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正そうとするのは良いことか

現在の私の仕事は保育士で、日々子どもたちと遊んだり振り回されたり時にはどうにもできなくて落ち込んだりイライラしたり…そんな感じで働いている。
周りには色々な保育をする人がいて、尊敬する人もいればもちろん軽蔑してしまうような人もいる。

非正規雇用で働いている、無資格のおばさんがいるのだけれど、まあこの人の子どもへの関わり方がひどくてひどくて見るたびに怒りを覚える。
「どうせ片付けられないんだから出したおもちゃ全部片付けるからねー」(クソデカボイス)
「今お茶飲まないならあとから言っても飲ませないからねー」(クソデカボイス)
などなど、言葉掛けの仕方もかなりカスだけど行動もカスで、まず知り合いの子どもには死ぬほど優しくて常にかまってて贔屓するし、何も言わずに子どもの股を鷲掴みしてオムツの確認をする。人権侵害のオンパレードである。

あまりにも行動がひどいため、そのババアと3回りほど歳下の私だけれども、ババアの保育について指導をしたことがある。
まだ泣く事でしか自己表現ができない引っ込み思案の子どもに「泣かない」て言うと自己嫌悪に至って余計に自己表現できませんよ、て言ったらはちゃめちゃに反論された。いやお前資格ないだろ?何をもってそんなこと言うんだ。
しかも反論がとにかく的外れである。

結局そこで口論となってしまって、先輩が間に入って私の肩を持ってくれた。ババアは納得いかず別のクラスに行った時にも私の指導の文句を言って、結局は有資格者の保育者に「指導された内容は合ってますよ」と再指導を食らう始末。なにがしてえんだお前は

こんな感じに、私はちょくちょく「正さねばならない」と思って臆せず向かうことがある。でも周りの人は9割そんなことが無い。今回の例で出てきたババアなんかは特に指導されておらず、言えば「でも」と反論してめんどくさいからだ。めんどくさいなら子どもが嫌な思いをしてるのを見逃していいのか?そんなの納得できない。
けれど、私の指導はかなり強引で強く言いすぎる事があるという自覚がある。
果たして「腫れ物に触れたくないので見て見ぬふりをする」のと「正さねばと思うあまり強く指導してしまう」これはどちらが良いのか…最近の悩みである…

一番良い解決方法は「うまく相手を宥めながら、良い方向へ向かうよう良い感じに指導する」が得策なのだろうと思う。実際に、見過ごす9割の残り1割はそういった指導方法をする先輩がいる。とても尊敬しているが、明らかに正しくない人に対してヘコヘコするのはどうも気に食わない。いやでも「気に食わない」からと言ってことを荒立てるのはだいぶ幼稚だな…とも思う。こればっかりは負けん気の強い私の性格が災いしている。

子ども達の為に「正しく正せる」ができる大人になりたいな…がんばります…これが社会か…と日々なっています。

おわり

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