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「こんな子になってほしい」と考えない理由は

私は、自分の子どもに対して「こんな子になってほしい」という期待や願望を抱いていない。どうでもいい、というわけではなく、そのように考えることをあえて避けている。

ただ、期待を抱いて子どもを育てるのはごくごく普通の楽しみ方だと思うし、否定するつもりはまったくない。ここから先は頭でっかちな人間の一つの考え方として、話半分に聞いていただければと思います。

・・・

一般的によく言われる「こんな子になってほしい」の「こんな子」は、
「礼儀正しい子」
「思いやりのある子」
「自分で考えられる子」
「友達と仲良くできる子」
みたいなものだと思う。

もう少し長い視点で見れば、
「グローバルな人」
「やりたいことを貫ける人」
「コミュニケーション能力の高い人」
のような人間像まで、話が広がるかもしれない。

親が子に抱く期待は、大きく分ければ二種類に分けられると私は考えている。それは、
(1)自分(=親)がそのように育って良かったと感じるので、子どもにも同様の成長を期待する点
(2)自分(=親)が実現できなくて後悔しているため、子どもには改善を期待する点
の二つだ。

このとき(1)に関しては、わざわざ期待するまでもないと思う。子どもは最も近い存在である親を必ず真似する。だから背中を見せるだけでいいはずだ。

例えば、私があえて「本をたくさん読みなさい」「自分で考える人になりなさい」などと教える必要はない。たぶん、自動的にそうなる。私自身、親からそのように教育された記憶はない。親がやっていたから、それが当たり前だと思って育った。

逆に(2)の「自分ができなかったこと」に関しては、子どもに期待するべきではないんだろうな、と私は考えている。例えば「私は英語が喋れないから、子どもにはペラペラに喋れるようになってほしい」と期待する前に、まず親である自分ができるようになるべきだ、と思う。先ほどの話と同じで、子どもは親の背中を見て育つからだ。

──ちょっとストイックな考え方かもしれないが、親になった時点で子どもに未来を託すという姿勢が、私は好きではない。30代だろうと40代だろうと、まだまだ人生には先がある。どんなことでも挑戦できるし、自分の人間性も改善していける。私自身、まだまだ欠点や実現できなかったことをたくさん抱えているが、「もう直らない(もうできない)」と諦めたくはない。

時間がかかっても親が努力していれば子どもはそれを敏感に感じ取る……のかなぁ。けれどもまぁそんな打算的な話ではなく、とにかく、自分の尻拭いを子どもにさせるのは嫌なのだ。

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それと、もう一つ。

子育ては、木を育てることに似ている。

日当たりや風通しの良い環境を選び、こまめに水をやり、栄養を与え、必要な時には刈り込み、台風が来たら守ってあげる──それが親の仕事だと思っている。「大切に育てる」ってそういうことなのかな、と今は思う。

そして、大切に育てた木がどんな形になるか。わからないけれど、わからないからこそ楽しみでワクワクもする。つまり、私にできることはせいぜい環境整備なのだ。

だから「こんな形の木になってほしい」という期待はしない。理想の形にするために添え木をして枝の向きを矯正するような感覚が、私は苦手だ。自分がやりたくないというより、自分が“されたくない”。

まだまだ私は、子ども側なのかもしれない。

・・・

いろいろな考え方があると思うし、正解はない。これはあくまで「私はこうしたい」という話であり、「こうしたら幸せになれる」というほどの確信はない。

私は頭でっかちな人間なので、子育ての中で直面する一つ一つの「なんとなくこれは嫌だ、こっちのほうがいい」について、理由を考えたくなる。理由を考えると頭で納得できるので、迷いなく前に進めるのだ。

ただ同時に、そんな屁理屈は結局のところ後付けに過ぎず、理由の伴わない「私はこうしたい」という感覚や感情が最重要だな、とも感じている今日この頃。

私は、深く考えるだけでなく、そのような「生(なま)の感覚や感情をありのままに受け止める」こともできる人間になりたい。今の課題の一つだ。



編集後記

前回「これからのnoteについて」という記事の中で、

今後どのような形になるかまだわからないけれど、子育てにまつわる話を何かしらの形で文章化することが、今の私が本当に欲していることなのだろうと考えている。

と書きました。

とりあえずは、この記事のように「子育てをする中で考えたこと」もこのnoteに記していきたいと思っています。

ちなみに今日は、家の近所のカフェでこれを書いています。夫にお願いして、連休の週末(※夫は隔週土曜日に出勤するため、連休でないことも多いのです)には、最低でも2〜3時間の自由時間をもらうことにしました。

私は現状、子どもと離れたいと感じることはほとんどありません。でも、どんなに好きな仕事でも休息が必要なように、物理的に離れる時間をあえてとったほうがいいのかな……と感じるようになりました。

実際に離れてみると、やっぱり、すごく楽です。隣の部屋に子どもが寝ている状況とは全然違いますね。不思議です。



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