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部活動問題(スポーツ業界と学校との緊張関係)①

今回は部活動の問題について語ってみます。これもでっかい問題で、教員の視点からだと不登校と並んで二大テーマくらいに位置づけられます。

部活動はこの国独自の文化で、日本社会の「しくみ」と密接に結びついている分、容易に語りつくせるようなテーマじゃありません。しかも規模がバカでかいのにうまく運営されていないという(年金みたいな)危険な状況です。適当に話していたら案の定脱線し、長くなり過ぎたのでパートにわけます。

部活動とは

部活動とは学校教育の一環として授業後や休日に行われる課外活動のことです。「課外」のところに注目です。「課内」ではない。カリキュラムにしっかりと組まれているものではないけれども、オマケでやっているものです。

部活動は運動部と文化部にわかれます。

本質的にはどちらも同じ問題を抱えていますが、より熱心に活動しているため、世間で取り上げられる部活動問題のほとんどは運動部です。また部員数の調査をみても、中学までは文化部の規模は小さく、義務教育年代で部活といえばスポーツのことを指すといってもいいくらいです。(高校になると文化部も存在感を示し始めて、大学以降では対等に近づいてきます。)そのため、ここでは運動部を中心に語ります。

部活動の地域移行

部活動絡みで最近ニュースになっているものといえば、部活動の地域移行や私立学校法人のガバナンス不全があげられます。

部活動の地域移行というテーマ、ご存知ですか? 今ある部活動は維持困難だから学校単位でなく地域単位に変えるべきだという議論です。その出処はいくつかあるようなのですが、私が知っているところを2つほど紹介します。

1つは教員のブラック労働問題、つまり部活動での教員の残業や休日出勤の問題です。

ブラック労働問題には休みがとれないという側面と、金銭面の制度不備というか、部活動では残業代がつかないという側面があります。金銭面については最近、教員調整額という特別手当を引き上げて解決しようという方針を文科省(中教審)が出したのにさらに反発が起きていたりします。(2024年6月2日現在)お金の側面よりも休みがとれないという側面の方が本質的だからです。

全国各地で、「部活動は学校教員の労働とみなされないなら、学校教員として雇用契約を結んだだけの俺がなぜやんなくちゃいけないんだ」という不満の声があがっています。実際、休日に部活動があるせいで教員の休暇は極めて少ないですし、教員=ブラックのイメージは定着して久しいです。

これについては少し思うところがあって、教員側ももうちょっと民間のノリに近づくよう努力しろよと思います。部活動での超過勤務がきっかけなのか、少なからぬ教員が同じ欠点を抱えていまして、仕事のON/OFFの切り替えがうまくできていません。

どの学校にも傍からみて勤務中かそうでないか不明な人が結構います。休日に出勤して職員室でダラダラしているのは別にいいんですが、そのノリを平日の勤務時間内に持ち込んでしまうんですね。教員ってわかりやすいノルマもないのでそういう働き方が許容されがちなのでしょう。

だから超過勤務という表現はあんまり正確でなくて、何が勤務で何がそうでないかがあいまいなまま時間だけがゴッソリ削られていくみたいな姿が、教員ブラック労働問題の本質です。

あー、完全に話が脱線してしまった。

戻します。部活動での超過勤務を解決したくて地域移行という動きがある、ということでした。

労働法規上の問題により部活動が教員の正規の仕事と認め辛いのなら、いっそ部活動は学校の管理下ではなく地域の管理下ということにして、自治体が依頼したことにしてしまえばいいではないか。依頼された人物は教員であってもなくてもいい。サッカー部の顧問を引き受けたいという教員がいなくても地域にやりたい人がいればその人に頼めばいい。

これが部活動の地域移行が叫ばれる要因の1つ目です。

もう1つは少子化により部員が集まらず、部活動の維持が困難になってきたという問題です。

例えばサッカーをするのには11人必要なわけですが、11人も集まらなくなってきた小規模校がたくさんあります。これを解決するために、部活動を学校内部で抱えるのではなく地域社会で抱えていこう。1つの学校にサッカーやりたい生徒が5人ずつしかいなくても3校集めれば15人になるから大会に出られるじゃん、みたいな。地域移行のメリットとしてあげられる2つ目はこういう動きです。

部活動の地域移行は実際に取り組んだ自治体も増えてきたので、実態が報じられるケースも増えてきました。大きな動きとしては正しいと思いますが、しばらくはいろんな問題が起きてニュースになるんでしょうね。

私立学校法人のガバナンス不全

部活動関連でホットな話題をもう一例あげます。こちらはご存知だと思いますが、私立学校法人、とりわけ話題になったのは日本大学のガバナンス(不全)問題です。

日本大学のアメリカンフットボール部という体育会組織が、危険なタックルをしたりマリファナを吸ったりとかしたので、「おい大学ちゃんと面倒みろよ」ということで大学側の管理責任が問われています。これも正確な表現ではないんですが、概略そんなところです。

日大の理事長などは結構叩かれていましたよね。

先代の田中何某は事後対応も含めてかなり違和感ありましたが、今の理事長に関しては少し同情してしまうところもありました。というのも彼女の立場ではどうすることもできなかったんじゃないかと推測できたからです。

何が推測できたかって?

