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幻のファミコンソフト『ルーンマスター』の時系列矛盾問題

前のnoteで書いた内容と大差ないので無料記事です。この更新は「月10回以上更新」の回数にカウントしません。(これ以外で10回更新します)

タイトルに「時系列矛盾問題」とか書いてますけど、別に「問題」というほどのことはないです。
最近のインタビューとかでは、なんかえらく短期間で『ルーンマスター』が頓挫したことになっている……みたいな話になります。


発売中止ゲームの本

先日、『ファミコン発売中止ゲーム図鑑』という本が発売されました。

基本的には、
「『ファミ通』や『ファミマガ』のバックナンバーに、こんな新作情報が載っていた(そして発売されなかった)」
というのを集めた感じの本です。

関係者に凸るような調査はなく、「どうして発売中止になったのか」には、あまり触れていません。

個人的には、『ルーンマスター』という幻のゲームについて、なにか新情報がないか期待していたのですけど……。
ほとんど『ファミ通』だけ見て書いた記事のようで、ちょっと残念でした。


前置き

『ファミコン発売中止ゲーム図鑑』では触れられていないのですが、『ルーンマスター』のメイン制作者だった宮岡寛さんは、インタビューや対談で、少しだけ当時のことを語ってくれています。

ただ、その話の内容が、過去の事実と若干食い違う気がします。
なので、その辺の重箱の隅をつついてみる……というのが今日の記事です。

以下、『ルーンマスター』まわりの出来事を、ざっくりと時系列順に書いてみます。


1985~1986年

『ルーンマスター』のメイン制作者だったのは、宮岡寛さん。
元々は、『週刊少年ジャンプ』のゲーム紹介コーナー『ファミコン神拳』の立ち上げメンバーのひとりでした。

ミヤ王

ミヤ王=宮岡寛さん

それから、ミヤ王は『ドラゴンクエスト』の制作にも参加しました。

宮岡さんのドラクエトークで印象的だったのは、2018年のインタビューなどで語られている呪文のネーミングの話でしょうか。

ドラクエ制作時、人気のRPGといえば『ウィザードリィ』で、それに登場する呪文は「マディ」や「ティルトウェイト」でした。
なので、みんながそういうのが呪文のイメージを持っていたところ、ファミコン初の本格RPGの呪文として堀井雄二さんが考えたのは「ホイミ」や「ラリホー」でした。

当時の宮岡さんは「ホイミってかっこ悪くないスか!?」と大反対したそうです。
しかし、現在の宮岡さんは、あとになって振り返ると堀井さんの言語センスは天才的だったと述べています。

そうして1986年5月に発売された『ドラゴンクエスト』は大ヒットして、シリーズ化しました。


1988年

それから、1988年2月の『ドラゴンクエストIII』まで、宮岡さんは制作に参加したそうです。
ただ、「『ドラクエIII』のころは文句ばかり言っていた」そうで……。

たとえばダンジョンだったら、おれは「地下迷宮なんだから迷うように作るんじゃないんですか?」と言う。
すると堀井さんは「いや、そんなものを作ったらプレイヤーが解けないだろう」と返してくる。
(中略)
まあ、そういう小さい衝突がいろいろあったわけですよ。
(中略)
「こういうことをやりたいんです」と言っても、だいたい堀井さんに「ダメ」と言われて。
その繰り返しで、なんとなく「方向性が違うかも?」という感じになってきたんだよね。
2018年のインタビュー

とのことで、堀井雄二さんと宮岡さんで、音楽性の違いみたいなのが大きくなってきたらしいです。

それで堀井さんとしては、「宮岡には宮岡の作りたいようなものを作らせて、自分が作りたい『ドラクエ』は、別なスタッフを集めてリスタートする」という感じがあったんだと思う。
(中略)
そのタイミングでバンダイから橋本名人プロデュースで「RPGを作ってほしい」という依頼があったから、「宮岡くんやってみない?」ということで、堀井さんが監修するという形で始まったのが『ルーンマスター』だったの。
2018年のインタビュー

