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「われわれはむしろ、白刃をさげて敵の前に立つ剣士に近い」

■河合隼雄『ユング心理学入門』



(われわれは)もはや、落下するリンゴを立って見ているニュートンではありえない。われわれはむしろ、白刃をさげて敵の前に立つ剣士に近い。 ー 7ページ

(一つ前の投稿を読むと何一つ効果がなかったことがわかるのですが……)心理学に突っ込みかけた足を抜くことは容易ではなく、結局ある程度タイプを分解し、その元祖たるユング先生の思想まで読むに至って、やっとこさ落ちついた……のかな?笑


この本についてまず一言感想を述べるなら、「安い」。倍はとっていいでしょう!安すぎる。──と思ったら出版されたのはなんと半世紀前、価格はどの程度改定しているのかしら?と無駄な心配をするほどに、充実した一冊だった。

単に充実しているだけでなく、とにかく読みやすい。扱っているテーマは難解なのに、ここまでわかりやすく書ける河合隼雄先生は類稀なる頭の良い人、そして人格者だと思った。

ちなみにこの本、なぜか8年前にすでに読んでいた……らしい(全く記憶にないけど読書管理記録に残っていた)。当時の印象は薄かったようで、読書というのはタイミングだなぁとしみじみ。

今の私にこの本はぐんぐん浸透してきた、それは、タイプ論に興味をもったからというのもあるけれど、どちらかといえば知識の土壌が形成されていたことが大きいと思う。具体的には聖書、ギリシア神話、セラピストという職業、などである。

しかし一方で今、私の精神状態は非常に健康であり、それゆえに入り込めない部分もあった。あくまで理論・学問としてしか読めなかったというか。


興味をもったきっかけであるタイプ論は自分の中でわりとさらっと流れてしまった。それにタイプ論については引き続きサンプル(自分)を用いて考察すると思うので、今回は触れない(あれ、やめられてない……)。

その他の興味深かった内容はたくさんあり逐一言及するのは大変なので、二つだけ大きなことを書こうと思う。いずれも本書の具体的な趣旨と少しずれる。一つは「元型」という発想について、もう一つは非因果律的な考え方について。

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まず「元型」について。この概念を詳細に説明するのは避けます。正確に書く自信がないから。

ですが、あくまで私の感覚で、この概念はカントのコペルニクス的転回(これも難しいので説明を避けますが)に近かった。概念自体の内容というよりも、発想を転換させて、物事を見やすく記述しやすくしたこと。そこに感銘を受けた。

聖書や神話に繰り返し登場するモチーフが共通している──これは「なるほど、そうかも」と思えるだろう。で、同じモチーフが色んな地方で頻出しているので、言葉で伝達しているわけでもなさそうだ──ここまでも事実として許容できる。不思議だなぁ、と(だいたいここで終わると思う)。

ではそこで「なぜ同じモチーフが繰り返されるのか?」を考えたときに、元型という、それ自体は形態のない作用点によるのではないか。とユングは説明した。ここが本当に凄い。

注:「元型」を調べると、そこから生まれる「イメージ」と混同された説明が多いように思う(河合隼雄先生もそう書いていた)。ここは明確に区別したい。そうでないと、私が感動している発想ではなくなってしまう。


実際に元型が、心あるいは脳や遺伝子の中に存在するかどうか。それはまぁ別にどうでもいい──というか誰にもわからない。わからないけれど、「たしかにそうやって説明できるね」という説明を考えたことが凄い。その発想を元に、シャドウやペルソナ、アニマ・アニムスなどの概念を編み出し、体系的に自分の理論をつくり上げたこと。それが無茶苦茶凄いなぁと思った。

もしこれが「人類には共通して普遍的無意識というものがあり、そこにはグレートマザーやトリックスターというイメージがあらかじめ(生まれながらにして)刻まれている」と言われたらどうだろう?……うーん、なんとなく信じがたいなぁ。と私は思ってしまう。人間が赤ちゃんの頃からそんな具体的なイメージを抱いているとは考えにくい。

でも、あくまで認識の型ならば、赤ちゃんが持っていてもおかしくないな。と素直に受け止められた。文字通り「型」だから、そこから型で焼いたように同じイメージができる。なんという素晴らしい解決策だろう!(なんか感動してるところズレてる?笑)


単語のイメージが強烈すぎて、ややスピリチュアルな方向に流れやすいかもしれない。さらに、後述するように非科学的な可能性を否定しないスタンスがゆえに、リアリストの意見に比べてぱっと見の印象はフワフワしている。でも実は夢見がちではない、と私は感じた。ちゃんと全体を貫く論理がある。フワフワさはすなわち寛容さではないだろうか。

