「想像力はよき下僕だが、主人には不向きだ」

■アガサ・クリスティー『スタイルズ荘の怪事件』

ポアロは微笑した。「想像力を働かせすぎるんですよ。想像力はよき下僕だが、主人には不向きだ。もっとも単純な説明が、いつでもたいてい当たっているんです」(P.139)


この一冊には示唆に富む台詞が多くあった。処女作だから純度が高いのかも(という気がしたけれど、まだこれを含めて二冊しか読んでないのでなんとも言えない)。

冒頭の引用は、中でも忘れられない一文だった。これは推理に限らない真理だと思う。ポアロのような理性的な人間でありたい。思考する際に芯や軸の部分から目を逸らさず、それでいて周囲を細かく観察できるようになりたいなぁと(うーん、無理そう)。


以下、ひたすら引用メモ。

「考慮に入れなくていいことなどひとつもありません。もしある事実が推理と一致しなかったら、そのときはその推理を捨てることです」(P.144)
「それは申しぶんない説明になるかもしれないし、きわめてまずい説明かもしれない」ポアロは言った。「すべてを言い尽くしているようでいて、なにひとつ説明していないのだから」(P.188)
「いいですか」彼は悲しそうに言った。「きみには直感というものがない」
「この時点で必要なのは知性じゃないですか」わたしは指摘した。
「この二つはしばしば手を携えて進むのです」(P.225)

そう……暗号解読でもそうだったけど、知性や論理的思考だけでは事件の解決って行き詰まるんですよね。直感によるジャンプから逃げてはいけない。

懺悔を聴く司祭は老人であるべきで、若い男に似つかわいい役割ではなかった。(P.265)


推理小説で推理をするのは昔から諦めてしまっている(当たった試しがない)。

純文学にない醍醐味は、張り巡らされた伏線がすべて真っ当に回収され、最後に一つの形に結実し、取りこぼしがないところですね。マトモな推理小説の場合、という前置きが必要かもしれないけれど。

あと、読んでいて苦痛がない。それは長所にも短所にもなりうる気がします。シチュエーションに合わせて読み分けができそうかな。もう少し読んでみよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?