それが、たぶん1988年のできごとだと思われます。

宮岡さんや堀井さんは、ゲーム作りと並行して『ファミコン神拳』の仕事もしていたのですが、それも1988年末に終了。

これからは

「ファミ神伝承者たちは、今ひとつの結論にたどりついた。『これからは、自分たちでゲームを作るしかない!!』と」

それで、2018年の宮岡さんのインタビューでは、次のように語られています。

『ルーンマスター』は世に出ることはないままに終わり、“ファミコン神拳”も連載が終了しました。
そして“ファミコン神拳”の最終回では、ミヤ王、キム皇、カルロスが「おれたちもゲームを作るぜ!」と宣言したところで終わります。
それが『メタルマックス』になっていくわけですね。

(宮岡さんは1988年に「有限会社クレアテック」を設立し、その会社で『メタルマックス』というゲームが開発されることになります)

このインタビューでは、「ルーンマスター終了 → ファミコン神拳終了」という順番っぽく語られています。
ただ、実際には、ファミ神が終わった時点では『ルーンマスター』の開発は進行中だったと思われます。

というのも、『ルーンマスター』の開発が公表されたのは、『ファミコン神拳』が終わっただいぶあとだったからです。


1990年4月ごろ

1988年末に『ファミコン神拳』が終わって1年以上が経ち、1990年2月に発売された『ドラクエ4』にみんなが夢中だったころ。
『ルーンマスター』の情報が、はじめて世に出ました。

1990年4月10日発売『週刊少年

『週刊少年ジャンプ』1990年19号(4/10発売)

「制作はなんとあのバンダイ!! ついにキャラクターゲームではない、本格完全オリジナルRPGを登場させるというわけだ」
「作っているのはこの人!! 宮岡寛さん」

「監修」の立場である堀井雄二さんのコメントは、次のものでした。

ほりいこめんと

宮岡くんのゲームなら、ボクも早くやりたいっ!!
「彼がついにボクから独立、自分のゲーム作りに挑戦」

てな感じで、ジャンプ読者が抱いた『ルーンマスター』のイメージは、「堀井雄二監修のゲーム」というより「ミヤ王のゲーム」でした。

それから、ゲーム雑誌にも『ルーンマスター』の情報が掲載されました。

1990年5月11・25日号(たぶん

『ファミコン通信』1990年5/11・25号(4/27発売)


1990年11月

『ルーンマスター』は、4月の初報では「完成はまだ先になりそう」という話でした。
その次の情報は、11月ごろになります。

1990年11月13日発売A

『週刊少年ジャンプ』1990年50号(11/13発売)

「完成間近」ではなく「完成接近」なのが、複雑な内情を反映していたのかも知れません。

いちおう、発売予定は「1991年春」。
「経験値がない」「自分からモンスターを追い詰め、狩っていくシステム」など、宮岡さんのデザインっぽい特徴が、色々と紹介されていました。

1990年11月13日発売『週刊少


同時期のゲーム雑誌には、こういう広告も出ました。

1990年12月7日号(11月22日発

『ファミコン通信』1990年12/7号(11/22発売)

ゲーム内容の分からない広告ですが、「堀井雄二が日本のスピルバーグになる」みたいなことが書かれています。

1990年12月7日号抜粋

スピルバーグは、ロバート・ゼメキスと組んで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を作り、ジョー・ダンテと組んで『グレムリン』を作った……そんな関係が、いよいよファミコンの世界でも生まれる!

堀井雄二さん(スピルバーグ)が、宮岡寛さん(ロバート・ゼメキス)と組んで生まれるのが『ルーンマスター』なのだ!!

