っていく中で自分の中の考えにも変化があった。以下、本を読む前に抱いていた「仕掛け」に対する私の考え。そして、会を終えた後の私の考えを述べていきたい。

① 本を読む・会に参加するまでの「仕掛け」に対する私の考え

以前の私の「仕掛け」に対する考えは、

「教師の意図することに、子どもを上手く乗せること」

だったように思う。言葉にすると、かなり子どもをコントロールしたいという考えが表れているように思う。つまり、「子どものためのもの」ではなく、「教師のためのもの」と考えていた。

② 会に参加した後の私の考え

会に参加して、著者である若松先生に質問させていただいたり、参加者の方々と話をしていく中で以下の様に私の考えは変化した。

「仕掛けは、子どもを知るための一つの手段」

例えば、本の中に「自立性」を育てる仕掛けとして、挙手関係なしに考えを聴くとある。

以前の私は、発言していない子どもを何とか参加させるために挙手指名を行ていた。つまり、この仕掛けを「教師のため」に行っていたのである。こういったことを続けていた結果、子どもとの関係性が悪くなっていたように感じた。

若松先生は、「本当に目の前の子どもの考えをしりたい」という思いから挙手指名なしに考えを聴いていることを知った。

会でその考えを聴いた後に、改めて本を読み直すと仕掛けのどれもが子どもを知りたいという思いで溢れているなと感じた。

僕も小学校教諭になりたいなと感じていた学生時代を思い出すと、「子ども一人ひとりを大切にしたい」とずっと思っていた。改めて、自分の中の大切にしたいことを再確認できた。

子どもを知る事は難しいし、知れたと感じることはこの先ないかもしれない。でも、知ろうとする努力はできる。若松先生は、到底自分では真似できない努力をしているんだなと会でお話を聴きながら感じた。教師は、ほぼ毎日子どもたちと出会える素晴らしい職業である。毎日の子どもとの関わりを大切にし、子どもを知ろうとする努力をしていきたい。

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