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自殺願望の話

みなさん人生どうですか?僕は相変わらずです。

思春期の「死にたい」という衝動は大人視点だとかまってちゃん99%、1%が本気のそれだと思ってますが、それも狭い視野の中で本人視点中々冗談じゃない次元で抱いている場合もあり、人の胸のうちなど誰にもわからないものだなと強く感じます。その人の視点に立って物事を考えることは、人狼ゲームや社会生活においては真っ当に機能しますが、こと個人のデリケートな部分で言えば全くあてになりません。個人は分断されていて、決して文脈を完全に共有することはできず、見ている景色は百様に異なります。どこまでいっても、他人は他人。どこまでいっても、孤独。

思春期特有とされる自殺願望も、他人から見たら本当には理解できません。どれくらい死にたいのか?死ぬとはなんのことなのか?ああ、わかるよ。おじさんも昔は子どもだったんだ。子どもの時同じような気持ちになったよ。そう言われたところで「だから何だ」ですし、お前の気持ちを当てはめて俺のことを理解した気になるなよと憤慨する。益々自分は孤独だと、むしろ認識を強固にしてしまうのではないでしょうか。

大人になっても、神経が摩耗したというか慣れたというか、自分の内心に鈍感になれるだけで、嫌だなあ死にたいなあと願う人は、案外少なくないんじゃないかと推測します。

安易に口にしなくなるのは、本当に実行してしまった友人がいたり、死ねない理由があったり、まあどうせいつか死ぬし今じゃなくてもいいかという諦観があったりと経験に雁字搦めにされていくからなのかもしれない。

思うに生きていくということは、死にたくなくなっていくということなのではないかとふと考えます。

生存していくには労力がかかるし、大変なことも辛いこともいっぱいあります。憂鬱な会議がある。楽しいことがない。未来に希望がない。死にたいと口にすることもよくないと我慢し、機嫌良くいなさいと宥められ、逃げ道を塞いで、選択を繰り返して将来を絞っていく作業。考えなきゃいけないことも多いしね。これから身体も動かなくなり、頭も働かなくなり、意識が遠のいていく中人生を振り返ったりするだろうね。

その辛い辛い人生を少しでも楽しくするとか、耐える理由を見つけてなんとか生き抜くのが僕らの人生なのかなと思います。死んでも良いやと思いながら生きるのではなく、死にたくないなと思いながら生きるために、死にたくなくなるための努力をしていかないと辛くなっちゃうんだろうな。いや辛いのは辛いんだけど、耐える動機が必要なんだろうな。

僕も耐えられなくなる前に、生きる動機を持ちたいです。

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