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時短家電に考えさせられたこと

ついに我が家に時短家電がやってきた。以前「時短家電はなかな買えないけれどCuisinartのオーブントースターに惚れた話」(長い)という投稿をした時に、

「自分の努力でなんとかなるものに、極力お金をかけたくない」
「時短のために部屋の“見てくれ”を妥協せねばならないのか……と悩んだ時に、いつも“見てくれ”が勝ってしまう」
「場所をとる」

……とけなしまくっていた時短家電を、買ってしまった。


「もう無理だ、食洗機欲しい」

購入したのは食器洗い乾燥機、略して食洗機。メーカーはsiroca、機種はSS-MA351という今年発売されたばかりの新モデルだ。実売価格は7万円弱だが、楽天のスーパーセールで10%オフの62,820円で購入できた(お得!)。

購入を決めたきっかけは、子どもの離乳食が始まったことだった。「離乳食って大変そうだな〜」と生まれた時から見て見ぬふりをしてきたが、実際に始めてみるとやはり大変だった。作るのも大変だし、食べさせるのに時間がかかる。そして洗い物がとにかく増える上、パーツが小さくて洗いづらい。

二回食(※離乳食は、1回→2回→3回と1日の食事回数を増やしていく)が始まったあたりで「もう無理だ」と感じ、沸々というよりはむしろ突沸のように「食洗機欲しい!」と唱えはじめた。

そうしたら、物欲がなくてあまりお金を使わない夫が

「おれ、ボーナスで買う!」

と言ってくれて(ありがとう!)、トントン拍子に我が家に到着した。

なぜこの食洗機を選んだのか?という具体的な理由は割愛して、導入した感想と、考えたことを書いておきたい。


不可逆の変化

使いはじめて1ヶ月経つ現時点での感想を一言でまとめると、

万能ではないが、よく働いてくれるので、もう元には戻れない

「万能ではない」……というのは、洗えない材質のものがあったり、汚れが取れない時があったりと、「食器洗いを思考停止で丸投げできるわけではない」という意味だ。また音がうるさいので深夜は使えない、洗浄時間が1時間半とそこそこ長い、などの制約が意外と多かった。

しかし、家事の負担を軽減してくれるという事実は間違いなく、一度使ってみると病みつきになる。以前は特に食器洗いが苦ではなかったのに、「手で洗うのがちょっと嫌だな」と思うようになってしまった。


食洗機は洗濯機に似ている?

しばらく食洗機を使ってみて「これは洗濯機に似ているな」と気づいた。洋服を洗う家電が洗濯機ならば、食器を洗う家電は食洗機。この関係性はほぼ相似系と言える。

今の日本で、洗濯機を所有していない家庭はかなり少ないだろう。コインランドリー派の人はいても、「洋服を全部手洗いしている」という強者は聞いたことがない。

しかし昔は洋服を手洗いすることが当たり前だったわけで、不可能な家事ではない。むしろ、多少の洗い物なら手洗いのほうが早い。汚れの少ないTシャツやタオルや下着など数枚をささっと洗って絞って干すのであれば、15分もかからないだろう。一方の洗濯機は、洗濯に1時間近くをかける。

それでも手洗いするという発想は(少なくとも私の場合は)もはや生まれることがなく、カゴに溜めて、ある程度の量が溜まれば洗濯機を回す──というルーティンが日常になっている。

食洗機はこれとまったく同じ状況を生む。食器洗いに1時間半もかけるというのはある意味でばからしいし、ちょこちょこ洗えばいいんじゃね?と言われればその通りだ。けれど、「毎日の家事を自分以外の誰かに任せることができる」というメリットは予想以上に大きかった。たかが10分でも5分でも、だ。食器洗い専門のお手伝いさんを何年か雇うと考えれば、6万円強の出費はそう高くない。

あと地味だけれど、手が荒れないのも嬉しいし、洗浄力の強い洗剤を使うので汚れ落ちが良い(これらも洗濯機と同じだ)。


時短家電が気づかせてくれたこと

この体験を通して気づいたことが二つある。

一つ目は「人間の脳にとって影響が大きいのは『多いか少ないか』よりも『やるかやらないか』である」ということ。

たった5分で終わる食器洗いでも、食洗機に頼むことで心に余裕が生まれる。その心は、厳密には「節約できた5分を他のことに使える」ことよりも、「『5分の家事をやらねばならない』という思考自体から解放される」ことの恩恵が大きいのではないだろうか。

仕事の場面を考えるとわかりやすい。ちょっとやればすぐ終わるような仕事でも、「やらなきゃいけない」と頭の片隅に残し続けることにより、心が乱される。その仕事を部下に頼んだら自分よりも時間がかかるし効率は悪いけれど、投げてしまうと脳のスペースが空き、ぐっと楽になる──という感じだ。

この話を発展させれば、「始めは全体の半分」という諺にもつながる。

人間が大きく影響を受けるのは、タスクの寡多よりも、タスクの存否なのかなと思う。

・・・

二つ目は「テクノロジーには制約があり、結果として(良くも悪くも)人間の生活が変えられてしまう」ということだ。

洗濯機も食洗機も同じで、洗えるものが限定されている。洗濯機であれば、デリケートな洋服(おしゃれ着)は手洗いが推奨される。食洗機の場合は、高温や熱風に弱いデリケートな食器が洗えない。

食洗機を導入した結果、自分がそうしたデリケートな食器をほとんど使わなくなっていることに気づいた。私はもともと作家ものの食器が好きで時々買っていたのだが、「これ、食洗機で洗えないのか……」という思考が頭をよぎると、よっぽどの動機がなければ使わなくなる。

洗濯機ではすでに起きていた現象だが、デリケートなものは数を減らし“ハレ”の場面だけで使い、“ケ”の場面では「家電に選ばれし道具」を選択する。という暮らしになっていきそうだ。

そして、もし断捨離をするならば、残されるのは間違いなく“ケ”側のものたちだろう。

──これから先、私たちは間違いなく時短家電、あるいはAIなどコンピュータのテクノロジーに頼る生活に移行していくだろう。テクノロジー側も発展していくだろうけれど(例:デリケートな食器や洋服も問題なく洗える機械ができる)、どちらかといえば、テクノロジーの発展速度よりも普及速度のほうが速いかもしれない。

その結果として、テクノロジーの発展は、人間の繊細な手仕事/文化を少しずつ衰退させてしまうのかもしれない。

──というよりは、すでに文化が衰退させられていることに、私は気づけていなかったのかもしれない。

シロカ公式サイトより、洗える食器の目安(36点)

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