写真で撮るか、動画で撮るか
近頃のカメラは、写真だけでなく、動画が撮れて当たり前。
カメラでなくとも、スマホですら手軽に高画質な動画が撮れてしまう。
カメラがなくても、スマホで済んでしまう場面は往々にしてある。
それも十分に高画質。
画質においても、スマホですら、一昔前の業務用マシーンをしのいでしまったりもする。
さらにコストを考える必要なく、写真でも動画でもメモリーが尽きるまで、バッテリーが尽きるまで撮影できてしまうのだ。
写真や動画を撮るものにとって、夢のような時代だ。
撮りたいものを、自由自在に印象的に撮りたいとなると、スマホでは力不足、やはり一眼レフやミラーレスで交換レンズ、また照明機材を駆使して撮影することになる。
写真用カメラも、ビデオカメラも区別がなくなってしまった
そして、いまどきのカメラとなると、写真だけではなく動画も業務用マシーンと比べてもあまり見劣りしない高画質で撮れてしまう。
というか、ほとんど変わらない。
4Kで撮れるのも当たり前で、ハイエンドになると8K60Pで撮れてしまったり。
動画に関しては、すでに人間の視聴解像能力をはるかに上回ってしまっている超高性能。
さらに諧調までもが、12bitだったり14bitだったり高精細。
それが写真用として売られているカメラで出来てしまう。
すでに写真用カメラとはいえない現状。
僕自身、ミラーレスカメラは、ある意味ビデオカメラだと認識している。
写真の撮れるビデオカメラというわけだ。
良い悪いは別に、単に認識の問題。
ミラーもスクリーンも無いミラーレスカメラと、ビデオカメラ、何か大きな違いがあるだろうか?
僕は、スクリーンに実像が映写される、一眼レフカメラこそが写真用カメラという認識でいる。
どこまで必要?高画質動画
4K8Kと騒がれている昨今、僕自身はいまだ普通に視聴する分にはFHDで十分だと思っている。理由は以下に述べるとおり。
FHD(1920x1080ピクセル)ですら、フル解像した画像はとてつもなく、僕の目には高精細だ。
以前、そんな解像度と視力の関係なんてブログを書いたことがある。
読み返してみると、我ながらまとまっていない!
上のブログによると、フルハイビジョン1920x1080の50インチモニターを視聴する場合。
視力1.0の人が、1.97メートルまで近づくとピクセルが解像出来ると計算。
結構近い。
視力2.0の人で、3.94メートル。
そもそも、映像を見るのに視力検査を受けるような眼力は使わないわけだし。そんな事をして30分も画面を見続ければ、目はショボショボになってしまう事間違いない。
映像の視聴は、残像の蓄積、一点を凝視するわけでもなく、画面全体を見るので、フルハイビジョンが理にかなった解像度だと思うわけだ。
4K、3840x2160だったら、その半分の距離で視聴するか、2倍の100インチモニターにする事かな。
高解像で撮っておけば、編集での拡大耐性が得られるメリットは大きいが、最終的にモニターで普通に視聴する画像としてはオーバースペック。
FHDで十分というわけだ。
さらには画像で出力するときには、一般的にシャープがかけられるわけだが、4K画像よりもFHD画像のほうが、一般視聴距離でシャープが認識しやすく、よりシャープな画像に見えたりするのだ。
機械の性能は驚くほどあがっていっているが、われら人間の視聴能力、視力は上がるわけでもなく、逆に下がっているはずだ。
解像度はここら辺にして、今回の本題。
さて、写真で撮るか、動画で撮るか?
