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近年のソシャゲと日本の企業は似ているかも

 ソーシャルゲームと日本の企業は似ている部分があると思っている。その似ている部分とはソーシャルゲームのキャラクターと企業で働いている労働者の、お互いのあり方評価のされ方が似ていると感じた。

 まずソーシャルゲームのキャラクターについて考える。ソーシャルゲームのキャラクターはキャラクターごとにスキル(ゲーム内で使える技能)やステータス(体力や攻撃力、防御力といったパラメータ)があり、イベントかゲーム内のお金または現実のお金(課金)でガチャという入手機会を得ることができる。

 そのキャラクターの評価について、ゲームの制作側がレアやコモンといった評価をつけているが、そのキャラクターが使えるか否かはそのキャラクターを実際に使用したユーザーがキャラクターを評価し、価値を決めていると思う。

 例えが私の例で申し訳ないが、5×6マスの中に6色のビーズが1マスに1つ敷き詰められた巷で有名なソーシャルゲームが好きで遊んでいる。このゲームのタスクを達成するためにたくさんのガチャを引いて集めたキャラクターから6体のキャラクターを選別し、その選ばれたキャラクターを組み合わせて挑むのだが、その際、タスクをこなせるかどうかで選別されるキャラクターとそうでないキャラクターが生まれてしまう。選別されなかったキャラクターはゲーム制作側の都合でテコ入れされ、タスクをこなせると判断されるスキルやステータスにならなければ使用されず、保存箱の片隅で塩漬けされておくこととなる。特に時間、年数の経過によってスキル、ステータスが高性能になっていくため、過去に使えないと評価され、テコ入れも何もなかったキャラクターはさらに使用されなくなってしまう。現在使用されているキャラクターも時間の経過とともにタスクをこなせないという評価をされてしまうと途端に使用されなくなってしまう。そのため、キャラクターは常にユーザーに使えると評価され続けないと途端に使用されなくなってしまうという状態にあると思う。

 ここでソーシャルゲームから日本企業の労働者に話を変える。企業の説明会や面接試験といった採用活動を通して就社し、事業部門、部署に配属、そこでタスクを与えられ、それをこなすことで評価され、昇給や出世していくというのが一般的な流れだと思う。

 ここで考えて欲しいことが1つある。上記の流れで労働者はどのように評価をされているだろうか。上記の流れで評価がよかった場合を考えると、採用活動の場面においては、労働者は採用担当者に新卒採用であれば勉学、研究、サークルやアルバイトなどの体験を、中途採用では以前の勤務先での取り組みや得たスキル、勤務外での体験でアピールを行い、それが評価されて就社となる。昇給、出世の場面では、プロジェクトのリーダーや課長、部長といった役職者、経営者といったある程度の権限をもった人に、割り振られた仕事をただこなすだけでなく、割り振られた以上の仕事をこなす、大勢の前でプレゼンを行い有用な提案を行う、懸命に仕事をするといった努力や結果が評価された結果、昇給や出世となる。

 一方で評価が悪く就社や昇給、出世できなかった人について考える。就社では、素行が悪い等で第一印象が悪く評価が低い人、前職で失敗し同じ業界で就活をしても、前者での評価がついてまわり就社できない人もいれば、たくさんの体験をしてきたのに説明がうまくできなかったため、担当者に理解されず評価を落としてしまう人、特に突飛な特徴はないと思われて評価が低く足切りに引っかかってしまう人などがいる。昇給、出世では努力が足りなかったり、能力が著しく欠けていたりして何らかの失態をし評価を落としたり、懲戒免職になるような人がいる意外にも、ブラック企業にいて体を壊してまで納期に間に合わせようと無理をして働いても代替可能な労働力として低く評価をされる人、自分しかその仕事ができず、休んだり辞めてしまうと回らないにもかかわらず簡単な仕事だからと評価されない人、仕事で特に失敗はなく、無難にこなしているはずなのにリストラ対象になってしまった人、出産や介護、病気等が原因で休職や時短勤務がやむを得ない状態になった途端、仕事が変わったり、仕事を与えられなくなってしまった人、上司から気に食わないという理由で評価を下げらた人がいるなど様々な人がいる。

 ただ評価された人も評価されなかった人も共通しているのは仕事を与え、その仕事の評価を行う人、即ち労働者を使役する人に「使えると評価され続けること」ができたか否かで決まっていると思う。これはソーシャルゲームのユーザーにキャラクターが評価され続けなければ使われなくなってしまう状態と同じである。そのため、ソーシャルゲームのキャラクターの価値はゲームを行っているユーザーが決めているのと同じように、労働者の価値というものは経営者をはじめとした労働者を使役する人が決めていると言えると考えている。

 ソーシャルゲームのキャラクターと労働者は似ている。しかし労働者はテコ入れ等で画期的に変身できるゲームのキャラクターと違い、何かが急にできるようになって急激に評価を挙げる方法や機会を得ることは難しく、今ある評価を上げる可能性のある方法は常にしんどくて大きな決断を迫るものだと思う。そんなしんどい労働者だが、長時間労働から時短効率化、「男は仕事、女は家庭」という性別的役割分担からの脱却、ワークライフバランスの重視による私生活の重視など働き方やその価値観が多様に変化してきている。労働者の評価というものも誰かによって評価が変わる状態から変わるかもしれない。その時労働者は、労働者というキャラクターの選択画面の枠を超えて新たな形へと進化するであろう。


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 初めまして。Tiohanと申します。

 最後まで読んでいただきありがとうございます。

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