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〈感情〉型と〈思考〉型の違いについて|ユングのタイプ論/MBTIの話

素人の考察にすぎないのですが、ユングのタイプ論/MBTI診断における〈感情〉型と〈思考〉型の違いについて理解を深めるべく書いてみました。エビデンスがあるわけではない点をご了承ください。

どちらかといえばユングのタイプ論よりもMBTIあるいは16タイプ診断に基づいた話です(そもそもMBTI自体がタイプ論をベースにしているのですが)。質問型のテストにしては出来が良いと思うので、まだの方はぜひ。

診断結果には4文字のアルファベットが表示されます。その4文字を①②③④とした場合に

①:I(内向)またはE(外向)
②:S(感覚)またはN(直観)
③:F(感情)またはT(思考)
④:J(判断)またはP(知覚)

となっており、これらのかけ合わせで16種類のタイプが生まれています(以前死ぬほど分析したので覚えてしまった笑)。掛け合わせの詳細説明は割愛します。

さて今回取り上げるのは③です。タイプ論やMBTIに関する解説を読んだ私の理解では、

②:知覚→レセプターとして機能する性質
③:判断→アクションの際に機能する性質

というような違いがあります。つまり

〈感覚〉または〈直観〉により物事をキャッチして
〈感情〉または〈思考〉により処理/行動する

──というイメージで概ね合っているかと思います。4文字のアルファベットに出てきているほうが得意な性質です。


〈感情〉型は〈思考〉しないのか?

私にとって②〈感覚〉と〈直観〉の違いを理解するのは比較的容易でした。物事の受容パターンとして、「ありのままを受け止める」ことが得意な〈感覚〉型と「概念的に受け止める」ことが得意な〈直観〉型。という違いは比較的理解しやすい。

しかし、〈感情〉型と〈思考〉型の違いはすんなりと理解できませんでした。原因は用語自体にあると思います。ストレートに用語を受け止めてしまうと、

・〈感情〉型の人は「感情的」なのか?
・〈思考〉型の人は「感情的」にならないのか?
・〈感情〉型の人はあまり〈思考〉しないのか?
・考え込む人は〈思考〉型であって〈感情〉型の人は悩まないのか?

という印象になってしまいます。しかしこれがおそらく間違っていたと思います。


〈感情〉または〈思考〉に基づいて「検討する」

③の分類を「〈感情〉優位の人だ」「〈思考〉優位の人だ」と捉えるのはやや早計に過ぎるというか言葉足らずだと思いました。より丁寧には、

・〈感情〉に基づいて検討する
・〈思考〉に基づいて検討する

このような分類ではないか。

たとえば、社内で人間関係のトラブルが発生したとします。

〈感情〉型の人は、まず自分の感情を動かす(共感する)。誰かに共感したり(しなかったり)した後に、自分を含めた人々の感情の動きを“検討する”ことにより、物事の解決策を探す。

一方で、

〈思考〉型の人は、まず問題の配置を理解しようとする。原因の追求と因果関係の理解を試みた後に、解決に必要な要素を“検討する”ことにより、物事の解決策を探す。

……というような違い。つまりいずれも“検討する”のだと思います。

これは一般的に“考える”とか“悩む”と呼ばれる行動です。

だから、〈思考〉型の人だけが“考える”わけではなく、〈感情〉型の人も“考える”。でも、“考える”と言いつつベースは〈感情〉。あくまで〈感情〉に基づいた検討である──そのような説明がしっくりきました。

結果として両者が同じ結論を出す可能性はありますが、過程が違います。

私は〈思考〉型の人間なので〈思考〉型の思考回路はよくわかるのですが、あまり人の感情について検討しません。もちろん人間だから感情について当然考慮しますが、それは問題の解決に至る過程の一要素にすぎない。心からの共感は難しいのです。どちらかといえば問題の構造を頭で理解して解くという感じです。

逆に──想像になってしまいますが──〈感情〉型の人がいきなり問題の構造を捉えようとすることは少ないように思います。まず自分はどう感じるかがあり、そして他人がどう感じているかを想像する。それが彼らの思考回路ではないか。

