見出し画像

青い時代の小さな紙が

小学校、中学校、高校とずーっと友達とは、たくさん手紙のやり取りをした。
小さなメモからきちんとした便箋のもの流行っていた畳み方、オリジナルの折り方。
それはもうさまざまなな形で。
授業中にこっそり…なんてことも、経験のある方多いのではないだろうか。

さて、延々と片付けをしている今。
久しぶりに開けたタイムカプセルとも言えそうな箱には、
そんな青い時代の小さな紙たちが、未だに捨てられない思い出として残っており、
久しぶりにその時の記憶に触れることとなった。

当然、捨てにくいから取ってあったのだが、
今回ばかりは墓まで持っていけないのだからと肚を決め、
いざシュレッダーにかけはじめた時、はたと思いついた。

そうだ、この記憶を形にしてしまおう。

この思いつきは一つ都合の良いことがあって、
もう自分にとって魅力がなくなってしまったキャンバスには
何を上書きしようかと考えていたところだったので
これは良いと思い、さっそく手を動かすことにした。

とはいえ、文字がはっきり読めるのはなんだかしっくりこない。
記憶なんて曖昧なものなのだ。
とりあずバケツに集めて水につけた。
水性の文字は思った通り滲み、油性の文字は残った。
残る記憶、残らない記憶。それは何で決まるのだろう。

それから、キャンバスに紙漉きのように乗せて、糊を重ね、最後はティッシュを重ねた。こうしてキャンバスに集めた楽しい記憶(ちょっと恥ずかしい思い出も)
すっぽりとtissue(それを皮膚と捉えるか細胞と捉えるか布と捉えるか、記憶の重なりと捉えるか)で覆ってしまって、それが私の考えとしてはこれこそが記憶の捉え方なんじゃないかと思った。
記憶ってのは強く残るものもあるし薄れていくし上書きされるし、
その重なりはtissueを貼り付ける時に、まるでそんなような感じ、と思わされた。

出来上がってみて、そこにあるものが何か知っているから仕方なくもあるが、
見返すとかすかに蘇る友人たちとのやりとりの痕跡。
でもそれはもう思い出さなくてもいい、と思った。
私の中に確実にのこっているものだから、いいのだ。



“青い時代の小さい紙が”
2024.9
キャンバス、紙

#tissuecolor #nosachika #nosachikamisaki #memory #tactile #emprient

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?