”I suppose it’s a bit too early for a gimlet”

■レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』(二回目)(ネタバレあり)

※完全なネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。



初めて読んでからまだ二ヶ月。こんなに早く再読したことはない。

「ギムレットには早すぎる」の意味がきちんと理解できないことがずっともどかしかった。検索してもしっくりくる答えはないし、ギムレットを飲むシーンだけを拾い読みしてもよくわからず、これは全部読むしかない。となった。

何よりこの小説をもう一度じっくり味わいたかった。


「ギムレットを飲むには少し早すぎるね」

は、直接的には「まだギムレットという酒を飲むには時間が早いね」という意味だと思う。テリーの失踪以前、二人は夕方の開店したばかりのバーに通い、静かな店内でカクテルを傾けた。それを思い出して言っているのだろう(再会シーンは朝だから、確かに早すぎる)。

しかし、テリーがほのめかした裏の意味は「バレたか。そう、俺だよ」ということだ。「ギムレット」は二人の合言葉みたいなものだから。

このセリフの後で、テリーはマーロウを飲みに誘う。いつものバー<ヴィクターズ>に行ってギムレットを飲もう、と。しかしマーロウは断る。

「君は私の多くの部分を買いとっていったんだよ、テリー。微笑みやら、肯きやら、洒落た手の振り方やら、あちこちの静かなバーで口にするひそやかなカクテルでね。それがいつまでも続けばよかったのにと思う。元気でやってくれ、アミーゴ。さよならは言いたくない。さよならは、まだ心が通っていたときにすでに口にした。それは哀しく、孤独で、さきのないさよならだった

マーロウは、こうしてテリーを拒絶する。この「哀しく、孤独で、さきのないさよなら」とは一体なんのことか?

少し時間を遡る。

テリーは、別れ際に残した手紙にこう書いていた。

事件のことも僕のことも忘れてほしい。ただその前に<ヴィクターズ>に行ってギムレットを一杯注文してくれ。そして今度コーヒーを作るときに僕のぶんを一杯カップに注いで、バーボンをちょっぴり加えてくれ。煙草に火をつけ、そのカップの隣に置いてほしい。そのあとで何もかもを忘れてもらいたい。テリー・レノックスはこれにて退場だ。さよなら。

一方的に書かれた手紙。自分が殺人を犯したと告白し、ギムレットを飲んで忘れてくれ、さよなら、と。

でもマーロウはずっと、テリーが無実だと信じていた。その殺人は残虐すぎてテリーがやったようには思えなかったからだ。そして長い時間をかけて本当の犯人(アイリーン・ウェイド)を探し当てた。

彼女は自殺したが、残した手紙に真相が書かれていた。マーロウはその手紙を入手し、新聞に掲載する。マーロウは友人であるテリーの無実を一人で信じぬき、真相を暴き、そして危険を承知で世間に証明までした、ということだ。なんてハードボイルド。

「私にはさよならを言うべき友だちがいたと君は言った。しかしまだ本当のさよならを言ってはいない。その写真複写が紙面に載ったら、それが彼に対するさよならになるだろう。ここにたどり着くまでに時間がかかった。長い、長い時間が

こうして彼は一人で、友情にケリをつけたのではないか。その直後に一人でヴィクターズに行ってギムレットを飲み、掲載された紙面を眺める。

(注:これ以前にも一人でヴィクターズに出向きギムレットを飲むシーンがある。マーロウはそこで終わりにするつもりだったのかもしれない。しかし偶然にも被害者の姉に出会い、二人でギムレットを飲み交わした。そこで物語は進展し、真相につながっていった)

マーロウは、彼に言われた通りギムレットを飲んで、面影を心から葬り去ろうとした。彼は無実だったしひょっとして生きているかもしれない、でも自分の前からは消えたのだ……と。それはとても辛く悲しい「さよなら」だったはずだ。

これが「哀しく、孤独で、さきのないさよなら」だったのではないか……と私は思った。

なのに。

ひょろりと現れて「ちょっとギムレットでも飲みにいこうよ」なんて言われても「オイオイ、あの『さよなら』は何だったんだ?ギムレットはそんなに軽いものだったのか?」と愕然としてしまうだろう。私ならたぶんそう思う。

さらにテリーは、自分が雲隠れしている間にかつての妻がもう一つの殺人を犯してしまったことや、彼女自身が死を選んだことについて、悔いる素振りは微塵も見せない。

「長いあいだ君という人間のことがうまくつかめなかった。君の生き方や人柄にはそれなりに心引かれるところがあった。しかしそこには何かしら歪んだところもあった。君には自らの基準というべきものがあり、それを守って生きていた。しかしその基準はあくまで個人的なものであり、倫理や徳義といったものと繋がりを持たなかった
君はまっすぐな心をどこかで失った人間なのだ。戦争がそうしたのかもしれない。あるいは生まれつきそうだったのかもしれない」

と、マーロウの言葉は手厳しい。

本音では、マーロウはテリーのことがまだ好きで、会えて嬉しかったと思う。でも、テリーがどこか人間らしい感情を喪失した男であることを、マーロウはここで確信した。自分の正義感との、埋めがたいギャップにも思えたことだろう。

すでに自分の中で決着をつけたテリーとの別れを思い出し、そして失われた小説家の命を考えた。真面目なマーロウは「そうだな、ギムレットでも飲みに行くか」と簡単に言えるはずなどなかった。

……というのが私の解釈です。

テリーが去った後のマーロウの心情はこのように描かれている。

足音は時間をかけて遠ざかり、やがて沈黙の中に吸い込まれた。それでもまだ私は耳を澄ませていた。何のために?彼がふと歩を止めて振り向き、引き返してきて、私が抱えているこの胸のつかえを取り払ってくれるひとことを口にすることを求めていたのか?

こんなに悲しいことがあるだろうか。

マーロウはここで、テリーから良心の呵責を告白されることを、期待したのかもしれない。本当は「まっすぐな心をどこかで失った人間」なんかじゃないということを、証明してほしかった。でもテリーは振り返らなかった。彼自身は自分の過ちに気づいてすらいないのだから。

マーロウには、しんみりした愛情や友情などよりも譲れないものがある。どこまでいっても自分中心に振る舞うことができない、正しくて寂しい人間なのだと思う。

で、結局……

”I suppose it’s a bit too early for a gimlet”

強いて言えばこれは、すれ違う友情を表すセリフなのだろう。友情を過去に置いてきた堅気な男(マーロウ)と、友情を現在進行系で考えている楽観的な男(レノックス)。

二人は出会ってすぐ、言葉にできない部分で通じ合った。それは幸せな友情だ。

だが、本当に深い部分ではわかり合えなかったのかもしれない。

世間的にこの物語がどう評価されているかよく知らない。でも私にとってこのラストシーンは、あまりにも救いがたく、読むに堪えないすれ違いのシーンだった。

目の前にあってなお、心の距離が見えないほど遠く離れてしまった二人。一人はそのことに気づき、もう一人は気づかなかった。だからこそ彼らは別れるしかなかった。


友人との別れは、男女(恋愛関係)の別れよりも辛いと思う。

男女が恋愛関係かそうでないかの判断基準は肉体関係だから、それを解消しても、肉体関係をもたない友人にはなれる時がある(あくまで一般論)。一方で、友人というのは心だけでつながっている。その別れはすなわち、埋めがたい価値観の相違を意味する。

友への愛情は、強い意識を向ければこそ余計に、かくも脆く、そして永遠に崩れ去るものなのかもしれない。

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