神・善悪・欲望

■ウンベルト・エーコ『薔薇の名前〈上〉』


濃厚!濃密!こんなに濃いフィクションを読んだのはいつぶりだろうか。

枝葉末節の拡げ方が大きい……という点ではチャンドラーも同じ性質だけど、全く違う。枝葉末節が比べ物にならないほどリアルで、実態を帯びている。それが必ずしも素晴らしいというわけではないけれど、このリアリティこの濃厚さゆえに超フィクションな世界観が築かれていく。その過程を体感できてとても楽しい。

ボルヘス『伝奇集』の感想に「この人なら『ロング・グッドバイ』を10ページくらいで書けるんじゃないだろうか」と書いた気がするけれど、同じことを『薔薇の名前』にも感じた。

しかし……それではまったく別物なのだ。小説の個性がプロットだけではないことを痛感。


地理歴史を大の苦手とする私には理解の追いつかない話も多かった。修道院や異端についての記述は、大まかには理解したものの細かい人名や宗派?がどうしても覚えられず、諦めてしまった。サラッとではなくあえて深く記述していて、一度「理解できない」モードに入ると抜けられなくなって苦労する。

まだ下巻を読んでないのでなんとも言えないけど、このまま物語を読み進めることはたぶんできそう。ただ、本当はもう一度戻って読み直したい……でもちょっと全部理解するの無理かも。笑 と葛藤があります。


異端についての考え方がとても興味深い。これが上巻のメインなのかな。

もともと宗教や神には関心があったけれど、こういった正統派の宗教論争について調べたことはなく、日本の隠れキリシタンや新興宗教などへの興味だった(……というとヤバい人と思われそうなので、普段は言わないのですが。笑 ホント単純に事象として関心があるだけで、私自身は宗教に関与していません)。

神や宗教の話になると、語るテーマが多すぎてちょっと書ききれないんですが……

上巻を読んでの印象をざっとまとめると、

・肉欲を誤ちとする流れをもう少し理解したい。自然な欲求なのに否定されるようになったのはなぜか。修道院の実情はどうなのか。否定するからこそ乱交に走りがちな「異端」やヒッピー文化(と一緒くたにすると怒られそうですが)。

・でもね、何につけてもウィリアムの言葉や思想が本当にかっこよくて。シャーロック・ホームズを落ち着かせた感じで、まさに「師」。

・神というパターン(と個人的に認識している)をめぐって、なぜこうも対立できるのか。神という「絶対に理解できないもの」を都合よく用いて、人間の闘争本能を処理しているだけなのかな。とも思っている。

・キリストが罪深い私たちの身代わりになったという事実。疑ったことがなかったけど、彼のその正義というか……慈悲深さのせいで、人間の尊厳は傷つけられ(「こんなに慈悲深い人がいるなら自分もやらなきゃ」や「いやいやそんなの偽善でしょありえない」など)、その後の展開で余計な犠牲を増やしたのではなかろうか。などと不遜にも考えた。

最も魅惑的に悪徳を描いたものは、悪徳の魅力とその影響とを断罪する、頽廃を退けた毅然たる精神の持主たちのページのうちにこそ、見出されるのだ。その証拠に、この種の毅然たる人物たちは、真実の証明に熱意を燃やすあまりに、悪にまつわりつく魅惑をためらうことなく述べたてて、悪魔が弄ぶ手段を、神への愛にかけて、逆に人びとに明確に知らせるのである。 ー 134ページ
気違いにせよ、預言者にせよ、彼がいまは澄みきった気持で死のうとしていることが私にはわかった。死ぬことによって、いかなる相手であれ、自分の敵を打ち負かせる、そう信じきっているのだ。それゆえまた、彼の死が手本となって、たくさんの者たちが、それに続くであろうことが私にはわかった。(中略)果たして彼らの心のうちに、真実への誇り高い愛があふれて、それゆえに従容として死の座に就こうとするのか、あるいはまた傲慢な死への願いが漲って、真実を立証してみせようとして死へ赴こうとするのか。 ー 383ページ

諸刃の剣でない物事などこの世にあるのだろうか?美しいものは必ず美しく、優しいものは必ず優しく、誰も傷つけないのだろうか?


異形の建物の平面図、修道院の配置図だけでかなりお腹いっぱいになるのに、これでもかこれでもかと情報過多で嬉しい悲鳴。まとまりなく、思いつくことがたくさんあって、どんどん忘れてしまいそうなのが残念だ。

肝心の殺人事件についてまだちょっと興味がわいていない……のはたぶん下巻で流れが変わるだろうと予想しています。

「『聖書』が決定の余地をわたしたちに残しておいた、数多くの曖昧な事柄に関して、わたしたちが理性を行使するように神は望まれている。そしてある命題を信じよと提案されるとき、あなたはまずそれが受け容れられるものか否かを検討しなければなりますまい。なぜなら、わたしたちの理性は神によって創造されたのであり、わたしたちの理性にとって好ましいものが神の理性にとっても好ましくないはずはないから」 ー 212ページ
「人間は動物であるが、理性を備えている。そしてその特性は、笑うことのできる点にあります」 ー 312ページ



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