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ファンになるな、の話

皆さん人生いかがですか?推しに推される話、まあ要するにゆるふわ脳みそテンションで言うところの「愛され○○」「自分磨きがんばってこ!」になるので頑張りましょうねというのが前回までの話。

がんばってこ!

皆さん人生頑張ってますか?現代日本の頑張りポイントって人によって様々あると思いますが、やっぱ「受験」「就活」あたりは頑張りポイントとして共通点になりやすいんじゃないかなと思います。受験も色々ありますが、世代の半分くらいが大学に通う時代で、もちろん大学の入学難易度は千差万別なわけですが『ドラゴン桜』『ブルーピリオド』など大学受験をテーマや一部に扱うフィクションも多いですし、ある程度の共通頑張りポイントと言えるのではないでしょうか。「就活」もそうですね。

で、この「頑張り」について、目標やゴールを「憧れ」として神聖化してしまうことがあまり良くないと思うってことを言いたい回になります。

※僕は「憧れの人」というものが存在しない質なので前提感覚がめっちゃずれてるかもしれません

その大学に入る、その会社・仕事に就く、は結局は自分のことなので、神聖化すればするほど自分の重ならなくなります。憧れは段差の明瞭化、神聖化は彼我の距離感の絶対化になると思っていて、その集団の一員になろうっていう人が「あの一員になれたらなあ」と感じてるうちはその集団の一員であるはずがない、ということの証左になってしまう。憧れに向かって努力して近付いていくことは重要で、近付くにつれ解像度を上げていくべきで、「憧れ」という低解像度のメッキは剥がれていかないといけないです。憧れって、なんかよう知らんということだとも思います。書いてて思いますがめちゃくちゃ感覚論やな。対等であってこそうまくいくって言いたいです。

これ人間関係でも一緒で「憧れのお姉さん枠」「憧れのアイドル枠」とうまくいくのはフィクションだけです。憧れ金メッキが剥がれ落ちないままなにかうまくいくとしたら、知らない間に自分も相手の憧れポジに入っているとかそんな感じでしょうか。

要は推しを推すにしてもただのファンにはなるな、全肯定後方腕組み彼氏面とかまあまあ無理枠だぞ。対等であってこそうまくいく(かもしれない)。しらんけど。


ちなみにその上で、勝手に対等だと思いこむと事案なので、対人関係の距離感バグらせつつ一線しっかり引いていこうな。

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