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「telecine」


 十年前、わたしは恋をしていた。
 16㎜フィルムの荒い粒子の向こう側、白くぼやぼやとした世界のなかで、わたしはきみを追いかけていた。
 きみと過ごしたのはせいぜい一年と少しで、そのうちの半分はわたしの片思いだったのに、わたしにはそれが、何よりも長く濃い一年だったような、そんな気がします。それはきみと過ごしたからというのはもちろん、わたしがまだ本気でカメラをやっていたからです。あの頃、わたしは夢を追いかけていた。夢を叶えることだけが幸せの在り方だと信じていた。結局その夢は思い通りにならなかったけど、あれから数年して地元に戻って、今、少し違った形で叶っています。だから地元に戻ってよかったと思っています。ここは自然が豊かで、静かで、時間がゆっくりと流れます。だから、わたしはこの街が好きです。それでも大阪へ出たことに後悔はないし、忙しなくてもどかしくて、あの数年間は、わたしの人生のなかで最も輝いていた期間だった。今でもきみはわたしの大阪時代を象徴する、一つの証になっています。
 きみのことをきみと呼ぶのは少し違和感があるけど、あの頃わたしが書いていた日記に登場するきみも、やはりきみだったから、きみと呼ぶことにします。それにきみも知ってのとおり、わたしはきみを本名で呼んだことは一度もないから、きみと呼ぶのがふさわしい気がします。だからきみはきみです。それでも、もしきみを本名で呼ぶことができていたらとか、そういう考えても仕方がないことを、今でもたまに考えたりします。


 実のところ、わたしはきみの顔をうまく思い出せません。そのことで自分を責めたりもしたけど、このまえ手に取った本の中に、親しい人の顔というのは色々な角度や表情を知っているから、かえって一つにまとまらず思い出しづらいのだと、そう書いてあって、わたしはきっとこれなのだと、少し救われた気になった。けれど思い出せないことが親しい印だなんて、なんだか寂しいよね。きみと過ごした期間のきみが、きみと過ごしていない期間のきみを遠ざけていきます。でもそれは勲章なのです。そのはずなのに堂々巡りのわたしは、またしばらくしてふと、本当にきみを色々な角度から見ていたのかなとか、不安な気持ちになります。実際、わたしが知っていたきみというのはほんの一部で、その一部ですら本当か嘘かの見分けがつかなかったわけで、だとしたらそう考えてしまうのも、当然と言えば当然なのかもしれません。
 わたしがきみのことを思い出そうとしたとき、最初に思い出すのは阪急梅田のプラットフォームです。いつもきみと待ち合わせをした、電車がこよりみたいに集まって並ぶ、あの場所です。それから二人で宝塚線に乗って、石橋駅で降りて、南口の商店街を抜けて、流行りの歌を口ずさんだりしながら家まで歩いて帰ったよね。たまには、って言って帰りに無人販売の餃子を買って、それを家で焼いて食べたよね。わたしはあの気まぐれの催しが好きだった。きみの家には空瓶になった海外のお酒が並べてあって、あれはちょっとダサいなと当時から思っていたけど、今考えてみてもやっぱりダサいです。でもそのダサいも愛おしいに変わるくらい、そのときのわたしは一心だった。今でもあのお酒は、きみの家に並べてありますか。


