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日常すべてがダンス

私がコミュニティダンスと出会ったのは、Dance 4 All 2015のワークショップだった。仲の良いママ友にさそわれたから参加した。軽い動機だ。
コミュニティダンスがどんなものか、知らず、出演者としても、鑑賞者としても、まったく経験がなかった。
ワークショップの最後には、芸術センターでのステージがあることを後で知り(!)あせりまくったのを覚えている。

ワークショップでは、子どもと一緒に走ったり、散歩したり、寝転んでゴロゴロしたり、自由な動きを楽しんだ。小さい子たちが集まって、ステキな音楽にあわせて、一緒に遊ぶ瞬間は、本当に心地よい時間だった。キラキラ輝く子どもたち笑顔に、優しい笑顔で応じる私。ああ、なんて幸せなの。

でも、そんな時間はほんの一瞬で終わる。2歳目前の子どもたちによって、幸せな時間は、たびたび中断される。オッパイ!おしっこ!今は気分じゃない!などの自己主張(泣き叫び)で。

これでステージに立てるのかな…。
思い通りになるはずもない子どもたちと、私、ダンスできるの?そもそもダンスってなんだ?と頭が???でいっぱいに。

疑問を抱えたまま、ステージにたつことはできない!
思いきって、ファシリテーターえりんぎ(鈴村英理子)さんに、聞いてみた。

「ダンスってなんなんですか?!」驚いた表情で聞いていたえりんぎさんから返ってきたのは、「日常すべて」という、ごく短い言葉だった。

その言葉は禅問答のようで、すぐに私に答えを示してくれる言葉ではなかった。でも、それがきっかけとなって、私は、日常でもダンスを、ダンスしている時にも日常を考えることになった。

ダンスでも、日常でも、子どもをコントロールすることはできない。子どもには子どもの気持ちがあり、親には親の気持ちがある。そこにコミュニケーションがうまれる。それが日常であり、ダンス。

わたしたちの、そんな日常を、そんなダンスを、神さまはみてくれてるのかな。そんなことを思うようになっていた。

ステージ上では、全部みえる。伝わる。
心から楽しんでいると、みている方も楽しい。
誤魔化したり、嘘をついたりしていることも、全部、みえている。バレている。
だから、堂々と、自分でいるしかない。

本当は日常もそうなんだ。
ごまかしや、嘘は、みえている。バレている。
だから、堂々と自分でいるしかない。

ダンスをするということは、心からの自分を堂々と生きるということ。
「日常すべてがダンス」という言葉は、そういう風に私に響くようになった。そして、私の日常を支えてくれている。

嬉しい私も、楽しい私も、怒っている私も、悲しい私も、私の気持ちがわからない私も。みてくれていますか。

2020.7.2 野呂諭美


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