描写の上手さに圧倒される

■レイモンド・チャンドラー『さよなら、愛しい人』


突然訪れた沈黙は水浸しになったボートのように重かった。いくつもの目が我々を見つめた。それらの栗色の目は、ねずみ色から漆黒のあいだのどこかにあてはまる色合いの顔面におさまっていた。首がゆっくりと曲げられ、瞳がきらりと光り、こちらを凝視した。異なった人種に対する反感がもたらす、痛いほどの沈黙がそこにはあった。(P.11)


「いいものを見せてもらった」

と、よくどこかのおじいさんが言って去っていくけれど(一体なんのイメージだろう)、まさにそんな感じだった。「いいものを読ませてもらった」とチャンドラー先生に手を合わせたいような幸福感で心が満たされた。

前回も書いたけれど、とにかく描写が素晴らしい。読み進めることがもったいないというか、美味しい料理だから味わって食べましょうという気分で終始読める。

さらに、「『ロング・グッドバイ』も結末を知らずに読んだらこれぐらい、いやこれ以上に面白かったんだろう」と悔しくなるほど、最後の展開にやられた。

たぶん私はまったく推理をしないので(笑)余計にラストが楽しめるのだと思う。チャンドラーは推理小説ではないな、ただの文学だな……という途中の油断もあった。でもそんなことはなかった。きちんと練られた構成が最初から最後まであった。


この二冊で完全にチャンドラーのファンになった。次は……マーロウシリーズの一作目『大いなる眠り』が読みたい。でも、ちょっとお腹いっぱいになってしまったから休憩。これでもかこれでもかと素晴らしい描写とウィットが出てくるので、続けて読むというより、すこし咀嚼したくなる。


今回読んで思ったこと。チャンドラーは、私たちの記憶からシーンを紡ぎ出すのが上手い。例えばこれ。

ポインセチアが正面の壁に、とんとんという気怠い音を立てて茎を打ち当てていた。家の横手の庭では、洗濯物を干す針金が微かな軋みを立てていた。アイスクリーム売りがベルを鳴らしながら表を通り過ぎていった。美しい新品の大型ラジオが部屋の片隅で、ダンスと愛について囁いていた。トーチ・シンガーの、声がつっかえているような深くソフトな疼きを聴き取ることができた。(P.48)

嫌というほどイメージできる描写だと思った。構成する一文一文は、これまで自分が生活してきた場所や、旅先で訪れた街などからピックアップされる。自分自身忘れているシーンが溜められた記憶の泉に、きれいに石を投げ込まれて、水面が反応して波紋を広げるような……そんな鮮やかさ。

だから、著者が考えている映像と読者がイメージする映像は、少しズレるかもしれない。でもそのズレを許容するかのように、物理的な整合性はあえて文章にのせていないのかもしれない。それでこそリアルに映像が立ちのぼるのでは?

もしいくらか身綺麗にして、白いナイトガウンを着たら、ひどくよこしまなローマの元老院議員のように見えただろう。(P.225)

「ひどくよこしまなローマの元老院議員」なんて、会ったことないし映画で観たこともない。実際にはわからないはずなのに、これほどよくわかる比喩があるだろうか……?

彼女はそのあいだのドアを、まるでパイの皮でできたものみたいにそっと閉めた。 (p.326)

「パイの皮でできた」ドア?一体どうしたらそんな例えを思いつくのだろう!?

翻訳者の村上春樹氏が解説でこうも書いている。

チャンドラーくらい訳していて楽しい作家はいない。ひとつひとつの家屋や、ひとつひとつの敷石が意味を持った街路を歩いていくようなもので、何度往復しても興趣が尽きることはない。(P.477)

本当にその通りだと思う。


ミステリー/推理小説として、の感想からかなりズレてしまうけれど、作品として間違いなく楽しめた。好きな人はとても好き、合わない人は合わない、というタイプの小説家だと思う。そういう意味でも村上春樹にそっくりだ。

そして今日届いた一冊は、コナン・ドイル『緋色の研究』。

幸福にも、読みたい本が尽きる気配は当面ありません。



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