このように、タイプが違うと「同じ結論に至ってるはずなのになんだか話が噛み合わないな。まぁ同じならいっか……」というモヤッと感もありえるのではないでしょうか。


能力的にできないのではなく、苦手なだけ

ただし、〈感情〉型の人が思考に基づいた検討をできないわけではない。その逆もまた然りです。

思うに、逆の作用が「できない」わけではなく「苦手」なのではないか。これは河合隼雄著『ユング心理学入門』にも書かれていたことです。


たとえば私(〈思考〉型)は、感情を想像したり共感することができないわけではなく、ただただ苦手なのです。

・無理に共感しようとすると精神のバランスを乱したり、問題解決に向かう冷静さを失ったりする
・感情を動かしすぎるとネガティブになりがちで後悔することが多い

と自己分析しているため、「感情を動かしてもいいことがないから極力控えよう」となり、感情機能を封じ込めて物事を検討するクセがついてしまいました。

実は二十歳前後までの私はめちゃくちゃ感情優位で生きていました。ゆえに精神的に不安定でした。仕事をするようになって思考優位になったら精神が安定したので、それ以降は感情を意図的に抑圧しています(まぁ今となっては無意識です)。

MBTIやユング心理学で「劣等」機能と呼ばれる所以がこれだと思います。「できない」のではなく「苦手」で、扱いきれないから蓋をしてしまう。蓋をすることで精神バランスを保つ。という側面が少なからずあると思うのです。

なぜこのことに気づいたか。

私は過去の嫌な出来事のエッセンスだけを覚えてしまい、ふとした瞬間に思い出すことが頻繁にあります。でも、自らの感情に対面して掘り下げると十中八九悪い方向に向かうと経験からわかっているので、対面すらせずスタコラと逃げます

一方で、〈感情〉型の母や夫は、過去の感情と正対するのです。私からすれば理解できない、耐えられない行動です。「そんなものと向き合っているのは危険だから逃げなさい」と言いたくなるのですが、というか言うのですが(笑)、何度言っても変わらない。

そこでふと思ったのは、私にとって彼らの行動が苦行にしか見えないように、彼らは私の行動が理解できないのかもしれないということです。

私のように抽象的な物事の関連性を考えて頭の中でこねくり回してばかりいる人を「辛そう」「何が楽しいかわからない」と思う人はいるだろうな……と、noteやTwitterをやっているとなんとなく感じるんです。

というわけで、〈感情〉型が感情的とか〈思考〉型が悩みがちと単純に説明はできない。そうではなくどちらをより「うまく扱いきれるか」、言い換えれば「楽に扱えるか」ということ。だから、以前の私のように〈思考〉型こそ(下手なので)感情的に暴走する可能性もあるのではないかと思います。これも河合隼雄先生の本に書いてありました。


職業との関連性

さて、タイプを真に活かせるのは職業の選択という場面だと私は思います。むしろ、ほとんどの人はすでに(無意識のうちに)自らのタイプに基づいて職業を選択しているのではないでしょうか。

〈感情〉と〈思考〉の違いは、先ほども書いたように「できるかできないか」というより「得意か苦手か」という形をとると思います。その違いは、仕事において「スピード」と「正確性」という指標に結びつきます。

言うまでもなく、自分の型の能力に基づく検討や判断のほうが「速く」て「正確」である。

例えば、先日仕事の関係で保育園を見学したのですが、保育士さんに必要なのは〈感情〉型の能力だと感じました。子どもという予測不可能な集合を前にして、法則性や因果関係で頭を悩ませるのは不適当です。むしろ、「泣いている」という状況を見て咄嗟に「危ない」「かわいそう」と自身の感情を動かす能力や、子どもの感情を想像して素早く対応する能力が求められると思います。因果関係を考えるのは後でも間に合います。

一方で、医者は少し難しい立場です。彼らが〈感情〉に基づいて検討してしまうと、個別性に足を取られて判断が揺れ動く可能性がある。もう少しドライに、人間を事象として見る〈思考〉型の検討が必要だと思われます。しかし一方で「接客業」でもあるので、患者への共感も(本来なら)求められます。難しい仕事だなぁと思います。

もちろん、どちらかの能力しか使わない仕事というのはほぼ存在しないと思います。より「速く」て「正確」であることが求められる検討と判断はいずれのタイプか、ということです。

・自分が得意なのはどちらの“検討”かを知ること
・目指す職業に求められるのはどちらの“検討”かを知ること

これは大事な気がします(なんのコンサルかという感じがしてきましたが笑)。

以上をまとめておきます。

●〈感情〉型と〈思考〉型の違いは、どちらに基づいた検討がより得意であるかという違いである

●このタイプの違いは能力・性質の「有無」ではなく「得意か苦手か」の問題である(感情的な人とか考え込む人という分類ではない)

●得意な性質に基づく検討ほど「正確性」と「スピード」が担保できるので職業の選択に有効である

※私自身は完全な素人ですので、あくまで「このように理解したらよりわかりやすいのではないか」という観点で書いています。

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