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気持ち

気持ち
わたしの北京の会社に優秀な女性スタッフがいます。
もちろん彼女はとっくに結婚もしていて幸せです。そして仕事をしてくれています。
彼女がたまに、会社を休んでお母さんに会いに行くと言います。
彼女の出身は安徽省、そこに行くにはまず上海に新幹線に乗って、4時間10分、そこから彼女の故郷へのバスで7時間です。彼女の妹も上海に近い蘇州に住んでいます。そこからお母さんに会いに行くのです。

わたしの女性スタッフはその日を指折り数えて待ち望んでいます。わたしもランチの後にお母さんにあげる女性の靴を買いに、会社のそばの百貨店に付き合ったことがあります。


デパートの靴売り場で、写真を撮ってお母さんに送ります。お母さんは色は良いとか、歩きやすい?とか聞いてきます。でも値段を聞くと決まって、高いからもっと安いものをと言います。そしてワゴンセールのものを見つけます。また写真を送ってみても、「まだ高いからいらない」と言っているのです。そして1時間迷って、中で一番お母さんの好きな色の安い靴を買います。もしここで高いものを買おうなら、お母さんから「それを北京に持ち帰って返せ」と言われてしまうからです。もちろんわたしのスタッフは夫婦で働いていますから、お母さんに高価なものだって買えるのです。しかし、そうやってお父さんのものも、妹のものも買うのです。
彼女にはそんなやりとりが最高に幸せなことなのです。

そして数日後、ニコニコしながら故郷に帰っていくのです。
そして10日間が過ぎ、彼女は北京に戻ってきました。お母さんと離れて寂しいと言っています。
そしてわたしに「お母さんと妹の写真を見てください!」と言って写真を見せるのです。「まあいろいろなところに行った記念写真10枚くらいかな」と思って私はその写真を見ると、なんと数100枚の写真ではないですか!
700枚近い、お母さんと一緒に写った家族の写真です。
それを私に見せながらまた彼女は泣いているのです。

彼女はお母さんの言葉を話してくれました。
「お母さんは、娘2人がこんなに大人になっても、旦那さんも仕事もありながら、こんな遠い田舎のお母さんに会いに来てくれて、そして1週間も昔に戻ってみんなで畑の野菜を採ったり、お茶の畑で働いたり、こんな嬉しい時間があるなんて、世界でいちばん幸せなお母さんです。この世の中に生まれてきて本当に良かった。」と。
そんな話をしながら、私にしては全部一緒の家族の写真を一枚ずつ見せてくれるのです。

私は驚きました。そして彼女は満面の笑顔で「ほんとうにいいお母さん」と言い続けていました。
こんなのって、昔は日本にもあったでしょう?
「幸せということは、本当はこういうことだった」と私は思いました。

彼女の故郷では周りの畑から野菜を採ってきて炒めたり、煮たりして食べているだけです。山に囲まれた近所に肉なんかありません。たまに川で捕れた魚を焼いたり煮たり。


お金ではないのです。

「家族が一緒に過ごせる時間」こそが最高の贅沢なのです。
それぞれがどんな境遇にいても、みんなで助け合って生きていくのです。
それが家族であり、友達なのです。
お金や食べ物とか、住む場所とか、仕事の地位と名誉とかではけっしてないのです。

わたしはそんな彼女が泣きながら見せる写真を見て、こちらも泣けてきました。あまりにも素朴な、人間のほんとうの姿が見えたことに感動したのです。中国はほんとうに広く、大きく、深いのです。

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