見出し画像

お天道様とわたし

こよいも宇宙は私をみつめている 
数かぎりない眼をひからせて
私の骨の骨、髄の髄まで
たえまなく、容赦なく――
       作者不明

だいじょうぶ
誰も見ていない
名前も顔もバレていない
だから大丈夫

そう思っている
「だいじょうぶ」は
だいじょうぶではない
恐怖心だよ。

身バレ、顔バレ、
すぐそこに在る。

だって
誰もではないから
あなた自信には
少なくとも
バレている

お天道様はお見通し
って、昔はよく言ったものだ。
別に
お天道さんという
人間みたいのがいるわけではない。

でも
バレバレなんだよね
だから
名前を隠す
顔を隠す
そして
「だいじょうぶ」と言い聞かせて
恐れる。

「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」を書かれた
晩年100歳の詩人と呼ばれた
まど・みちおさんは
憲法九条改憲に反対をし
世界中の戦乱を悲しみ
多くの平和への訴えを残された方だ。

その
まどさんの若い時、
戦時中に書かれた詩には
戦争を賛美するような
天皇の名の下
他国を打ち倒せ
そんな詩がある
晩年に編纂された詩集にも乗っている
つまり
ご自身が生きている時
その詩を自ら選んだんだ。
懺悔であり
自らへの罰であるかのようだ。

もし自分なら
なかったことにするかもしれない
だれも知らないだろうから。

でも
お天道様はしっている
骨の骨、髄の髄まで。
お天道様は
わたしにあるから。

伊丹十三の父親で
映画監督であった
伊丹万作さんが書いた短文に
『戦争犯罪者の問題』というものがる。
そこで、伊丹さんは
戦後皆が
戦争を誰かのせいにして
みずからを反省しない風潮を
徹底的に批判している。

これ
青空文庫で
https://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html
ただで読めます。

戦争問題はおいておきたくないけど
おいておいて
人間として
社会で生き合う一人として
現状の日本人の在り方を問われ
「おまえはそれでいいのか?」
と、問われているようで
刺さってきた。

だまされた、だまされた
となげいているが
自分はだます方であったのではないか。
だまそうとしている力ある人を
看過して
見て見ぬ振りをして
何も起きていないと自らをだまし
考えない
悩まない
そんないまを生きているのではないか。
そんな風に
オレのお天道さんが問いかけてきた。

まどさん
伊丹さん
おふたかたの話で
戦争問題に特化しているようになってしまったかもしれない。

それはそれで
なんらもんだいないのだが
今日何を言いたかったかと言うと
やったことをちゃんと見つめ
時には目をそらしたい
忘れてしまいたいような自らの愚行も
それだからこそ大事にして
それを
自ら反省し
その愚行をした事実を
なかったことにするような
愚行の上塗りはせず
認めていくことが
唯一
自分のお天道様を恐れずにすむ
安心をして生活していくことに
実は繋がるのではないかということ。

お天道様は
宇宙は
罰を与えるのではない。
気づかせてくれる働きだ

ほんとうの意味で
罰を与えられるのは
自分自身だ。
その罰を許してくれるから
許し合えるから
人間同士
感謝し合って
平和に暮らせるってもんだ。

最後に
まどさん
いたみさん
お二人は
条件が整えば
何でもしでかすのが人間だよ

後輩たちに
伝えたかったのだろうな
そんなふうに思える。

さるべき業縁のもよおせば、
いかなるふるまいもすべし。
      親鸞



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?