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その「癖」は奥にある願いに気づかせてくれるかも? #020「人と比較しちゃう私 part2」〜タイニーのご自愛タイムズ〜

タイニーのご自愛タイムズはご自愛について語り合う場です。ともこ&あこや、様々なゲストと共にそれぞれの日常を紐解き、「ご自愛」について探求していきます。

今回のテーマは、「人と比較しちゃう私 part2」

ついつい「自分と人を比較してしまう」というあこさん。そう思いながら日常を過ごしていると、いろんな場面で「比較」が現れていることに気づいたそうです。

▼「人と比較しちゃう私 part1」はこちら

「比較」が、心の奥にある「種」気づかせてくれた

あこ:前回「人と比較しちゃう私」というお話をお届けしたので、part2ですね。私の癖を手放すシリーズです。
今回はね、自分の夫と人の夫を比較してた。比較する対象がもはや自分じゃない(笑)

ある時ともこのtwitterを見てたら、公園で「◯◯ちゃんのパパ(ともこのパートナー)は今日はいないの?」みたいなことを聞かれたってつぶやいていて。
みんなから神のように愛されるパパさん…かたやウチの夫を見ると…となっちゃって。

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ともこ:そのつぶやきは私としては、「よし、今日は私が娘と遊ぶぞ」なんて意気揚々と娘ちゃんと公園に行ったら、娘の友達に「え〜〇〇ちゃんのお父さん来ないの〜?」と言われてね。鼻高々っていうよりは「ごめんね〜今日はお父さんじゃなくて私なの〜」と申し訳なくてさ。自虐ネタのように思っていたんだけど、あこさんは「夫が子どもと遊ぶのが得意でいいな」という風に受け取ったの?

あこ:そうなの。夫をリスペクトできなくなる瞬間があって…
そういう時ってさ、自分の言動も変わるのよ。相手の目が見れなくなるとかね。
ちょっとこれはまずいな、と思って、最終的にはいろいろ話して解消されたんだけど。

ともこ:あこさんの中でどういうことが起こっていたの?

あこ:どうしてリスペクトできない感じになっちゃったのか紐解いていくと、たぶん夫自身の強みが活かされていなかったり、夫自身がご自愛できてないんじゃないかなっていうのが見えてきた。

ともこ:あこさんの旦那さんが、ご自愛できていなかった?

あこ:そう。夫自身が自分らしくいられてなかった。で、2人で話しているうちに夫もすっきりしてきたみたいなんだけど。

ともこ:twitterを見て、人の旦那と比較したことが引き金になったけど、元々「種」があったってことなんだよね?夫君らしくないなぁ…みたいなことが。

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どの辺が比較しちゃうって感じたんだろうね?「夫が夫らしくいられていない」ということと「子どもと遊ぶのが得意な公園で人気者の夫」。一見関係ないように思えることが、引き金になるのが面白いね〜

あこ:夫はやさしさが取り柄な人だと思っていてね。だけど、それが活かされていないな〜という感じがしていて。どうしてか聞いていくと、子どもの要望に対してどうアプローチしたらいいのかがわからなかったみたい。
上の子が5〜6歳になると、子ども自身が自分の気持ちと葛藤してるんだよね。自分の奥に「お友達ともっと遊びたい」や「自分に注目してほしい」という願いがあるんだけど、それが表に出てくると「ジュース買って」みたいなことになる。

ともこ:あこさんの旦那さんが、子どもの根本にある願いじゃなくて、表に出てきている「ジュースを買うべきか、買わないべきなのか」を考えちゃうのかな?

あこ:そうそう。夫は奥にある感情に目を向けるんじゃなくて、「どうやって説得したらいいんだろう」というところで四苦八苦してて。わからなければ私がサポートに入ればいいし、わからないことは「わからない」ともっと気軽に言ったらいいんじゃない?と話して、お互いが歩み寄れた感じにはなったんだよね。

自分の思考の癖は、より深い感情への入り口かもしれない

ともこ:今回の話を聞いていて、「人と比較する癖を手放したい」というのとはちょっと違うのかもって思った。「比較すること」を使って、モヤモヤを深掘りしている気がするんだよね。
夫に対する違和感や解消したいと思っていることが元からあって、なんでモヤモヤするんだろう?となっているところに「比較」というきっかけがあって、深掘りされる感じ。
旦那さんとも話して、お互いひとつ前に進んだわけでしょ?
人と比較することを手放したいというよりは、乗り越えたいことや解消したいことがあって、あこさんの場合は「比較していること」がうずいているサインなのかも。

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あこ:そうかもしれない。比較することで「どうしてこんな風に思うんだろう」ってぐっと深掘りできているかも。

ともこ:深い感情や願いへの入り口にスイッチがあって、押さないことには奥に行けないとか。
自分の願いが出てくる時のサインって、人それぞれパターンとか癖があるのかも。
私の場合は、身近な人を批判し始めたら超レッドサイン。悲しいことがあった時に「なんでこうしてくれないんだろう」と他者に対して思ったら、もうヘルシーじゃない証なんだよね。
自分のモヤモヤの矛先をすり替えたり、一時的に解明させたいから「この人がこうしてくれないからだ」とやってしまうことがある。そうなると私は「人を責めようとしてる。今ヘルシーじゃないぞ。」と気づくんだよね。
「比較している自分を手放したい」と思っているとグルグルしちゃいそうだけど、「比較」をきっかけにもっと奥にある願いにたどりつけると思えば、また見方が変わるかもしれないね。


癖とかパターンと思っているものって、だいたい心地よくないから「手放したい」と思っちゃう。でも、それが「本当に乗り越えたいこと・解消したいと思っていること」を見つけるきっかけだと捉えれば、パターンの「輪」から飛び出す一歩になるかも?

▼こちらの内容は、タイニーのご自愛ラジオに収録されています。通勤時間や、料理をしながらなど、スキマ時間にぜひ聴いてみてくださいね。



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