フェアかアンフェアか?

■アガサ・クリスティー『アクロイド殺し』(ネタバレあり)

「先生、こうした事件に何度もぶつかっていると、あなたにもおいおいわかりますよ。どの事件も、ひとつの点で似ていることにね」
「どういう点ですか?」わたしは興味をそそられてたずねた。
「関係者全員が、何か隠しているということです」(P.137)

※物語の性質上、ネタバレを避けられませんので、まだ読んでいないかたはご注意を。


「フェアかアンフェアか」と議論を巻き起こした……と話題の一冊。前情報があったおかげで、隠された仕掛けにつながる違和感を自分で拾うことができた。


まずは、文体の違和感。

最初は、翻訳者が違うからか?と思った。最近は海外の小説ばかりを読んでいるので、「この翻訳者が良い(悪い)」というレビューをよく目にする。出版社ごとに翻訳者が違うと、レビューを読んでより良さそうな人を選ぶ。「翻訳ものはそこが嫌だなぁ、できれば原文を読みたいなぁ」と思っていた矢先だった。

ポアロシリーズは、翻訳者が統一されていない(エピソードによって異なる)ので、今回の羽田詩津子さんはこういうスタイルなのかな?いつもとちょっと違うな?と、まず考えた。

しかし次第に、翻訳者の差にしてはあまりに違いすぎる……と思い始めた。何かがおかしい。


さらに、この語り手はワトソン(ヘイスティングス)役「らしくない」。物分りが良すぎるのだ。

「なぜ今回、クリスティーはこういうワトソン役を選んだのだろう?でも、いつもより賢いのも、悪くないな……けっこう好きかも」などとぼんやり考えていた。

しかし物語が終盤に差し掛かり、犯人は誰だろう?と考え出した所で、うーん、容疑者の誰になっても驚きがないな。これはもしや……と、なんとなく読めた。

このスタイルは「叙述トリック」と呼んでいいのかな?

フェアかアンフェアかはわからないけど、面白いと思う。けれどストーリー(結末)自体はあまりしっくりこなかった。

そう、最後の最後。あれはな……違ってほしい。笑


エラリー・クイーンの後で久しぶりに読むと、違いが際立ってすごく楽しかった。そのことについては別のエントリーで書きたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?