 一つ、今だから言える話をします。わたしはあの頃、お金に困っていないみたいな澄ました態度をいつもとっていたけど、そして実際何度か君に貸したりもしていたけど、本当はとてもお金に困っていました。少額だけど借金もしていて、それは常にわたしの心をズンと重くする、悩みの種だった。そういう意味ではわたしもきみに、嘘をついていたということになります。それでもわたしは、別に嘘をつこうと思ってついていたわけではないし、むしろそれを嘘だとも思っていなかったような、そんな気がします。あるいはそれはきみも同じなのかもね。ともかくわたしは今、借金をすべて返しおえています。借金のことは誰にも言っていないから、このことを知っているのはわたしと、そして今からきみだけということになります。
 わたしはたまに、今きみと偶然再会したら何をするだろう、何をしたいだろう、ということを考えます。わたしがしたいのは、ただきみの前に立って、こんにちはも久しぶりもなしに、あのときはありがとう、と言うことです。そのありがとうは、半分は嘘だけど半分はちゃんと本当です。きみとの思い出のどこをどう切り取っても、わたしはきみに感謝しているし、そのことを、ちゃんと君にはわかっていてほしいです。あの頃、鳴かず飛ばずのまま夢を追いかけて、毎日傷だらけだったわたしの、大切な、唯一の心の拠り所だったのはたしかにきみだった。わたしのきれいなところも汚いところも、すべて同じように受け入れてくれたのがきみだった。その感謝は今も変わりません。きみを思い出せば胸が苦しくて、消えてなくなりそうです。


 眠れない夜に、というよりはむしろ夜中に目が覚めてしまったときに、わたしはきみが、きみの「性格」について打ち明けてくれた夜のことを思い出します。あの日きみは、一晩中暗い沈んだ顔をしていた。誤解しないでほしいのは、わたしはそのことできみに裏切られたとは思っていないし、そう思いたくないし、だからどうか、わたしが裏切ったとも思わないでいてほしいです。ただ、きみがその真剣な悩みを、「嘘つきの星に生まれ落ちた」という道化みたいに軽はずみな言葉で濁してしまったのは、不誠実だったと思います。わたしはあの日あのあと、きみにたくさんひどいことを言った。わたしはあそこで取り乱すべきじゃなかったし、逃げ出すべきじゃなかったし、本当は誰よりもきみのそばで、きみを守るべきだった。今でもそう思います。きみがその「性格」のことで苦しんでいたということも、今ならわかります。けれどいまさらいくら言葉を並べても、あの日には戻れないし、わたしはあの瞬間、本当にショックだったし、そしてやっぱり、傷ついたんだよ。わたしはきみに傷つけられたんだよ。きみの名前だと思っていたものがきみの名前じゃないとわかったとき。きみの歳が、生まれが、仕事が、嘘だとわかったとき。わたしの目の前できみはきみじゃなくなって、わたしの好きだったきみとか、わたしを好きだったきみとか、きみの好きだったわたしとか、きみを好きだったわたしとか、もうどれを信じていいのかわからなくなってしまった。当たり前の話だけど、信じているものを信じられなくなるというのは、とてもつらいことです。
 あの日きみの家を飛び出したとき、辺りはまだ暗くて、夜の静けさとか怖さとかその名残が、まだ街全体に漂っていた。どこかの家の換気扇が動いているのが聞こえた。その音は今、わたしの耳の裏で鳴っています。人気のない住宅街を一人ぼっちで歩いて、青信号の点滅を無視して、南口の商店街を抜けて、わたしは駅へとたどり着いた。そして始発の電車に鉛の体を押し込んだのだった。わたしはどこへ向かおうとしていたのだろう。まだ人のまばらな阪急電車の、えんじ色の席にもたれかかりながら、頭の中ではきみの言葉が、エコーみたいに重複してぐわんぐわん鳴り響いていた。やがて夜は向こうへ消えて、空は白くぼやぼやと光りはじめた。それは、とてもきれいだった。
 あの瞬間、夢みたいに白けた朝靄のなかを、どこどこと切り裂いていく阪急電車の、あの胸いっぱいのみじめさのなかで、わたしはきみのことをいつまでも、いつまでも好きでいたかった。


 今きみに会ったら、という話をさっきしたけど、もう一個ありました。これだけは、大事です。最後に言わせてください。わたしは今きみに会ったら、わたしは今幸せですと、きみに伝えたいです。その言葉は、きみにとってさほど重要ではないかもしれないけど、とにかく伝えたいです。だからきみも、どうか幸せでいてください。




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