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タイムイズマネー、人生は有限なり。

■セネカ『人生の短さについて 他2篇』



手の中にあることが確実なものなら、それがいかにわずかでも、やりくりするのはたやすい。しかし、いつ尽きるともしれないものは、より慎重に守らなければならないのである。 ー 43ページ


「人生の短さについて」「母ヘルウィアへのなぐさめ」「心の安定について」の三作が収録されている。

ストイックの語源ともなっている「ストア派」に属するだけあって、禁欲的な思想のセネカ先生。全体として素直な感想は、「そこまでストイックになれないかな〜」でした。汗 服も食べ物も住む場所も最低限でよいのだ、仕事と自分を高めることだけ頑張れ!と言われても……「いやぁ、もう少し買い物とか楽しみたいッス」と思ってしまうダメな私です……。


でも、冒頭の引用もそうなのですが、表題作の「人生は短い」という思想はすごく大事だと思った。

自分の金銭を他人に分け与えようとする者など、どこを探しても見あたらない。なのに、だれもかれもが、なんとたくさんの人たちに、自分の人生を分け与えてしまうことか。ひとは、自分の財産を管理するときには倹約家だ。ところが、時間を使うときになると、とたんに浪費家に変貌してしまう──けちであることをほめてもらえるのは、唯一このときだけだというのに。 ー 23ページ

これは本当に耳が痛い。なぜみんなお金は1円までシビアに計算するのに、時間に関してはゆるゆるなのか?自分のお金を理由もなく他人に渡したりはしないのに、自分の時間は簡単に与えてしまう。人に与えなくても自分で浪費してしまう。確かによくない。

この件についてセネカ先生はとても厳しくて、

ある人の髪の毛が白いとか、顔にしわが寄っているからといって、その人が長く生きてきたと認める理由にはならない。その人は、長く生きていたのではない。たんに長く存在していただけなのだ。 ー 41ページ

こ、こわぁ。笑

でもホント、ただ歳を重ねただけの人間にはなりたくないなぁと……。20代の頃はまだ若いと思っていたからそういう発想がなかったけれど、30代になると終着点を見据えるようになる。

それに。もう一度冒頭の文章を引用すると、

手の中にあることが確実なものなら、それがいかにわずかでも、やりくりするのはたやすい。しかし、いつ尽きるともしれないものは、より慎重に守らなければならないのである。 ー 43ページ

そう。私たちの時間は、私たちの財産以上に「いつ尽きるともしれないもの」なのだ。

毎日を最後の日のように大切に生きなければいけない、なんて、誰でも一度は聞いたことある言葉だろうけれど、実践できている人がどれだけいるだろうか?心のどこかで「まだまだ死なない」と思っているんじゃないか。私は思っていた。いや、今も思ってしまっている……。


セネカ先生の教えはすこしカタすぎてついていけない面もあったけれど「時間が有限である」という事実を思い出させてくれたことに感謝し、日々を有意義に過ごそうと思う。

過去の素晴らしい先生方との会話(=良い本を読むこと)はもともと私の趣味の一つなので、セネカ先生も推してることだし、引きつづきたくさんの過去に接していきたい。

自然は、われわれに、すべての時代と交流することを許してくれる。ならば、われわれは、この短く儚い時間のうつろいから離れよう。そして、全霊をかたむけて、過去という時間に向き合うのだ。過去は無限で永遠であり、われわれよりも優れた人たちと過ごすことのできる時間なのだから。 ー 68ページ
すべての時間を自分のためだけに使う人、毎日を人生最後の日のように生きる人は、明日を待ち望むことも、明日を恐れることもない。 ー 41ページ


ちなみに光文社の古典新訳文庫とても読みやすくてハマりそう。自分の中で文学と哲学は分けて考えていて、前者はある程度原文に近い文体で楽しみたいのだけど後者は内容さえわかればいいと思っているので、哲学は新訳でどんどん読んでいきたい!

今はね、アリストテレス『ニコマコス倫理学』とニーチェ『ツァラトゥストラ』がとっても読みたい。あと光文社にはなかったかもだけど、サルトルも読みたい。ワクワクするなぁ。(難しくないといいなぁ……笑)

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