……と、言葉の意味はよくわかりませんがなんとなく凄そうな気はしました。

ただ、『ジャンプ』の記事では、「ストーリーについては来月発表だっ!!」という話だったのですが、

ガハハ

この次の月の『ジャンプ』では、何も発表されませんでした。

それどころか、その後も『ジャンプ』に『ルーンマスター』の情報が載ることはなく、やがて忘れられました。


1991年5月

それから半年ほどが経った、1991年5月。
『ルーンマスター』に動きはありませんでしたが、宮岡さんが手掛けていたもうひとつの新作『メタルマックス』が発売されました。

これについて、宮岡さんが2016年に語ったところでは、次のような話でした。

とある新作RPGを、堀井さんが監修、僕がゲームデザイン担当で発売する予定で動いてたんですけど、完成させることができなかったんですよ。
開発上でいろいろトラブルがあって。堀井さんにも迷惑をかけてしまって。

それで自分にはゲーム作りは無理かな、と思っていたんですが、広告代理店から「ゲームを作らないか」とお誘いを頂いて、最後にもう一度だけ挑戦してみようと。それが『メタルマックス』です。

(『週刊少年ジャンプ秘録!! ファミコン神拳!!!』のインタビュー)

宮岡さんの回想では、『ルーンマスター』が失敗してから『メタルマックス』の話が来たという流れになっています。

これはほかのインタビューでも同じで……。

ぼくは『ルーンマスター』を完成させられなくて、「やっぱり自分にはゲームデザイナーは無理なのか……」と思っていたの。
いちばんの理由はプログラムがわからないから。たとえばプログラマーが逃げたときに、その尻を拭く能力がないわけだよ。
(中略)
……と思っていたら、昔の知り合いから「ゲームを作りたいと言っている会社があるんだけど、宮岡さんやってみない?」という話が来て、「じゃあ、最後にもう1回だけチャレンジしてみるか」と。

2018年のインタビュー

しかし、『メタルマックス』は1991年5月発売で、開発期間は2年以上だったそうです。
『ルーンマスター』は、1990年11月の時点で宮岡さんが「急ピッチで開発を進めている」という広告でした。

当時の資料では、『ルーンマスター』と『メタルマックス』は、ある程度同時に進行していたように思われます。
もしも、最近のインタビューで語っている通りだとすると、『ルーンマスター』が頓挫したタイミングが謎になります。

なお、頓挫の原因は「開発上でいろいろトラブルがあって」ということですが、具体的なことは語られていません。

「たとえばプログラマーが逃げたとき」というのは、本当に「たとえ」なのか、気になりますが……。
とにかく「自分にはプログラムがわからないからゲームデザイナーは無理」と宮岡さんが思うようなトラブルがあったらしいです。


1991年6月

なお、『メタルマックス』が発売したあとになっても、『ルーンマスター』は「今秋発売」とされていました。

1991年7月12日号(6月28日発

『ファミコン通信』1991年7/12号(6/28発売)

この時期、『ファミマガ』にも「ようやく完成」「発売日未定」という記事が出ているのですが、ここに来て「主人公こんなツラだったんだ」と分かりました。

ビジュアル

主人公は「勇者」ではなく、家賃も払えない貧乏な平民。
病気の妹(たぶん後ろの女の子)のために、薬代を稼ごうとしているそうです。

こいつは

こいつはセリフのあとに『ゴホッ』とせき込むのが特徴だ」

病弱キャラなのですが、まるで語尾が変なヤツみたいな言われようです。
ともあれ、この辺りが『ルーンマスター』の最後の情報になるのかなと思います。

この後、『ルーンマスター』は発売されることなく消えました。

1990年11月にスーパーファミコンが発売しており、もしも1991年秋以降に「新しいRPGです!」とファミコンで出しても、無理があったとは思います。


まとめ

繰り返しになりますが、

・『ルーンマスター』は、たぶん1988年に作り始めて、1990年4月に公表、1991年6月までは発売予定があった。

・『メタルマックス』は、遅くとも1989年前半に作り始めて、1991年5月に発売した。

・宮岡さんの話によると、『ルーンマスター』がダメになってから『メタルマックス』の話が来たらしい。

事実としては、『メタルマックス』が発売したあとも『ルーンマスター』は発売予定でした。
たぶん、1990年には『ルーンマスター』と『メタルマックス』は同時に動いていたのではないのかなと思います。

