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YOASOBIの音楽が気持ちいい理由

Twitterで関ジャムの「2020 年間ベスト10」という回の情報を見て、TVerで視聴した(この番組見たの初めて。普段ほとんどテレビを見ないので……)。いしわたり淳治、川谷絵音、蔦谷好位置という3人のプロデューサーが、2020年にリリースされたうちお気に入りの10曲を紹介するというもの。面白かった。

その中で、いしわたり淳治さんがYOASOBIについて話していた内容がとても興味深く、少し掘り下げて書いてみたくなった。

(うろ覚えで書いています。若干言葉は違うかもしれませんがご了承ください)

いしわたりさんは、YOASOBIが「ズルい」と言う。曰く、「『小説で曲をつくる』という発想が天才的なのだ」と。

※知らない方のために補足しますが、YOASOBIは「特定の小説をモチーフにして(そこから着想を得て)楽曲をつくる」というスタイルなのです。

その理由はまず「一つの小説で一曲をつくる、というオートクチュール的な楽曲制作が、これまでの大衆に向けた曲づくりとは違って新しい」と。たしかに。

しかしおそらくこの理由よりも、以下に書くことが彼の本当に言いたかったことだと思う。いしわたりさんは、さらにこう続けた(記憶を頼りに書き起こします)。

「YOASOBIの歌詞は、言葉と言葉の間に隙間が多い──という印象を、最初は受けた。

一般的に歌詞というものは具体的な描写を入れることによって、聴き手に状況をイメージさせる必要がある。例えば『セーラー服』というワードで『女子高生』を想起させ、『桜が舞う』という描写で『春』を想起させる、というように(※すみません2つ目忘れましたが大体こんな感じ)。

しかし、小説一作に対して一曲というスタイルならば、隙間は小説のほうが埋めてくれるから、すべて描写する必要がない

ゆえに、純粋に音にはめることだけを考えて言葉を選べる。それがズルい」

この話を聞いたときは「はは〜。なるほど」程度にしか感じなかったが、その後じわじわと「ズルさ」がわかってきて、いしわたりさんのプロならではの着眼点(着耳点?)の鋭さに嘆息した。

いしわたりさんの1位がYOASOBIの「ハルジオン」だとわかった瞬間、ワイプに映るザキヤマが「だって気持ちいいもんな〜」とつぶやいたのが印象的だった。

「気持ちいい」

という感想は、YOASOBIにピッタリな言葉だと私も思う。そしてその「気持ちよさ」の一端を……というか、かなり大部分を担っているのが、いしわたりさんの言うような音ハメだと感じる。

聴いてみるとよくわかる。例えば最新曲の「怪物」。

これまでと違うテイストで少し暗めだが、やはり聴いた瞬間に「気持ちいい」。メロディの良さ、声の良さもさることながら、一音に一文字が対応していることも気持ちよさに大きく貢献していないだろうか?

最も盛り上がる「清く正しく生きること〜教えてくれよ」のあたりはわかりやすい。

そう言われてみればたしかに、ここまで一音に一文字がバッチリ対応するJ-POPはあまり多くない気がする。

いや、イマドキなメロディ──かつてと違って高低の行き来が激しく展開の予想できないメロディ──においては、音と文字を対応させることが難しいのかもしれない。YOASOBIはメロディ自体は新しいのだが歌詞を音にドンピシャでハメにかかっている(逆かもしれないが)。それが新鮮で、気持ちいい。


ただ「耳障りがいい」という意味で「気持ちいい」だけではない。

歌詞が、いうなれば一粒一粒きれいに独立している状態なので、とても聴き取りやすいのだ。

YOASOBIの歌詞の聴き取りやすさはずっと感じていた。でもそれはひとえに、ボーカルの滑舌の良さゆえだろう……と思っていた。たしかに彼女の滑舌はとてもよく、声の透明感も素晴らしいのだが、一音に一文字が対応するという言葉の独立性も聴き取りやすさに貢献している。やっとわかった。

聴き取りやすい。

ということはつまり、歌詞を見なくても音だけで脳内に文章化される、ということだ。また、歌詞を見なくても歌える、ということだ。

音だけで文章化される──その文章(歌詞)は、いしわたりさんの言うように隙間が多くて曖昧なものかもしれない。曖昧で抽象度が高い、しかし歌えてしまうから、記憶はできる。

それは、歌詞を読んだりMVを見て頭でストーリーを理解するよりも、もっと肉体的で浸透度の高い感覚ではないかと私は思う。

聴いて、歌って、脳内に文章がストックされる。ノンストレスに、考えずに、脳に直結する。そこにも「気持ちよさ」がある。

まるでメッセージが体内に直接響くようだ。

さらにその文章がストックされた状態で小説(原作)を読むと、隙間にすっとストーリーや情景が入り込んで、合体する。ざっくりいうと「一粒で二度美味しい音楽」だ。

(だから私は、先に小説を読んでしまわないほうがYOASOBIをより楽しめると思うに至った。そもそも私自身はあまり読んでいないのだけど……)

「小説で曲をつくる」という、ややメッセージ性強すぎの過剰演出にも受け取られかねないスタイルが、実は

歌のストーリーを削ぎ落として抽象化し、
抽象化された歌詞が音の粒としてつくられ、
曲が曲単体で気持ちのよいものとなり、
聴き手の脳に直接インプットする強さをもつに至り、
最終的には小説に回帰して味わい深い作品となる。

──という、周到に仕組まれた機構のように毎回働くのだとしたら。

それはたしかにすごい発明なのかもしれない。

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