ポアロだって、時にはやられる

■アガサ・クリスティー『ABC殺人事件』


有名でありながらも、どこか冷めた目で見てしまっていたこの『ABC殺人事件』。「Aで始まる地名の町で、Aの頭文字の人が殺され、Bで始まる地名の町で、Bの頭文字の人が殺され―」という非常にわかりやすいストーリー展開に、若干の「キワモノ」感を感じてしまったからだ。

でも私の信条は「面白いものから読む」なので(笑)、有名で評価の高いコレは読まなければ、と思って読んだ。結果、やはり面白かった。


他のポアロシリーズとは明らかに違う以下のような特徴があって、それが面白さ/読みやすさにつながっていたように思う。

(1)ポアロが「やられっぱなし」なところ。
正体不明の犯人から一方的に、ポアロのもとに送られてくる予告状。その通りにA、B、C……とどんどん殺人が起きてしまう。挑戦者として指名されたポアロの面目は丸つぶれ。この感じは今まで読んだ中にはなくてハラハラするけど、「でもどうせ最後はポアロが推理して犯人を暴くんだから大丈夫だよね」と(不純ですが)安心感があるので、ワクワクして読める。

(2)いかにも殺されそうでない人が殺されるところ。
普通の推理小説では、いかにも殺されそうな人(金持ち・悪人など)が殺され、ただの一般人に思える人は殺されない。なぜかといえば、周囲のできるだけ多くの人が潜在的犯罪者になったほうが、推理が盛り上がるからだ。しかし今回はミッシングリンク(失われた環)テーマの殺人事件であり、被害者間の見えない繋がりを探すというのが肝になる。だから「なぜこの人が殺されるのか!?」という人たちが死んでいく。道義的には良いか悪いか難しいけれど、新鮮味があって面白かった。

(3)順番に人が登場するところ。
事件が少しずつ起きるので、まずA、そしてB……と関係者が順番に増えていく。少しずつ名前を覚えられるので、屋敷内殺人のように名前を一気に覚える必要がなくて、比較的読みやすい。


というわけで、これは推理小説を読み慣れていない人にも推したい本の一つだなぁと思った。先日のエントリーにも書いたけれど、一冊目はやはり『スタイルズ荘の怪事件』。続いて、読書が好きそうな人には二冊目に『ナイルに死す』、三冊目に『五匹の子豚』または『アクロイド殺し』を。どちらかというと映像派の人には二冊目以降に『ABC殺人事件』または『オリエント急行の殺人』をおすすめするのも、アリかなぁ(誰にも求められてない笑)。


ポアロが手紙を受け取って「何かがおかしい」と感じたところからの推理も、やや推測が多くて無理やりではあるものの、読み応えがあった。

「しばしば直観と呼ばれているものは、じっさいは論理的な推論もしくは経験にもとづいた印象なのです。専門家が絵画なり、家具なり、小切手の署名なりについて、何かがおかしいと感じたら、その感情は無数の微妙な特徴や細部にもとづいて生まれたものなのです。それを詳細に吟味する必要はありません――彼の経験がそれを不要にするのであり――結果は何かがおかしいという明確な印象が残るのです。しかし、それは当て推量ではありません。それは経験にもとづいた印象なのです」 (P.371)

というわけで私はこの『ABC殺人事件』、けっこう上位に入ります。次のポアロシリーズは『葬儀を終えて』を選びました。

あと、つい勢いでチャンドラー『大いなる眠り』、村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』、ショーペンハウエル『幸福について―人生論』、さらに『シャーロック・ホームズ大図鑑』を購入。笑 またテトリスを積んでしまった……読みたい本は一体いつ途切れるのだろう?


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