うーんまあ、立場的にコントロールしたくてもできんのじゃないかなあという推測です。これは説明しづらい。これって、スポーツ関連のいくつかは学校法人のコントロール下に置くのが大変という実態を知らなければ伝わらないですよね。

何じゃそりゃ。何がいいたいの。

というところで、ようやく本題に入ります。

部活動の地域移行でもガバナンス不全でもそうなんですが、世間はよくスポーツと学校が絡んだ問題を報じます。しかしその際にですね、ひとつ前提として踏まえておくべきポイントが知られていないように感じられます。

それが今回のテーマ。ひらたくいえば、学校とスポーツ業界とはある面では対立関係にあって、学校はイニシアチブとれてないよということです。

スポーツ業界とここで呼ぶもの

スポーツ業界、業界っていうか団体ですかね、高野連とかJFAのような業界団体、そして文部科学省の傘下であれば中体連とか高体連という体育連盟がありますが、そういった団体って何者なんでしょう。

学校とそれらの団体の関係性って外からは見えません。一緒のもののように考えている人も少なくないでしょう。

でも、それらの団体は学校の内部組織じゃないです。学校のコントロール下にない。とはいえ、それらの団体が管理している大会に出場しているわけですから、無関係でもない。

そもそもスポーツと学校の関わりは深くて、体育という教科・科目もあるので当然ですが、肌感覚では、体育以上に部活動の方で強く結びついていると感じます。学校とそれらの団体をつなぐ糸は部活動です。部活動を通じて両者に複雑な関係性が築かれています。

以降、その関係性について語ります。

(私はこの件に関しては専門的な知識がありませんので、イチ教員として、見えてきたところをお伝えする程度のことしかできません。間違っている部分も普通にあるかもしれませんが、あしからず。)

スポーツ業界とは対立している部分もある

結論をもう一度いいますが、学校とスポーツ業界は蜜月の関係ではありません。ある面では協力しあっているものの、ある面では対立関係にあります。

この対立関係が重要で、私の見る限りではわりと学校がおされています。だからスポーツ界隈で起きたトラブルをすべて学校のガバナンスの問題とされるのは、学校側がかわいそうだと感じるのです。(日大アメフト部の事後対応の件が典型的ですね。)

偏見入っているの承知で書きますが、スポーツ業界ってけっこう権力の集め方や扱い方に長けています。大人がしばしば使う意味での「政治」(社内政治とかそういうの)がうまいわけです。

権力ってのが厄介ですよね。政治家も「票」には弱い。

それこそ東京オリンピックが開催されるときに感じた違和感と一緒で、スポーツ業界ってある方向に突き進もうと思ったら多くの政治家を巻き込んで無理やりにでも動かします。東京オリンピックではその強引さが世論とのずれを生んで、叩かれるきっかけとなったわけですが、とにかく学校はスポーツ業界とのそういう権力闘争に巻き込まれています。で、おされています。

学校とスポーツ業界。どちらかが強者でどちらかが弱者といったような明確な力関係はありません。ですが、世間が想像する以上に、スポーツ業界の意向に対して学校は拒否不可能な部分がある。

1つ例をあげましょう。甲子園(野球の夏の選手権のこと)って、どう思いますか?

学校には甲子園の在り方を変える力はない

多くの大人が、いくら夏の風物詩とはいえ、熱中症リスクが高い真夏にああいう環境で多くの高校生を巻き込んでイベントを開くことに疑問を持っているようです。

ずっとこれが目標でがんばってきた野球部はともかく、応援席にいる吹奏楽部とかチアリーディング部とかそういった団体は大変だろうなあと思いますよね。そして全校応援みたいな感じで普通の生徒も夏季休暇中に野球部の応援のためにバス旅行したり、そのバス代や宿代のためにOGOBに寄付を募ったりといった光景も目にします。私以外にもやりすぎだよなと感じる人は多いんじゃないでしょうか。

別に甲子園をやめろってんじゃなくて、時期をずらすとか場所を変えるとか応援の規模に制限をかけるとかやりようはいくらでもあるはずです。なんであんな状態が放置されているんでしょうか。

