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自分らしさはどこからくるのか? #015「『生き方編集者』という仕事 」〜タイニーのご自愛タイムズ〜

タイニーのご自愛タイムズはご自愛について語り合う場です。ともこ&あこや、様々なゲストと共にそれぞれの日常を紐解き、「ご自愛」について探求していきます。

今回のテーマは、「『生き方編集者』という仕事」

本日は「生き方編集者」として活躍する山中康司(やまなか こうじ)さんにゲストとしてお越しいただきました。

▼山中康司さんのnoteはこちら

いろいろな方法で「人生の物語」にまつわる取り組みをしているというこうじさんは、どのような経緯でユニークな肩書きを名乗るに至ったのでしょうか?
「自分らしさ」はどこからくるのか、ご自愛を切り口にお聞きしました。
前半・後半に分けてお届けします!

「生き方編集者」は自分の生きづらさからうまれた

ともこ:こうじさんは「生き方編集者」として、どんな活動をされていますか?

こうじ:「生き方編集者」として、人の生き方や広い意味でのキャリアに関して編集をしています。働き方、暮らし方、愛し方、育て方などいろいろなトピックがありますが、ただ記事を作るだけではなく要素を組み合わせて新しい物語を作っていったり。ざっくり言うと人生の物語に関するいろんな事をやっています

ともこ:編集者と言っても、記事を作るだけではないんですね。

こうじ:写真を撮ることもありますし、ポートレートみたいな形でその方の生き方や人生の物語の1ページを撮らせていただくことがあったり、キャリアカウンセリングやイベントのファシリテーターもしています。

ともこ:こうじさんが「生き方編集者」を名乗るまでにはどんな道のりがあったんですか?

こうじ:もともとは、大学生の頃に悩んでいたことが始まりですね。周りの人が当たり前のようにバイトとかをしている中で、人と接することが怖くて僕は働くことができなかったんです。コンビニのバイトもやってみたんですけど、怖くてレジに立てないから、裏でずっとフライヤー(揚げ物をする機械)を掃除していました。

ともこ:そんなことがあったんですね。

こうじ:当然就活もできないわけです。合同説明会にも行けないですし、ましては面接なんて恐怖で一社も受けられなかった。卒業して周りは新卒で大企業に入っていくという中で、僕はニート。「自分はなんてダメな存在なんだろう」と思っていました。このままではいけないと思って、リハビリのためにあえて人と接する居酒屋のバイトをしたり、バックパッカーで海外に行ったりして何とか働けるようになって、縁のあったウェブのコンテンツ制作の会社で編集者として働かせていただくようになりました。

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その後NPOでの勤務を経て、28歳で独立して、フリーランスになったタイミングで「生き方編集者」と名乗り始めたんです。自分が働く上で「僕しかできないことってなんだろう?」と考えたんですけど、僕は生きることや働くことが怖くて働けなかった分、人よりも「なぜ働くのか」とか「なぜ生きるのか」について考えてきているそこだけは僕は誰にも負けないなと思ったんですね。僕と同じように苦しんでいる方もいると思うので、「生きる」とか「働く」みたいなテーマで編集をやったら、それまでの自分の経験にも意味を持たせられるんじゃないかと思っています。

自分らしくありたい僕と、他人の目を気にする僕がせめぎ合う

ともこ:自分で事業を作っていると、自分が人生で苦しんできたポイントや、世の中や自分自身が「もう少しこうあれたらいいな」という思いが出発点となって事業や仕事の内容が決まってくると感じているんです。こうじさんは「生き方編集者」というあり方を実践していますが、どんな葛藤がありますか?

こうじ:日々悩んでいます。「やりたいことができている」と言い切ることは難しいですし、「自分らしさって何なんだろう?」といつも考えていますね。SNSで他の人の「こんなことをやりました、こんな仕事をしました」という投稿を見ると「すげーな、俺全然だめだな」とか思っちゃうんですよね。自分らしさや自分のキャリアと言いつつ、実は他人の目を気にしている自分もいて、そことのせめぎ合いがあります。

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ともこ:最近は自分軸という言葉もよく耳にしますが、私たちは「ご自愛」は「自分の願いにちゃんと向き合えていること」だと現時点で考えているんです。つい他者と比べたり社会が期待していることを背負ってしまうこともある。その事実とうまく付き合いながら「自分自身がどうしたいのか」を問いながら生きていくことが、ご自愛につながるんじゃないかなって思っています。

日常の何気ないことに美しさを見出だすことが「ご自愛」につながる

ともこ:こうじさんは「ご自愛しながら生きていくこと」をどう考えていますか?

こうじ:自分を愛するって何なんだろうとすごく考えていて。日々の生活の中で起こる何気ないことを美しいと思うとか、それを愛することが大事な気がしています。これは自分の中でも大きな変化だと思うんですけど。

僕は「生き方編集者」としてずっと人生の物語を紡ぐ仕事をしていますが、そこに違和感も感じていました。「人生の物語」と聞くと壮大なドラマがあるようなイメージがあって、ちょっと大げさだと思いつつ、しっくりくる言葉も見つかっていなかったんです。
映画監督の是枝裕和さんがすごく好きなんですけど、是枝監督は著書『映画を撮りながら考えたこと』の中で「意味のある死より、意味のない豊かな生を発見する」ということを言っていたんです。意味のある人生や、物語がある人生がいいと言ってしまうと「そう生きねばならない」というメッセージが伝わってしまうというか。意味のある人生がよくて、人生には意味がないといけないみたいな感じにもなりかねない。それって息苦しいよなって思うんです。
是枝監督は、日常の何気ないことの中にある美しさをちゃんと描くことによって、人生に美しさや喜びを見出していく…ということを言っていて、すごくわかるなって。
「自分を愛する」ということも、何かを成し遂げたり「すごい自分」のことではなくて、日常の何気ない事…ベランダで植えたトマトの苗の芽が出たとか、自分を取り巻く小さい世界の美しさに気づいて愛するということがご自愛なのかなと最近は思っています。

ともこ:人生に意味があるかないかは評価のような感じがしますけど、美しさはより感性というかその人の捉え方次第になるのかな…
トマトの苗がふわっと育つことを美しいと思うか思わないかというのは、自分のモノサシで自分で決めればいいということなのかな。

こうじ:モノサシですらないのかもしれませんね。モノサシをほっぽり投げて、写ルンですを持って身の回りのいろんなことを撮ってみるイメージ。モノサシというと何かを尺度で測る感じですけど、そうではなくて身の回りを違うレンズで見てみるというか。

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このチーズケーキとこのティラミスだったら、こっちの方が「いいね」がつきそうだからといってオーダーするのはモノサシですよね。それもいいんですけど、そうすると見落としちゃうものがすごくある。
僕自身もつい「いいね」がつきそうなものを選んでしまうような、体がソーシャルメディア化しているような感じがするんですけど、例えば自分の部屋の壁の薄汚れたシミとか、全く「いいね」はつかないけど実は美しいと感じるところに生きている証がある気がしている
だからご自愛に関しても「誰が一番ご自愛してるか?」みたいなご自愛レースになると、本末転倒だなって。

ともこ:測れるものでもないですしね。どうしても、モノサシを持って生きてしまうけど、後半はいかにそれを手放してみる時間や瞬間を作れるかというテーマでお聞きしていきたいと思います。

他人の目を気にしていることにすら、気づいていないこともあるかも。
モノサシを手放して物事を捉えることって、どうして難しいのでしょうか?


▼こちらの内容は、タイニーのご自愛ラジオに収録されています。
通勤時間や、料理をしながらなど、スキマ時間にぜひ聴いてみてくださいね。


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