躁鬱と作品制作
今回はちょっと、制作に困っちゃったって話。
「切実であれ」とうちの恩師がいってて
そうじゃないと、いい作品は描けないものだと。
何か切実な願いがあって、とか
強い強い思いがあって
名作は生まれるんだと。
うちは経験上それ100%共感してて、
今までの自分の作品作りでも
自分の今の願いだとか
作品に意識を没入させるようにして描いてたのね。
1番精神的にキツいとき、自分史上最高の作品ができたし。
…なんだけど、躁鬱と診断されてから
ちょっと困ったことがあって。
自分特有の悩みだと思ったものが、
実は、躁鬱病の人に共通する悩み、
脳のクセだったっていうことなんだよね
って事は、それが解決するかどうかも、
薬によってかなり運命が決まってくるというか私の悩みやアイデンティティだったものが
躁鬱病っていうくくりによって回収されてしまうっていうのがあるの。
作品は、自分で処方する薬 みたいな役割を果たしてたんだけど、
躁鬱特有の脳みそのくせからくる悩み
(例えば、気分の波が激しいから、
毎日なるべくご機嫌でいられますようにだとか。)
っていうのは、もう作品をつくる(自分用の薬を作る)んじゃなくて
いかに躁鬱の悪い面に対処するかっていう
生活のテクニックの方に目が向いちゃうのね。
だから、「切実さ」をどこにどう向けたらいいかわからなくなっちゃった。
ただ画面で絵の具が綺麗に展開されることによって
脳みそがよろこんでるだけ。
そういう風な作品でもいい人もいると思うけど、
どうしても私は作品をもっと重くとらえてて、
でもどうしたらいいかね…といった感じ。
格好をつけるだけのパフォーマンスはしたくないし、自分が大好きな芸術は
古代の人の雨乞いみたいな、切実なものの吐露なの。
何かいいアイディア持ってる人おしえて〜!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?