メディアからすれば甲子園は国民的行事、いわばドル箱的なイベントです。そして高校野球の運営団体からすれば、そこから得られる利益は計り知れない。

大会はお盆休みや夏季休暇と合わせて開催し、大勢がつめかけて応援させてこそ、テレビ放送を通じた世間の関心も高まります。そしてその関心の高さが権力を生む。そこで彼ら(メディア+運営団体)は、この甲子園と呼ばれるイベントの在り方を省みることなく、逆にさらに盛り上げて影響力を強めていくことを画策します。

この状況が放置されているのは学校のせいではないですよね。

学校は、甲子園というイベントをコントロールする立場にはありません。高校単位で大会に参加してはいますが、教育機関がイニシアチブを握っているわけではないのです。(ですからもし甲子園で熱中症死亡のような最悪のケースが起こったとしても、そのすべてを学校の責任に押し付けないでもらいたいものです。)

私が述べる、学校とスポーツ業界との対立関係とはこのようなものです。

ちなみに甲子園の話題を出しちゃったので、高野連は高体連じゃないからなと怒る人がいるかもしれません。その通りで、高野連は高体連じゃない。ほとんどの運動部は高体連に所属しているんですが、高体連は高校総体(いわゆるインターハイ)を主催していて、こちらを頂点と考えています。

だからほとんどの部活にとって高校時代の一番の大会といえばインターハイです。どっちかというと野球が例外なんです。でも権力の多寡こそあれ、構図自体はどのスポーツもさほど変わらないように思います。

学校を休ませて部活の大会に出ていいのか?

甲子園ほど強烈でなくとも、これと似たような違和感を持つケースは学校現場にいると多々あります。

例えば公欠の問題。つまり部活動の大会の開催日や日数の問題です。

部活動の大会というものは、年に数回、授業のない祝日や日曜日に開くといった程度が理想だと思います。生徒の心身の健康や学業への影響を考えれば妥当なラインが人によって大きくズレることはないでしょう。

しかし実態はどうでしょう。

さまざまな事情により、一部の競技では大会は多数開かれますし、なんなら平日に開催されますし、一つの大会で数日間かかることもざらです。野球サッカー陸上バスケといったメジャー競技ほどこの傾向が強いです。

大会がこれほど飽和状態にあるのは学校のせいでしょうか? 私はそうは思いません。学校は参加の許可を出しているだけで、大会そのものを企画・主催しているのは別の団体(私がスポーツ業界と呼ぶもの)だからです。

大会に参加する場合、平日の授業を欠席して生徒は大会に参加することになります。このとき公欠という制度があり、授業は欠席扱いにならないどころか出席したことになります。

ただ学校の記録なんて本質的じゃないですよね。大事なのは学力です。実際、授業を受けていないのならその分の学力は身に付くはずがありません。だから部活動の大会により生徒の学力が犠牲になっているのです。

それはまずいということで、スポーツ業界の側から部活動の大会を減らそうという動きはないのか。残念ですが、そんなものみたこともきいたこともありません。大会規模を縮小して学業に支障のない範囲に抑制しようとする、そんな殊勝な団体は私が知る限りありません。基本的に拡大路線ばかりです。*1

コロナで数年間途絶えたときに見直しが入るかと思ったんですがそんなことはありませんでした。基本的に以前のものを復活させるだけでした。

でも学校サイドはそれをよく思っていないところが少なからずあります。

「いくらなんでも大会やりすぎじゃないか」とか「何度も対戦しなくても一発勝負でいいんじゃないか」とか「審判や会議のために出張しなきゃいけないんならそもそも運営方針変えたらいいじゃないか」とか思っているわけです。学校にはどうすることもできないだけで。

部活動問題を考える際は、学校とスポーツ業界のこの関係性を踏まえてほしいものです。

長くなりそうなので一旦ここらで区切ります。

*1
2024年6月8日現在、おもしろいニュースが舞い込んできました。

中体連、全中大会で9競技取りやめへ…27年度から水泳やハンドボールなど実施せず

これまでの流れを知っていればこれは結構な衝撃です。中体連はここでいうスポーツ業界と学校のちょうど中間くらいに位置する団体です。競技の協会(テニス協会とか水泳協会)ほどはスポーツ業界側でなく、教育委員会ほど学校側でない。

こうした団体がスポーツ業界に圧され気味だというのがこの投稿の主旨でしたが、このニュースをふまえるとそれは間違いかもしれません。

実際、大会運営って教員が運営スタッフとして借り出されるんですが、そのせいで学校がおざなりになっちゃって大変なんですよ。大会開催にお金もかかるし。

ビジネスと同じで、ヒト・モノ・カネの流れが滞ってきたから自然発生的に縮小の動きが生まれたんでしょうか。背景にあるのは少子化か。いずれにしても中体連は英断をしたと思います。名古屋大の内田良先生もおっしゃっていることですが。

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