写真の良さ
瞬間を切り抜く事に秀でる、画像上にその瞬間、光や、空気感、脈動感を永遠に閉じ込めることが出来るのが写真だ。
流れつづける時間を止めるという、ある意味の非日常、現実世界ではありえない事を、2次元空間に現実化してしまう手法。
動きも音も無いが、見る人の想像力を、よりいっそう掻き立ててくれるのが、写真だ。
それだけに、決定的瞬間を捉えた写真には、動きも音もないが、見る人の想像力を掻き立て、心を揺り動かす力を込めることが出来ると思うのだ。
そんな力を持っているのが写真だと思う。
でも、人の心を動かすような、そんな写真は、なかなか撮れるものではないのもまた実情。
そんな写真が撮れればと、日々撮影に精進しているわけでもある。
筆者自身、写真を撮影している時には、撮りたい写真のイメージを膨らませるわけで、頭の中から動画で撮る、という事は一切忘れてしまう。
撮影を終えて、「あ、そうだ動画でも撮っておこう」てな感じ。
写真撮影をするに当たっては、
撮りたいシーンの瞬間をイメージして、妄想しながらシャッターチャンスに備えるのである。
動きではなく、その動きがわかる瞬間にイメージを膨らませる。
過去にテレビの撮影依頼で、写真撮影を依頼された事がある。
依頼者側は、動画に携わり続けるプロの人たちであったが、写真にはあまりかかわっていない人たちでもあった。
僕が送った写真を見て、「写真には動画にはない感動がある!」と、「涙が出た」感激してもらった経験がある。
その言葉を聞いて僕自身も、写真の力について考えたわけだ。
その感激をもたらすのは、瞬間の画像から、想像によって脳裏に作り出される「イメージ」が物語りを語りだす、からなのだろう。
僕はそう思っている。
動画の良さ
情報量的にいえば、圧倒的に写真に勝る動画。
写真には無い、音声と、動きが加わり、その臨場感は圧倒的に写真に勝るものがある。
先に述べたが、フルハイビジョンから、4K、さらには8Kとなり、その解像度が高まり、その磁場感はますます高まっている。
見る人自らを、その場に行った気にさせてくれるのが動画であり、それだけ臨場感を感じさせる力があるのが動画だ。
行った事も無い国のイメージ、スポーツ観戦、ある意味自分自身が行った経験があるような気にさせてくれるのもまた、映像の力。
写真は、人々に感動を与えてくれる力はあるけれど、臨場感を与えるという点においては、動画のそれの足元にも及ばない。
動画がどんなにブレていたり、質が悪くても、その臨場感は見る人に伝わってくるのだ。
それだけ、臨場感あふれるのが動画の特徴だ。
その臨場感はまた、説得力を与えるツールにもなってくれる。
最近のメディアは、その力を悪用しすぎているのではないか?と思うのも僕だけではないだろう。
動画を撮るときに僕が留意するのは、その動きだ。
写真の瞬間に対して、動きに集中するのが動画の撮影。
だから動画で撮影していると、写真で撮影することはほとんど忘れてしまう。
似て異なるのが写真と動画の撮影時のマインド。
どちらが良い悪いはない
ただ、動画を人に見せるとなると、ある程度のストーリーが必要になってくるし、編集作業も必要となってくる。
ブレずに安定した映像にするため、撮影時にも三脚などでしっかりと固定する必要も生じてくる。
カメラの手振れ補正機能、ジンバルなど使えば、三脚なしでも結構撮れるようになって来てはいるが、望遠撮影はまだ無理。
編集作業は、時間もかかるし結構大変な作業ではある。
最近はAi任せでもそれなりの印象的な動画を作ってくれるらしいが。
そこまで、別にする必要も無い。
その瞬間を動画で撮っておけば、音と動きとともにその撮影時の臨場感がいつでも蘇らせる事が出来るのだ。
動いて音が出る写真というわけだ。
4Kであれば、800万画素、8Kであれば3200万画素。
アスペクトレートは16:9と写真と違ってくるが、写真としてプリントアウトするとしても必要十分な画素数。
あえて写真で撮らなくてもいいんじゃないか、というぐらい高画質になっ手いるのが近頃の動画だ。
最近の超高速連射に思うこと
動画はいわずと知れた、静止画の連続表示して、そこに音声を加えたもの。
そのコマ数は1秒間に、24コマだったり、30コマだったり、60コマだったり、さらにはスローモーションになって120コマだったり、240コマだったり。
最近の写真の連射機能、とんでもなく速くなっているが。
動画で撮るのと何か違いがあるのだろうか。
圧縮方式の違いだったりするのかもしれないが、基本的にはあまり違いがない気がするのだ。
まとめ
この記事を読んでいただいた方々、撮影するときには、目的を持って撮影しているわけで、動画で撮る、写真で撮るはおのずと決まっているはず。
僕がお勧めするのは、動画を撮っていたのであれば、OKカットが撮れた後に数カット写真を撮っておく事。
その逆もしかりで、写真を撮っていたのであれば、OKカットが撮れた後に数カットの動画を撮っておく事をお勧めする。
ここに書いた内容はある意味、自分に言い聞かせているな。
ここに書いた内容は、100%僕の独断と偏見ですので悪しからず。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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