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音楽は感性の蓋をあける? #007「音楽とご自愛ムーブメント」 〜タイニーのご自愛タイムズ〜

タイニーのご自愛タイムズはご自愛について語り合う場です。ともこ&あこや、様々なゲストと共にそれぞれの日常を紐解き、「ご自愛」について探求していきます。

今回のテーマは「音楽とご自愛」

本日のゲストは、東京の池上にある「SANDO BY WEMON PROJECTS」というカフェの店長を務めながら、主に音楽関係のコーディネーターとしても活躍する天野光太郎(あまのこうたろう)さんです。

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タイニーピース・ダイニングのコミュニティの中では「あまの店長」と呼ばれており、「ご自愛おんがく部」の部長として毎日おすすめの音楽をご紹介していただいています。今回はそんなあまの店長&ともこのコンビで「ご自愛と音楽」というテーマでお話し指定いただきます。

今回はそんなあまの店長&ともこのコンビで「ご自愛と音楽」というテーマでお話していきます。


音楽があって、今の僕が形成された

ともこ:あまの店長との出会いは、あるイベントにご参加いただいたことがきっかけでしたね。そこから仲良くなって、タイニーが始めた「タイニーピース・ダイニング」というコミュニティイベントにご参加いただいています。すっかり常連さんですよね。

あまの店長は「ご自愛」という言葉を聞くと、どういうものが思い浮かびますか?

あまの店長:自分にとってご自愛は人に向ける言葉だったので挨拶で使うイメージしかなくて。「ご自愛」は行為や行動というより概念だろうな、と考えてるんですよ。何をもって「ご自愛」とするかは、たぶんみんな違うんだろうな。まだ初心者です。

ともこ:「タイニーピース・ダイニング」では「ご自愛」をテーマにみんなで話をするわけですが、最近ではコミュニティの中で「ご自愛おんがく部」なるものを立ち上げてくださったり。なにかしらしっくりくるものがあったんですか?

あまの店長:これも「ご自愛」につながる考え方だと思うんですけど。「楽しそう」って感覚がまず大事じゃないですか。よさげな人たちがいて、楽しそうなことをやっているから行ってみようって。まぁ、そこでしかないですよ。

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(ご自愛音楽部の投稿。毎朝これを聞きながら仕事をしていますbyヒロ)

ともこ:あまの店長は、感じたことを大事にされている印象があります。

あまの店長:頭であれこれ考えるのって、あまり好きじゃないんですよ…(笑)

ともこ:さすが、音楽やってる人だけありますよね。音楽という切り口でいろんな活動をされていると思うんですけど、あまの店長にとっての音楽ってどういうものですか?

あまの店長:わが人生を振り返ると、音楽を介してつながった人たちが僕のほとんどなんですよね。音楽は僕にとってハブみたいな存在。僕がバンド活動や仕事で音楽に関わることで、周りに人が集まってくるようなイメージなんです。音楽の存在があって、ここまでの関係値とか自分の人格も含めて形成されてきたと思っているので、かなり重要な要素だと思っているんです。

簡単に言えば「好き」なんですけど、音楽を介していろんなことが巻き起こってきたし、何より音楽に救われた人生だなって感じています。気休めじゃないんですよ、音楽は。

音楽は「感じ取る」ためのツール

ともこ:音楽に救われたと言ってましたけど、自分の心や体とか、感じていることを大切にする「ご自愛」と音楽にはどういうつながりがありそうですか?

あまの店長:音楽って浴びるもんだと思っているんですよ。スピーカーから出てくる音をぶわっと浴びたときに、気持ちいいかどうか、踊れるか踊れないか。直感的な部分を刺激してくれるものだと思っています。

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何も考えずに聴いたときにどんなモードに入るかは人それぞれ違うけど、「この音楽を聴いたらこういう思いになりました」「作っている人はこういうメッセージで発信しています」というのを添えて提示してあげると、僕が考えている「ご自愛モード」にみんなを誘えると思っています。池に石を投げて「どういう波紋が起きるかな」と観察するような感じですね。

僕が思う「いい音楽」を聴いた時に、心が豊かになったり感動したりすることは「ご自愛」の入り口だと思っています。

ともこ:自分の感性は筋肉みたいなもので、使わないと衰えていくと思っているんです。仕事をしていると、そこが動いていないことがよくあるかも。私たちは頭で考えて説明できる世界で日常を過ごしがちだから、誰に説明する必要もなく「ただただ自分が感じている」ということを大切にする時間が持ちにくい。

