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梅雨明け前に恋愛の話をすこし


だーーー!書きたい事溜めすぎている!
そういえば、前にnoteを書いたときに気づきました。わたしのnote、文末が全然揃ってないんです。ですます調の回もあれば、だ/である調の時も、、。どっちでもええやんけ!という話かもしれませんが、なぜかそういうところに限ってこだわりたくなるのです。ちなみにドラマも漫画も一巻(一話)を見るまでは次に行けません。同じジャンルのこだわり??これに関して薄っぺらい分析をしてみるとすれば、おそらく書いている時の感情として、自己満足の度合いが違うからかな、と。自分に語りかけるように文章を書きたい感覚の日と、誰かに聞いてもらうために、少しでも届きやすいように、と考えながら書きたい日と。そういう差かもしれません。

ちなみに、わたしの誰か、には常に、少し先の自分も含まれています。日常に起こるささいな出来事や心の動き、記録しなければきっといつか毎日の中に埋もれてしまうような日の思い出を、少し先の自分に読んでもらうために書いています。そういうことを一生続けていけば、わたしはわたしの人生まるごと、過去や未来のわたしと文通しているような感じになるかもしれません。それはとても素敵で、そうなればいいなと思います。



恋愛の話〜!(唐突)
この間、最近話すようになった人とご飯に行きました。英語が母国語のその人は、日本語もとても流暢で、わたしが日本語で話しかけたら日本語で、英語なら英語で返答してくれて、ときどき少し深い話をする時や、友達や家族について話す時には英語になります。とても聡明なことがよく伝わってくる話し方や、落ち着いた低い声がとてもいいなと思いました。すごく久しぶりに、自分は恋愛をするかも、とも思いました。

でも結局はなにもありませんでした。なにもない、というか、これは恋愛にはならないな、ということを確信してしまいました。結果的に、初めて会った日のあとから、わたしは意図的に相手と少しずつ距離を取るようになっています。向こうもそれをすぐ察したのか、会話はなんとなくのところで途切れました。

帰り道、わたしはなんというか、打ちひしがれていました。自分の身勝手さというか、相手をというより、自分で自分のことをまだまだわかっていなかったな、と思いました。もうこれは、ひとりだ。ひとりしかない。わたしはひとりでやっていこう。絶望でもなく、諦めでもなく、ただ改札で別れて1人になった瞬間、散らかっていた頭や心があるべき場所にスッと戻った感覚でした。


ずっと好きな人がいました。わたしの中で何より大きな存在です。どんな人?ともしも誰かに聞かれたら、星の数ほどある好きなところの中から、聞いてくれた人が想像するその人がいちばんよく見えるようなところを選んでしまう、ような人です。

わたしは今の自分の毎日をとても大切にしています。今、周りにある環境はどれも、自分が試行錯誤しながら手に入れてきた宝物です。だから、会えない今を苦しく思うことは、ありません。でも、遠くない未来で必ず会うと決めています。

正直なところ、少しほっとしています。結局まだしばらく恋愛はできないんだろうなあ、という気持ちもありつつ、まだしばらくは彼を思い出せる、と思ってしまいます。

ひゃー!難しい!彼について考える時は、他のどんな時よりも自分の心と直結した言葉を選びたくて、つい考えすぎて、今もたぶん難しい顔をしています。でも実際の心はもっと軽やかで柔らかいので、大丈夫。毎日かならず思い出しますが、そういう時間も丸ごと自分のものにして、あまり留まらず、楽しく新しい日々に漕ぎ出していくのが、今のわたしにあるべき日々だと思っています。


明日こそ晴れますように!


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