彼らにとっては、朝になって太陽が昇る現象と、それによって彼らの心の内部にひき起こされる感動とは不可分のものであり、彼らには、その感動と昇る太陽とは区別されることなく、神として体験される。 ー 98ページ

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二つ目の、非因果律的な考え方について。

現象を因果律によって把握することの重要性はいまさらいうまでもなく、それは自然科学の根本であるが、われわれが心理療法に従事するときは、このような態度と共に、一方、非因果律的な布置を全体として把握しようとする姿勢が大切となる。 ー 260ページ


因果律、非因果律という言葉だけ聞くとちょっと難しい。ざっくり言えば、因果律的な考え方は、現代人にとって一般的な考え方だ。科学や論理は因果律に依っている。

例えば、今日は頭が痛い。なぜだろう?おそらく天気が悪くて気圧が低いからだろう……と考える。お腹が痛いのは、賞味期限切れの食品を食べたからだ。彼氏をフったのは、浮気されたからだ(どうした急に)──というふうに、原因があるから結果があり、過去があるから未来がある。あまりにも当たり前のようだけど、これが因果律的な考え方だ。「因果応報」の因果。

では上の引用の「非因果律的な布置を全体として把握する」とはどういうことか?

本の中では例として予知夢が挙げられている。夢を見たらその通りのことが近い将来に起こった、もしくはほぼ同時に起こったというようなとき、これは私たちの慣れ親しんだ因果律では説明できない。「夢をみる」という行為と「出来事が起こる」という現象の間に、原因と結果の関係が結ばれているとはどうも思えない。正確に言うと“私たちの常識(科学的なものの見方)では”そう思えない。

しかしこれが現に起きているとしたら、どう考えればいいのだろう?それは魔法なのか?奇跡なのか?テレパシーなのか?

いずれも非科学的な発想で、ばかげている。と思う人がほとんどだろうし、私も正直に言えば「偶然でしょ?よくよく調べたら違うんじゃない?実は何かで見たんじゃない?」と思う。感覚的に受け入れがたい。

でも、ここで先生は、非科学的──つまり非因果律的な関係性を否定しないことが大切だ。と説いている。それは現に起こった、複数の出来事が関係した状況である(これを布置というらしい)のだから、因果律で結べるか結べないかではなく、それ自体を事実として受け止めよう。……ということだと思う(上の引用)。


これも、私にとっては目から鱗の発想だった。

以前、『アフリカの白い呪術師』(ライアル・ワトソン)という本を読んだ。そこに描かれるアフリカでは、科学ではなく呪術が一般的に信じられていた。(論理的なものの見方が大好きな自分にとって)感覚的には受け入れがたいものの、そのような慣習で生きること、ものを見ることが可能なのか。と戦慄した。

このとき思い出したのは、ドラえもんの「魔界大冒険」という長編映画(の原作漫画)だった。この舞台では科学の代わりに魔法が一般的だ。「科学なんて迷信、信じてるの?」とのび太くんに言うしずかちゃんが印象的だった。

要するに何が言いたいかというと、科学的なものの見方が正解ではないのかもしれない。いや、正解などないのかもしれない。何かを説明するにあたって、最も多くのことを最も効率よく説明できたのが科学(や因果律)だっただけかもしれない。と、いうこと。

先ほども書いたように、とても受け入れがたい考え方だ。因果律を捨てろなどと言われても、因果律による事象の処理は、私たちにとって(それこそ)無意識で考えてしまうほど馴染んだものだから。

でも、因果律で説明できないものにもし遭遇したら、この「非因果律的な布置」は非常に有効かもしれない。というか必要かもしれない。と、これまた大いに感銘を受けた。

現在の非因果的布置を確実に把握しようとの態度は、未来に志向しており、その解決の流れが未来に向かって生じる ー 262ページ


──とこんな調子で書き始めると無限に書きたいのだけど、ちょっと疲れちゃうので笑、もう一つだけ書いて終わりにします。


冒頭の引用を繰り返す。

(われわれは)もはや、落下するリンゴを立って見ているニュートンではありえない。われわれはむしろ、白刃をさげて敵の前に立つ剣士に近い。 ー 7ページ

心理療法を実践する人(「治療者」と表現されていた)は、このようなスタンスで患者と正対──いや、介入しなければならないのだ。と全体を読んで理解して、「なんて大変なんだぁ!」とビビってしまった。私には到底できそうもない。

時には入り込みすぎてやられる危険性があり、丸腰で臨むには危うい立場でありながら、常に先入観を排除し、一人一人がパターンのない人間であるという意識でいなければならない。傍観することは許されず、かといって深入りしすぎず、常に冷静でいなければならない。冷静でいつつも親身にならなければ……

いや、無理無理!笑

と、やる前から根を上げてしまいそうなほど、大変だぁと思った。

大変で、大切な職業だと感じた。

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