ただ、一般的にはもう、『ルーンマスター』が終わったあとに『メタルマックス』が始まったという認識で通っております。

宮岡氏によるゲームデザインでゲームを一本制作しようという話が浮上。その作曲者として挙げられたのが門倉聡氏でした。ですが、結局このゲームは日の目を見ることなく終わってしまったそうです。

その次に、宮岡氏に同様の話を持ち掛けたのが、『メタルマックス』を発売することになるデータイースト
『メタルマックス』イベントレポ
バンダイのRPG『ルーンマスター』を堀井と共同で立ち上げようとするが頓挫したため、独自に『メタルマックス』シリーズを制作。
ドラクエ用語まとめwiki

とにかく30年前に終わった話ですし、言葉の綾みたいなところもあって、どうこう言うのも無粋なのかも知れません。


蛇足

以下、すごく適当なことを書きますが……。

たとえば、侍魂の健さんは、大学3年の終わりごろ(2001年1月)に『侍魂』を始めました。
しかし、2019年1月に放送されたテレビ番組を見ると、

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40代になって若いころを振り返ると、自分が大学1~2年で『侍魂』を始めたという記憶になっていました。

そんな感じに、自伝的記憶が変化することは珍しくありません。
一般的には、「自分自身に対して抱いている全般的なイメージに合致するよう歪曲」されて、不正確でも、自分自身にとっては整合性が高くなっていくものらしいです。

なので、健さんの記憶の中で『侍魂』の期間が広がったのと、宮岡さんの記憶の中で『ルーンマスター』の期間が狭くなったのは、もしかしたら同じ原理によるのかも……などと思っております。

「『ルーンマスター』で失敗したあと『メタルマックス』で成功した」という自分史に基づき、挫折と成功の時期の切り分けが進んだのかな……みたいな、勝手な想像でごめんなさい。


おしまい

そんなこんなで、こまかいことで申し訳ありませんでした。

コロンボ2

『ルーンマスター』については、ネームバリュー的に「堀井雄二監修」がクローズアップされることが多くて、

画像17

『ファミコン通信』1990年12/21号(12/7日発売)

『ファミコン発売中止ゲーム図鑑』でも、「堀井雄二監修の意欲作」という点を強調されていました。

ただ、堀井さんとしては「宮岡くんのゲームに自分が意欲を出しすぎてはいけない」くらいの感覚だったのでは……と想像しております。
このゲームにおいて「堀井雄二」はそれほど重要なピースではないように思います。

とはいえ、広告でもスピルバーグがどうとか煽っており、やはり世間的には「堀井雄二監修」がこのゲームのすべてという気はします。


と、『ルーンマスター』については前も少し書いたのですが、

このときは「芸魔団の話」だったので、もう少しだけ詳しくと思って、今回の記事になりました。


余談

『ファミコン神拳』の最終ページの一番下には、「みんなほんとにありがとう!!」と書かれています。

みんなほんとにありがとう1

ただ、私の『ジャンプ』では、この付近で紙がカットされていました。

みんなほんとにありがとう2

(ボロボロになっちゃってて分かりにくいのですが、新品の時点で「みんなほんとにありがとう!!」の上半分しか残らない位置で切れてました)

なので私は、2016年に発売された『週刊少年ジャンプ秘録!!』の再掲画像を見るまで、ここに「みんなほんとにありがとう!!」とあることに27年間気が付きませんでした。


更新ペースが遅れてしまっており、本当に申し訳ありません。
5月31日までに、あと9回更新します。

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