石井高弘

編集者。出版社PHPエディターズ・グループに長年勤務。哲学、心理、自己啓発、古典新訳な…

石井高弘

編集者。出版社PHPエディターズ・グループに長年勤務。哲学、心理、自己啓発、古典新訳などを編集。副編集長、編集長として出版部を運営、受注制作部の責任者、新規事業開発に携わる。その後、独立してケイオス出版 https://www.chaos-publishing.com/ を設立。

最近の記事

独立5年目になってわかったこと

 最後にブログを書いてから、2年以上間が空いてしまった。2020年春以降のコロナ禍の影響はやはりあったと思う。当時予定していた仕事がなくなり、その直後に始めた仕事はなかなか実を結ばなかった。  数年前に長く勤めた出版社を辞め、一人で版元を作ったのだが、コロナ禍以後の2年は新刊を出すことができなかった。  その間のことは長くなるので別の機会にするが、2022年の4月には久しぶりに新刊が出て一息つき、次の本の出版もできた今、ようやくブログも書く気になった。 ■当初の目論見と実際

    • 本を書く意味について考える~独立して版元を作り、いま思うこと~

      出版社から独立して、インターネット書店で本を出版する版元をつくり、二年余りになる。なんとか三冊作った段階なので、まだまだこれからだが、実際にやってみて思うことはいろいろある。今回はそれを書きたい。 ■独立前後に考えたこと 出版社にいた頃、返品在庫がつねに経営のボトルネックになっていた。出版社は新刊点数を増やし、売れる本は増刷して、出荷を増やすことで売上を伸ばそうとするが、それは同時に、大量の返品が帰ってくるリスクを抱え込むことでもある。 業界が成長しているうちはまだ良い

      • 新刊『日本人に合ったがん医療を求めて』を発刊して感じたこと

        「仕事の重心」のシフト先日、『日本人に合ったがん医療を求めて~医師、患者、家族の方々に一番伝えたいこと~』の見本を著者に届けに行って、久しぶりに話をした。なにか苦労が報われるような思いだった。 「出し切って、満足している。この分野で先駆的な仕事ができたとしたら、嬉しい」。そう言っていただいて、仕事が完了した気がした。中身が完璧だというのではない。出し切ったというのは、長年のテーマを本の形にする過程でご自身の深いところを表現しえた、思い残しはない、という意味だと思う。それは編

        • 自分にとって切実なテーマの本を編集するということ ~「子会社という組織の構造問題」を扱う小冊子が完成して~

          『U理論入門』(PHPエディターズ・グループ/2014年)を編集担当して以来お世話になっている著者の中土井僚さん(組織開発コンサルタント)の小冊子が完成した。タイトルは『子会社を本当に良くしたいと願うあなたに知ってほしいこと』。昨年2月から編集に携わり、完成まで1年半あまりかかったが、心に残る本づくりだった。 この文章の題名に「自分にとって切実なテーマの本を編集するということ」とあるのは、自分自身が子会社で20年以上働いていたからだ。親会社/子会社という枠組みの中で、子会社

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          浮世離れ

           前回、これ以降は「心が通じるとはどういうことか」を書くと言ったものの、なかなか難題なので、迂回して少し別の話をする。  編集者は人を見るのが仕事なので、その人物が醸し出している「ある感じ」を掴んで、ひと言でいう。以前、先輩筋の編集者から「石井さんはなにか浮世離れしていて、面白いなぁ」と言われたことがある。食事をしていた時なので、「話が抽象的だよ」とやんわり窘められたのだと思うけれど、それはそれとして、「でも、たしかに、そうかもなぁ」と後で思った。  そう言えば、ある出版

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          カズオイシグロの「文学白熱教室」を久しぶりに見直して、考えたこと

           数年前、カズオイシグロが「ひとはなぜ小説を書くのか。なぜ小説を読むのか」をテーマに聴衆と語るNHKの「文学白熱教室」でこんなことを言っていた。 《私は作家として、小説全体を支配するような大きなメタファー(隠喩)に惹かれる。私はよく小さなアイディアをノートに書きこみ、どれが力強いか見比べる。それがアイディアが力強いかどうか決める、私なりの方法なのだ。そして自問する。これは本当に、何か重要なことの力強い比喩になりえるのかどうか。この物語は、途轍もなく大きな比喩になるのだろうか

          カズオイシグロの「文学白熱教室」を久しぶりに見直して、考えたこと