あまの店長:頭で考えるのではなく、感じ取る。音楽はそれを刺激してくれる存在ですよね。

ともこ:ご自愛を探究していく中で、どうしても言語化したくなる性分があるんです。言葉という制限の中で考えがちだと思っていたときにあまの店長と出会って、必ずしも言語化できないことも大切にしながら色々活動をされているなって。

あまの店長:言語化できたり考えて説明できることなんて、つまらないんですよ(笑) 仕事をする上では必要ですけど、それも手段みたいなものですよね。

「ご自愛」に関しては、目に見えない心の機微や「どういう感情や感覚になった」という言語化できないことも大事にすべきだと思っています。僕自身は直感型ですけど、みんなに共有できて、共感してもらえるくらいには言語化したいと思っています。

ともこ:「全部説明しきれると思うなよ」という部分も自分の中に持っておきたいですね。3歳の娘を見ていると、まだロジックが存在しない世界に生きているから、毎日心のままに躍動しているわけですよ。

フィーリングを大事にして生きていくのって、難しくないですか?

あまの店長:難しいですよね。誰が決めたかもわからないような固定概念に縛られていると思うんです。逸脱することが許されないというか。お金にならないとか、発展性ねぇよなとか、色々考えちゃう。その価値観のほうが世の中多いから、直感で動いてみたときに受け入れてくれる人がまだまだ少ないのかな。

ともこ:「こうあるべき」や「これが当たり前」という規範にのっとって動いている方が事故らない感覚があるから、それを優先させるのかなぁ。

あまの店長:その感覚もわかるけど、感情や直感に任せたときに起こる結果も経験してきたから、どうなるかわからないけど、たぶんよくなるんじゃないかって思える。その感覚を知っている人は多くないから、難しさを感じるのかも。

ご自愛が固定概念に余白を作る?

ともこ:日本人って括るのもどうかと思うけど、日本だと電車が1分でも遅れたら怒ったりするように、予定通りに進むことをよしとする傾向がありませんか?

あまの店長:予定調和を重んじるというか、例えば歌舞伎や落語や吉本新喜劇でも、どこでボケてみんなが倒れるか見ている人はわかってる。日本人はそれをわかっていて笑えるし、安心感があるのかも。落語は昔から同じ話をしているのに、みんな大好きでしょ。

ともこ:「そんなにキチキチしないでもうちょっとルーズでいいじゃない」と思っていたけど、何百年という歴史の中で、芸能にも日本人の国民性が反映されていると思うと馬鹿にできないのかも。

あまの店長:バランスだと思うんですよ。行き過ぎるとガチガチになっちゃうし、技術や文化も新しいものを受け入れられなくなったり。そこに感覚的なものが入ってくると固定概念から脱却されるから、もっと柔軟に考えられるようになって楽しくなると思うんですけどね。直感とか感覚的なものを大事にできるのも「ご自愛」になると思うんですよね。

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ともこ:もう少し感性や感情も見つめられるようなご自愛ムーブメントを起こしたいと思ってるんですけど、どんなことを心掛けたらよさそうですか?

あまの店長:「感性に訴えかける」ことかな。感動するって大事じゃないですか。周知することも大事ですけど、「ご自愛」という感覚を知ってもらうために感情や感性を刺激するものを共有するのは大事だと思っています。

普段脳みそをガチガチに使っている日常生活の中で感性の蓋を開けるような作業を僕らができたら、ムーブメントが起こったり定着する気はします。みんなが自分にとっての「ご自愛」を説明できるようになることが一番の「ご自愛」であったりするから。

ともこ:「ご自愛はこれだ」と体現できるものじゃなくて、プロセスだよね。

あまの店長:だからいろんな種を蒔いたほうがいいと思います。いろんな人がいろんな種を蒔いて、みんなで稲刈りすればいい。

昨日も寝ないでいろいろ考えていたんですけど、言葉で感情的な部分を説明するのがこんなに難しいのかと。まだ「ギターで表現してください」と言われたほうが楽だわ。

ともこ:全部言語化できると思うなよ、っていう反骨精神を持ちながらも、最大限言語化することを一緒に楽しんでいきたいです。

あまの店長:僕らは広める側でもありますからね。ご自愛インフルエンサーですから。みんなにとってあの人たちがいる場所に行くことが最高のご自愛ってなれたら最高ですね。

ともこ:一緒にそんな空間を作って、ご自愛ムーブメントを広げていきましょう!

今日はありがとうございました。

頭で考えるだけではなく、感性という筋肉を動かすこと。人によってそれが音楽だったり、料理だったりするのかも。
感性のまま動いた結果に何が起こるのか考えると、わくわくしてきませんか?

▼こちらの内容は、タイニーのご自愛ラジオに収録されています。
通勤時間や、料理をしながらなど、スキマ時間にぜひ聴いてみてくださいね。


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